8月1日の執行で考えたこと

石塚 伸一


 永山さんや浜崎さんの執行で考えたことも送ります。●●さんも危ないのではな いかと思います。再審や恩赦をしようとしていない確定者で、運動関係以外のひと がきわめて限られていあるからです。法は判決確定から6ヶ月以内に執行すること にしているし、私の閲覧の件の報復的意味もあるからです。

ドイツで「野蛮な日(bultiger Tag)」という新聞の見出しを見たのは今から4年前の3月のことでした。3年半ぶりに日本で死刑の執行があったというニュースについて研究室で意見を聞いたところ、「日本にはまだ死刑があるのか」と聞かれて恥ずかしい思いをしたことを想い出します。

 そして、今日また、この悲しいニュースを聞いて怒りとも、絶望ともいいがたい 哀しい気持ちになっています。5月の学術会議における佐伯先生の講演の中で、「 悪には悪をもって報いるという応報の思想が、現代の子どもたちの心をすさんだも のにしている。刑法は、愛の刑法でなければならない」とおっしゃっていました。

 「吊されるのは覚悟している」という声明文には、応報への恐怖と自らの命を人 質にとった終末へ願望を感じています。それは、自殺を仄めかして、運動会や試験 を中止させようとする少年たちの反抗や「いじめ」に対する最後の抗議を自殺とい う復讐のドラマにしてしまう少年たちの論理と相通じるものがあります。

 わたしたちは、自らの基本的人権の存立基盤を抹殺してしまおうとする少年たち の心の中に、民主主義への根本的不信と平和主義のなし崩し的後退を感じ、少年と いう鏡に映しだされた大人たちの共同幻想の世紀末的状況に恐怖しています。生へ の潜在的意志(=エロス)の普遍性を所与として構成されている近代の法治国思想 (その刑法的表現としての一般予防論)の瓦解は、外国からの侵略や犯罪集団によ る挑戦によってではなく、死への潜在的意志(=タナトス)のドラマの日常化とい う内部崩壊によってもたらされようとしているような気がします。

 今回の執行は、「神戸」に触発された少年法の重罰化論(愛の放棄=応報の貫徹 )の台頭と控訴取り下げの無効を認めなかった最高裁判決の確認(そして、異議を 唱える者に対する報復)という現在の政府の「」付きの「法治国家論」の示威とい う側面が強いように思います。その意味でも、政府は、死刑の執行をきわめて政治 的に利用し始めています。

 わたしたち法律学者は、きちんと政府の態度を批判していくべきだと思います。 「存置と廃止の対話」を言うなら、妥協の前に、死刑のもつ問題点を析出すべきで す。存置論者は、死刑の現状を支持している自らの責任を反省すべきですし、廃止 論者は、政治的態度を曖昧にし、きちんとした証拠を示してこなかった怠慢を反省 すべきです。

 「金の卵」たちへのレクイエムを想い出しています。

 今回のドイツ滞在のテーマを「野蛮な国」日本の刑事政策をこちらの人たちに伝 え、日本政府の犯罪対策に対する姿勢をきちんと批判することにしました。

1997年8月2日 北九州大学法学部 石塚伸一(ゲッティンゲン大学・ドイ ツ滞在)