現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言が逐一記録されます。「20~21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
1998年の発言

◆北朝鮮「核疑惑騒動」の陰で蠢く者たち

◆目と心が腐るような右派言論から、一瞬遠く離れて

◆第三世界は死んだ、第三世界主義万歳!

◆時評「この国は危ない」と歌う中島みゆきを聞きながら

◆自称現実主義者たちの現実追随

◆伊藤俊也の作品としての『プライド 運命の瞬間』批判

◆98年度上半期読書アンケート

◆書評:市村弘正著『敗北の二十世紀』

◆「自由主義史観」を批判する〈場所〉

◆民族・植民地問題への覚醒

◆国策に奉仕する「〈知〉の技法」

◆「後方支援」は「武力の行使」にほかならない

◆ペルー日本大使公邸占拠事件とは日本にとって何であったか

◆個別と総体――いまの時代の特徴について

◆植民地支配責任を不問に付す「アイヌ文化振興法」の詐術

◆政治・軍事と社会的雰囲気の双方のレベルで、準備される戦争

◆朴慶植さんの事故死と、時代の拘束を解き放った60年代の遺産

◆書評:ガルシア=マルケス著『誘拐』(角川春樹事務所刊)

◆保守派総合雑誌の楽しみ方

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自称現実主義者たちの現実追随    中嶋嶺雄・中西輝政などの言動に触れて
「派兵チェック」71号(1998年8月15日)
太田昌国 


新連載「チョー右派言論を読む」1  ある中国書籍専門書店で、東京外国語大学中嶋ゼミの会発行『歴史と未来』第24号(1998年3月)を偶然手にした。

 現 在同大学長を務める中国研究者・中嶋嶺雄ゼミの研究誌である。中嶋の初期の著作『現代中国論:イデオロギーと政治の内的考察』(青木書店、1964年)は、当時の時代情況の中では異彩を放つ内容のもので、中国革命の必然性をギリギリの地点で認める立場に立ちつつも、毛澤東思想や「百花斉放・百家争鳴運動」「反右派闘争」「大躍進政策」の批判的な分析が冷静になされていた。

その頃までは、エドガー・スノーや竹内好、武田泰淳など、外部の文人的観察者によるいくぶん情緒的な中国論が多く、私自身もその影響を十分に受けていたから、中嶋の著作の異化効果は大きかった。

 だがその後の中嶋の言論活動をふりかえると、文化大革命論こそ異論も感じつつも相変わらずの冷徹な観察から得るものは多かったが、全体として急速に国策論へと傾斜していくばかりで、彼もまた、掃いて捨てるほどいるありきたりの、日本中心主義を純化させた国際政治評論家になっていくさまを見送るほかはなかった。

 上記の会報に掲載されているは、97年の香港の中国返還時の様子を見にいったという中嶋の短い報告で、返還と同時に人民解放軍が香港に駐留したことの問題点を指摘するなど同感する点もなくはないが、総じて「植民地支配の終焉」という問題意識をまったく欠いたまま、たとえば「英国は香港をここまで仕立てあげたのだから、一言、江沢民が『謝謝』と言ったら中国の株も上がっただろう」などと語る箇所が、現在の中嶋の位置からすれば当然のこととはいえ、目立った。

 きわめつきは、大要次のように語る箇所だろう。

「米国の第七艦隊が英国に許可を求めると二日で香港に寄港できた。中国側は第七艦隊の寄港を認めると言っているが、今後台湾独立派の台頭があれば、認めなくなるかもしれない。国内のさまざまな問題を抱えた中国が大中華思想を強めて、対外的に軍事力をちらつかせかねない時に、米軍のプレゼンスがなくなれば、アジアの軍事バランスを変えるだろう。

 台湾海峡危機の時に、日本のメディアは住専とオウムばかり報じていたが、このとき空母インディペンデンスが食糧や水を積んで横須賀を出た。極東有事もありうるのだ。シンボリックなことに、横須賀を出たのは『独立』を意味する名の空母だった。このシンボル効果に誰も気づかぬのは問題だ」


 末尾の「シンボル効果云々」の箇所などは、つまらぬダジャレ的な発想を得意気に披瀝する評論家ならではの水準だ。私も中国ナショナリズムの行方には懸念を持ち、この十数億の人びとを抱え込む大帝国は、台湾やチベットや新彊ウィグルなどの「分権独立」を認めない限りやっていけないのではないか、と思う。

しかしナショナリズムに対する警戒心は、足下の日本に対してはもちろん米国に対しても持っているから、米国の軍事プレゼンスがアジアの安定に必要だなどという考えは持ちようもない。

 中嶋は、国家間・民族間に歴史的に積み重ねられてきた不平等性を軽視したり無視したりすべきではない。アジアにおける米軍の軍事プレゼンスなるものを重視するからには、中嶋は横須賀や沖縄に象徴される軍事基地も容認しているのだろう。

 米国が、19世紀末の提督マハンの海外進出戦略に基づいて、根拠地(前進基地)と移動海軍(艦隊)の増強を不可欠の前提として、対外貿易と海外における経済的展開を可能にしてきたことくらい、「国際問題評論家」中嶋が知らないはずはないだろう。米国のこの一世紀に及ぶ近代史にあっては、経済と軍事は、自国の利害を賭けてここまで密接な関連を持ってきた。

 他地域からの収奪のためには、他の民族・国家との共存・共栄など歯牙にもかけなかった史実が、世界一の大国・米国の20世紀史からは任意に取り出すことができるのだ。

 その起点というべき典型的な一例を挙げよう。一世紀前の1898年、キューバがスペインからの独立戦争に勝利しそうな形勢になると、米国はスペインに宣戦を布告しまもなく勝利した。

 停戦協定・講和会議は、米国の思惑どおりに米西間のみで行なわれた。スペインが領有してきたキューバは米国の「保護国として独立」し、同じくフィリピン、グアム、プエルトリコは現金取引によって米国に「委譲」されることになった。

 キューバは、1.米国が必要と認めた場合には内外政に介入すること、2.他の諸外国と条約や債務協定を自由に結べないこと、3.米国に海軍基地を提供することなどを認めざるを得なかった。

 国際関係においてこんな「規準」を持ち続けてきた米国の艦隊の力で、中嶋は、中国の大国主義のどこを抑止できるというのか。冷戦期の不毛な軍事バランス論にいまだ拘泥している中嶋には、アジア経済に関する発言も多いが、ここでもいまある現実を不動のものとして前提としたものが多い。

 ドルを基軸通貨とする体制に黄昏の時が迫っているいまこそ、世界の平和と安定化のためには、特定の通貨に特権を与えない多元的な通貨→経済システムを構想すべきであることは誰の目にも自明のことだと思うが、未来に向かうこんな目を惰性的な現実主義者は持ちたくないようだ。

 同じことは『諸君!』7月号の中西輝政「『経済敗戦』の焼け跡から」にも言える。

 「レイプされても基地なしでは食ってゆけない沖縄に象徴されるような、日米関係をめぐるトータルとしての『悲しき日本』」などと表現できる中西は、「平和を保つ究極の拠り所は軍事力である」という根本問題への態度こそ核心だと主張し、「いま離れるにはアメリカは強すぎる」から安保体制の維持を強調する。自称現実主義者たちが、現実追随主義者でしかないことが、ふたりの言動から透けて見える。

                        (98年8月15日記)

 

 
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