現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言が逐一記録されます。「20~21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
1997年の発言

◆一年後に、ペルー大使公邸占拠事件を顧みる:天皇問題に即して

◆防衛情報誌「セキュリタリアン」の役割

◆血腥い物語:船戸与一著『午後の行商人』(講談社)を読む

◆現実にある政治的・思想的対立軸をなきものにする言動

◆『戦争の悲しみ』とバオ・ニンの悲しみ

◆過去のラーゲリと現在の強制収容所

◆武力「決着」後のペルーを見る五つの視点

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防衛情報誌「セキュリタリアン」の役割 
「派兵チェック」63号(1997年12月15日発行)掲載
太田昌国 


 「週刊現代」11月15日号が「カメラがとらえた『日本はアメリカの植民地』の惨状」と題して写真特集を組んだ。同時に一万人以上を対象として憲法に関するアンケート調査を行なった結果、憲法第九条を厳守すべきだと答えた比率は7割を超えたと報告した。日米防衛協力に関する新指針さえもが、こともなげに見過ごされようという状況に対する危機感にあふれていて、「植民地」という規定はともかくとして、週刊誌メディアとしてはめずらしく見応え、読み応えがあった。いちばん印象に残ったのは「米兵の家庭訪問」と題する写真だった。キャプションは言う。

「各地の演習場で行われる日米共同訓練の際に、アメリカ本土から来た兵士たちが、日本人家庭を訪ねる制度がある。兵士たちはチョコなどをみやげに持参し、迎える側はすき焼きから寿司まで超豪華なディナーで米兵を驚かせる(御殿場市で)」。

事実、写真には、たくさんの料理が並んだテーブルを前に老若二世代の日本人家族が米兵と笑顔で交歓している様子が写っている。この時代になっても、米兵のみやげがチョコレートだというのには、(私は北海道の辺境に育ったから、直接経験してはいないが)敗戦直後の情景を思い起こさざるをえないから、どこか物哀しさをおぼえながら、屈託のない両者の笑顔に見入った。

 そういえば、アジア太平洋戦争のさなか、日本軍の移動や演習の時には、兵士が付近の家庭に泊まるという場合がよくあったというが、幼いころ兵士を迎え入れる経験をした人が(戦争が終わってからのことだが)後日考えてみると、あれは兵士と銃後の民衆との間に親近感を生み出すための「演出」だったのだろうという回想を、何度か目にしたこともある。

そのような場での交流の時には、当然にも人間同士のふれあいに基づく感情がわきだすだろうから、さすが軍首脳部はうまい手を考えたものだと思いながら、そんな回想記を読んだものだった。

 戦争行為の発動を前提として組織されている国軍が、個々の兵士を通してあたりまえの存在となること、人びとにとって恐ろしくはない、むしろ身近な、親しみさえ感じる存在となること。そのためには軍人が軍服を脱ぎ私服を着て、「ふつうの人」と変わることない姿で人びとと接する機会が増えるにこしたことはないのであろう。

 井沢元彦という、本来的にはつまらない作家が何度も好んで引くことだが、日教組全盛時代の教師には、クラスで自衛隊員を親に持つ子に手を挙げさせ、だれそれ君の父親のような職には就かないようにしましょう、と言ったケースが全国的に何例かあったという。

こうして「個人としての」自衛隊員や周辺の家族に無用な「身構え」を強いる雰囲気が、たしかに戦後革新派、ひろくは日本社会にはあったし、反米民族主義に基づく「ヤンキー、ゴー・ホーム」の掛け声も運動圏ではふつうに行なわれていた時代もあったから、自衛隊員にせよ米兵にせよ、軍隊組織の一員としてではなく個人としてふるまうことができる、上に見たような民際交流の機会は、このうえなく大事な役割を果たしてきていると推測できる。

 社会一般にとけこむといえば、私は、防衛庁が編集協力し財団法人防衛弘済会が発行する[日本の防衛を考える情報誌]「セキュリタリアン」の編集方針に注目してきた。

前身の「防衛アンテナ」は見たことがないが、当事者の述懐によれば、裃つけた官庁公報誌の域を出ないものであったらしい。ところが、90年代初頭爆風スランプが自衛隊市ケ谷駐屯地で出前コンサートを行ない、盛り上がる若い自衛隊員を見て、サンプラザ中野が「ああ自衛隊員もふつうの若者なんだ」という感想を洩らしたことにヒントを得た防衛庁の広報担当者がいた。

「普通の国民である自衛隊員の本音」を<売り>にすれば、国民に受け入れられるかもしれないと考えた担当者は、1992年から編集方針を一新した。今ふうの言葉遣い、写真の多用、プロの手によるレイアウトの工夫、「自衛隊体験ルポ」や「この人に聞く」欄での、思いがけない人物の起用(村上龍、吉本隆明、樺山紘一、竹田青嗣、有田芳生など)、「やわらかさ」の演出のためなのだろう、写真入りで女性隊員を前面に押し出す企画もよくある。担当者は、若者文化の状況にも、思想・文学の動向全般にも目配りが利いた編集をしている。

江藤淳、藤岡信勝、小室直樹、西尾幹二など「むべなるかな」と言うほかはない人物の横に、辛口のことを言うかもしれない人物もあえて起用する。

しかし現在の思想・社会状況ではこの程度の「辛口」なら取り込めるという計算もよくできているように思える。逆に言えば、本来ならば原理的に「軍隊・戦争批判」を行ない得たはずの人物が総崩れになっているということだ。

きのうまでは対立していたかもしれない者同士が、きょうこの雑誌上で横並びになっていることが重要なのだ。どの程度の部数を刷り、どの程度読まれているのかは知らないが、侮りがたい「敵」の一戦略がこの誌上では展開されていると思う。

 最新12月号の「セキュリタリアン」を手にしてみる。ガイドラインの見直し特集なので、いつもの号より硬めの編集だ。フジモリの武力行使を全面的に賛美した志方俊之が「多恨のわれは南方へ」という文章で「パナマ運河もわが国の生命線」と述べている。2年後、米軍は運河地帯から撤退する予定だが、パナマ運河を通過する船舶の6割が日本経済に関連しているところから、志方は21世紀の運河の安全管理を心配しているのである。

パナマ地帯も日米防衛協力の新指針の適用範囲との主張を、志方は今のところは控えているが、そこまで言い切りたい心情に溢れた文章である。「敵」との対立点をなし崩し的に曖昧にするふるまいの誤謬をあらためて痛感させてくれる文章であった。

(97年12月13日記)

 
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