現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言が逐一記録されます。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
2007年の発言

◆「死刑を待望する」合唱隊の行方2007/12/29

◆チェ・ゲバラが遺したもの2007/11/29


◆チェ・ゲバラ没後40年2007/10/9

◆小倉英敬著『メキシコ時代のトロツキー 1937―1940』書評2007/10/6

◆「世の中、バカが多くて、疲れません?」――首相辞任とその後2007/10/5

◆暴力批判のための覚え書2007/9/1

◆猛暑の夏の読書3冊2007/8/15

◆知里幸惠との、遅すぎた出会いをめぐって2007/8/1

◆サムライ=「フジモリ」待望論の陥穽2007/7/15

◆若年層「フリーター」からの左翼批判に思う2007/7/15

◆政府・官僚の愚行を放置しない力の源泉――総聯弾圧をめぐって2007/6/27

◆犯罪と民族責任が浮き彫りにする「光と闇」2007/6/7

◆「低開発」 subdesarrollo という言葉がもつ意味2007/6/7

◆国家の「正当な暴力」の行使としての死刑と戦争2007/6/7

◆「拉致問題」専売政権の弱み2007/4/24

◆奴隷貿易禁止200周年と現代の奴隷制2007/4/24

◆変動の底流にあるもの[ボリビア訪問記]2007/4/24

◆キューバ、ボリビア、ベネズエラの「連帯」が意味すること2007/4/24

◆「希望は戦争」という言葉について2007/4/24

◆6カ国協議の場で孤立を深めた日本2007/2/28

◆サッダーム・フセインの処刑という迷宮2007/2/28

◆ボリビアの諸改革に脈打つ先住民性2007/2/28

◆世界は必ずしもいい所ではない2007/2/28

◆アチェの世界への長い道のり2007/2/28

◆フリードマンとピノチェトは二度死ぬ――新自由主義と決別するラテンアメリカ 』2007/1/7

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「世の中、バカが多くて、疲れません?」――首相辞任とその後
『派兵チェック』第180号(2007年10月5日発行)掲載
太田昌国


 「世の中、バカが多くて、疲れません?」――桃井かおりが、彼女特有の気だるい表情と物言いで、語りかける。もう一昔前のことにもなるか、テレビ・コマーシャルの一場面である。

何の商品広告なのか、その時も関心はなかったから、いまさら憶えているはずもない。ただ、一般大衆向けのコマーシャルでは禁句に違いないと、素人にだって思える「バカ」という言葉を用い、しかも「(それが)多くて、疲れる」という感情をあからさまに言っているのだら、私のような天邪鬼には、なかなか消えない好印象を残したコマーシャルだった。

そこには、もちろん、反語的な表現で結局はひとの気を牽くという、コピーライターの周到な戦略があったに違いないが、豈図らんや、視聴者に向かって「バカとは、何だ」という、頓珍漢な反応がけっこうあったらしく、短命のコマーシャルに終わったように記憶している。


 安倍晋三の、突然の首相辞任会見と、自民党の後継総裁選び騒動を見聞きしながら、思わず、あの桃井かおりのコマーシャルを懐かしく思い出した。

木戸銭を払いたくもない、辞任劇+選挙劇が繰り広げられたその舞台は、「バカが総出」の体をなしており、疲れること、この上ないからである。


 それにしても、参議院議員選挙で与党が大敗し、それでもなお安倍は辞めないと言い張って、内閣改造をした後の記者会見だったろうか、会見を終えて、安倍が会場を去り行く姿を翌日の新聞で見て、「もはや、これまで」とは思っていた。

その写真は、05年の9・11衆議院議員選挙を終えた翌日に記者会見を行なった首相・小泉が、やはり会場を出てゆく際の写真と、構図がまったく同じだった。

小泉は、上着なし、ストライプのカッターシャツを着て、背を伸ばして颯爽と会場を出てゆく。陪席した党役員たちが、クールビズとやらを着用しながら、上着をだらしなく着て、恭しく頭を垂れて小泉を見送る姿と、それは好対照をなしていた。

