集会「監獄と市民社会」報告

監獄人権センター:関西CPR


 八月十九日、大阪市内で「監獄と市民社会」をテーマとする集会が関西CPR主催で行われた。集会は「監獄と市民社会」というテーマが表すように、日本の監獄における人権侵害の実態に焦点を絞りながも、障害者施設や外国人入国管理施設における処遇の実態など、日本の市民社会における「監獄的なるもの」についても取り上げ、市民社会と「監獄」との接点を模索するといった観点から、多様な講演者を招いて行われた。
 最初に講演に立ったのは荒井まり子さん。まり子さんは「狼」の一員として逮捕され、87年に出所するまで、留置場、拘置所、刑務所と十二年間獄中にあり、自らの体験を基に日本の監獄処遇の実態に就いて語った。まり子さんは「狼」のメンバーとは友人ではあったが、実際には「狼」の一員ではなく、連続爆破事件には関与していない。しかし、家宅捜索の際、爆弾の材料となる薬品を所持していたために逮捕され、長期にわたる裁判の結果、「狼」に対する「精神的無形的幇助」という判決が下された。まり子さんの「したこと」ではなく、まさにその「思想」が国家によって裁かれたのだった。まり子さんは、獄中は「問答無用の暴力の世界」であり、「国家権力の本質を見た」と語った。
 当時は政治犯を中心とした処遇改善運動が展開されており、まり子さん自身も獄中での孤独な闘いに参加した。まり子さんが語ったように、彼女にとって「国家権力との本当の闘いが始まった」のである。こうした運動の成果として、受刑者の様々な権利が獲得されたが、80年代に入って運動の後退と共に監獄の処遇も後退、管理化が進んでいるという。
 続いて一橋大学大学院生で刑事立法研究会所属の岡田久美子さんが、刑事法における女性の問題について講演した。岡田さんは女性の犯罪の特徴として、窃盗などの軽微な犯罪が多い点をあげ、また、殺人といった重大な犯罪の場合では、その対象が子、夫、親族など家庭内の者であることが多いことが統計から読み取れることを指摘している。つまり、女性が社会的に無力であること、女性が家庭に縛り付けられていることが女性犯罪の特徴の背景にあるといえるとしている。被害者としての女性の立場から見ると、重大な問題として強姦などの男性からの性暴力があげられる。とくに強姦の場合、被害者、加害者、社会ともに強姦の事実を隠そうとする「沈黙の構造」があり、結局被害者の女性が泣き寝入りさせられるという問題がある。
  三人目の講演者は綿谷和弘さん。綿谷さんは脳性まひ障害者で、4歳より23歳までの間、障害児施設で過ごした。現在は、介護体制を組み自立生活を送っている。綿谷さんは自身の体験から、施設生活について語った。障害者にとって施設生活は、「二時間かかっても服を一人で着る練習」といったような「訓練漬けの生活」であり、その生活の背景にあるのは、「障害者は訓練してでも健常者のようになれ」という考え方である。監獄と障害者施設を単純に比較することは難しい問題といえるが、市民社会からの隔離、矯正といった点では類似するものがある。綿谷さんは、「施設は刑務所と違って刑期が無いから、一生その中で暮らす人が大半であること」と「施設を出ても障害者は社会から隔離されており、施設とあまり変わらない」ということが、監獄とは違った障害者施設の抱える問題であると語った。
 続いて講演に立ったのは、荒井彰さん。まり子さんとは獄中結婚。出所後も獄中のまり子さんを支援しながら、今日まで監獄問題に取り組んでいる。彰さんは、人権といった概念の存在しない受刑者処遇の実態について語った。受刑者処遇の問題点は、獄中生活が長ければ長いほど社会復帰が困難になるという処遇の実態である。受刑者の人間性を徹底して剥奪し、痛めつけるだけで、社会復帰を困難にし、再犯、累犯という犯罪の再生産構造に刑務所自体が関与しているという実態は、刑事政策の問題として再考せねばならないだろう。
 そして、監獄問題との関連から「外国人問題と入管処遇を考える」という視点から、「ナターシャさん母子を見守る会」でタイ人女性の支援活動に取り組んできたRINK(外国人労働者と家族の人権を守る関西ネットワーク)事務局の森木和美さん、韓国人男性大阪入管暴行事件で弁護団の一員である内海和男さんと東京入管問題調査会により、取り組んでいる問題について報告が行われた。
タイ人女性ナターシャ・サミッタマーンさんは、口論からホステス仲間を刺殺してしまい、殺人罪で起訴。現在、服役中。彼女には妻子のある日本人男性との間に二人の子供がいるが、無国籍児となっている。森木さんらは「見守る会」を結成、彼女を支援してきた。森木さんは支援を通して、日本の外国人受入れ体制の様々な問題点が見えてきたと語った。
 内海さんらが関わっている事件は、労働者として来日していた二人の韓国人男性が、警察により摘発、強制送還、その際、大阪入国管理局で入管職員に暴行を受けたというものである。入管に収容された外国人は、短い期間をおいて本国に強制送還されてしまうので、暴行の実態は闇につつまれていたが、こうした暴行は日常頻繁に行われていることが聞き取りから明らかになってきた。また、日本社会との結びつきが弱い外国人(特にアジアなどの途上国からの単純労働者)という立場も入管職員の暴行をチェック無しの野放し状態にする要因であると考えられる。
 集会を通じて明らかになったのは、「監獄的なるもの」は日常生活においても思い当たる点が少なくないということである。「監獄」では、普段は見えにくい国家権力による暴力や抑圧が、むき出しの状態で凝縮されているといえる。「監獄」を通して私たちの住んでいる日本という国のウラの顔が見えてくる。そして、そのウラの顔こそが国家権力の素顔であるといえるのかもしれない。