府中刑務所「革手錠」訴訟を傍聴して


益永美幸


府中刑務所在監中のK氏が起こした国賠訴訟の12月1日の法廷では、K氏に暴行を加え、革手錠をかけたとされているO係長(当時)に対する原告側尋問が行われた。この日、証人席についたO証人への最初の質問は、彼自身の「体重」であった。「102kgです」という答えが、後にO証人を窮地に追い込むことになる。そのくだりは後述するとして、この日の証人尋問では、人権侵害事件発生時の詳細な状況について質問がなされた。(この裁判で争われているK氏に対する人権侵害事件の内容と経過については、ニュースVol.6を参照。)
事件当日、O証人はK氏の独房を突然訪れ、すでに解決済みの過去の願箋(編集部注:当局に対する要望を記入して提出する書類)について取り上げ、「処遇の何が不満なんだ」などと訊ねたという。この時、K氏は「反抗的な口調」で「不満」をぶつけてきた。そのため、O証人は「興奮をいさめようという目的」で、K氏を房の外に出そうとした。すると、K氏が突然、O証人に「飛びかかってきた」ので、O証人はこれを取り押さえてK氏に金属手錠をかけ、他の看守に指示して警報ベルを押しに行かせた。警報ベルによって「3〜40人」の看守が駆けつけ、K氏を「制圧」した。このO証人の証言は、K氏の主張と真っ向から対立するのだが、客観的に見ても不自然である。この日、自分の担当区でもない房に突然やってきて、解決済みの事を引き合いに出し、処遇に対する不満をK氏に話させる必要が、なぜO証人にあったのか。その後「飛びかかってきた」というK氏を自分一人で取り押さえ、金属手錠をかけたにもかかわらず、警報ベルを鳴らして数十人の看守を駆けつけさせる必要があったのか。当時、K氏が不当処遇に対して人権救済申立中であったことを鑑みると、O証人の行動、その後の対応には、「見せしめと報復」という意図を感じずにはおれない。
革手錠と金属手錠の併用についても、使用許可は「上司の指示」であるとし、保護房拘禁時の股割れズボン着衣は「いつもやっていること」だからとO証人は述べたが、ここには、監獄の管理・運営のためであれば、受刑者の人権は二の次であるという監獄内部にのみ通じる「常識」に毒された一看守の姿が垣間見える。さらに、O証人の口から何度か出た、「受刑者としての立場を踏まえさせるため」という言葉は、O証人が日頃、受刑者をどのように見ているかを明らかにしている。
過去に50人の受刑者に対して革手錠をかけた経験を持つO証人は、受刑者から暴行および暴行気勢を受けた経験も50件を数えるという。府中刑務所全体で発生した看守に対する暴行・暴行気勢事件数に照らすと、この数は異常に多いものである。 そして、尋問も終盤に差しかかった時、原告代理人から1通の告発状が証拠として提出され、O証人が過去にK氏に対してだけでなく、他の受刑者にも重大な暴力行為を行い、告発されていたことを証人自ら認めることとなった。その告発状には、暴行と革手錠使用によって一人の受刑者に多大な苦痛を加えた看守の身体的特徴として、「体重100kg」と明記されていた。この部分を示されたO証人は、思わず「私ですねぇ」と認めたのである。この後のO証人のしどろもどろの証言と被告側代理人たちのあきらめの表情は想像していただけるだろう。
K氏に対する不当懲罰と革手錠・金属手錠併用ならびに保護房拘禁については、まず、本人の指示によって家族から救援連絡センターに通報され、数ヶ月後、私のもとに連絡が入った。さらに詳細を知らせてほしい旨の手紙を家族に送ると共に、重大な人権侵害事件であるとして、福島弁護士に連絡したことで裁判へこぎつけることができたのだった。獄中者の人権侵害は、特にそれが受刑者に係る事件の場合、白日のもとにさらすことは難しい。K氏のように尽力を惜しまない家族がいない場合、監獄の問題に取り組む団体や人々に連絡を取る手段はほとんどない。「裁判を受ける権利」を保障するとしながら、実態は泣き寝入りを強いる状況下に置かれている獄中者、こと受刑者に対する、迅速な通報システムの重要性を再認識せずにおれない。訴訟提起後、刑務所当局による身体的・精神的嫌がらせによってK氏の健康状態がたいへん危惧されており、適切な診療の要求とともに刑務所当局のK氏に対する処遇を監視していくことも重要な課題だ。
次回は東京地裁第511号法廷にて、3月6日(水)午後2時から、O証人に革手錠使用を指示したとされている上司に対する被告・国側尋問(因みに同日同法廷で午前10時半〜12時迄東京拘置所で暴行を受けたナイジェリア人の国賠訴訟)。次々回には同証人に対する原告側尋問が予定されている。この裁判の重要性を裁判所に示すためにも、12月1日同様、多数の傍聴をお願いします。