支配層内部の「革新」と「保守」のふたつの図が、そこには浮かび上がっていた。私は、底が浅いとはいえ「小泉人気」の秘密をそこに見たような感じがした。

安倍の姿は違った。陪席した党役員と同じく濃紺の上着を着た安倍は、背を丸めて、頭を下げる役員たちの前を過ぎ去ろうとしている。写真が実に「雄弁」である場合があると思った。

「安倍落日」の趣きが、はっきりと出ていたからである。長くはもたないと確信はしたが、まさか所信表明演説の2日後に、自称「闘う政治家」が退場するとまでは予知できなかった。


 さて「世の中、バカが多くて、疲れる」騒ぎは、その後のことである。安倍辞任の無責任さや、この政権が何を行なったか(教育基本法改定、教育関連3法案と国民投票法案の成立強行、防衛庁の省昇格、対北朝鮮強硬策など)にメディアが(批判的ではないにせよ)少しでも言及していたのは、その日限り。

翌日からは、一斉に「つぎは誰か?」一色の報道に変化した。これには、珍しくも、テレビ報道の現場に出ずっぱりの人間からすら、異議が出ていた。

たとえば、テリー伊藤である。たまに見るテレビ報道で、この人の発言に感心したことは、ほとんど、ない。今回も、実際のテレビ報道の中で、この人がどこまで頑張ったかは、見ていないから知らない。

だが、9月15日付毎日新聞夕刊のコラムで、彼は、テレビが自民党総裁選挙一色の報道と化し、自民党のキャンペーンの舞台となること、次期首相が決まれば決まったで、新しい「ファーストレディ」の得意料理、ファッション、意外な庶民性(?)などに話題を集中させて、安倍辞任劇の情けなさも無責任さも忘却の彼方へ消し飛んでしまうかもしれない近未来を予測している。

そして、08年7月、雄大な北海道の大自然をバックに開催される「洞爺湖サミット」報道を通して、日本国首相を囲んでG8首脳がトウモロコシや海産物を食べながら談笑する画面を繰り返し見せつけられたら、「いいサミットじゃないか。日本の総理大臣もなかなかがんばっているじゃないか。そうか、自民党も結構、いいんじゃないか?」と国民は思うだろうから、衆議院解散はサミット後まで引き延ばすよう政府与党は努めるだろうとも語っている。


 穿ったことを言う。テレビの役割を知り尽くしている。「国民」の、従順な付和雷同性も見抜いている。

自民党総裁の後任選びは、確かにテリー伊藤が言うように、メディアを占領した。

電通が背後にいたのだろうが、東京以外の都市でも街頭立会い演説会を開き、候補者はそれぞれ保育所や町工場を訪れるなどのパフォーマンスを行なった。

演説会の場に物見高くも居合わせた「国民」は、メディアの誘導尋問に愚かにも幻惑され、おそらく自民党総裁選挙の投票権も持たないのに、「麻生がいい」とか「福田に好感」とかの言葉を吐いていた。

一年前には、来るべき選挙の「顔」として安倍を総裁に選んだ自民党の、この無責任なバカ騒ぎそれ自体を批判する声も、必ずや、現場にはあったろうが、今回もその種の声はきっぱりと排除されたようだ。


 安倍は、拉致問題をめぐる対北朝鮮強硬政策で突出したことによって、一年前のNHKニュースが好んで、積極的に使った言葉によれば「国民的人気が高い」のであった。

自民党もそれにすがった。本人も、辞める直前まで「鉄の意志」で北朝鮮に対する「主張する外交」に取り組む決意を語っていたのだから、この問題ひとつを取り上げるだけでも、安倍政権の一年間が何であったかの総括論議は広がりを得るはずであった。

それをいっさい無きものにして繰り広げられた2007年9月中旬10日間の日々は、「愚者の天国」としか言いようのない現代日本の姿を浮かび上がらせた。 

 
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