BOOK REVIEW

府中刑務所受刑者による国家賠償請求事件

弁護士 福島武司(横浜弁護士会)


府中刑務所に在監中の受刑者であるK氏(以下、原告)は、1994年10月4日、600万円の慰謝料の支払いを求める国家賠償請求訴訟を提起しました。
この間、5回の口頭弁論を重ね、双方の主張が概ね出そろったところから、次回、直接の対立当事者である看守の証人尋問が行われることとなりました。本訴訟の最大の山場を前に、これまでの経過を簡単にご報告したいと思います。

事件の発端

原告は、未決段階では東京拘置所に勾留されていましたが、進行中の刑事事件の関係で、同じ拘置所に勾留されている関係者に信書を発信したところ、これが到着するまでに約1ヶ月もかかるという異常な遅延が生じたことがありました。原告としては、右遅延により刑事事件の防御活動に支障を受けたため、人権が侵害されたと考えました。
その後、原告は刑が確定して府中刑務所に移送されましたが、移送後に、弁護士会に対して人権救済を申し立てる手続きがあることを知るに至り、先の問題について人権救済を行うことを決意し、府中刑務所当局に対して認書を願い出ました。
ところが、府中刑務所は、同刑務所在監中の受刑者が監獄の処遇について不服申立を行うことを嫌悪し、嫌がらせを開始します。
例えば、親族宛の信書の一行あたりの字数を制限し始めたり、居房内で所持することを許可されていた図書の冊数を突然減らす(理由は「間違って多く許可していた」)といった、恣意的な処遇です。
さらに、原告が、人権救済申立作成のために罫紙・カーボン紙の使用の許可を受け、その内一部を下書きに用いたところ、それは「不正使用」にであるとこじつけられ、取調べ(懲罰に向けた)に付すと告げられました。
原告は、嫌がらせの延長でむりやり懲罰されそうになったため、「不正使用」の取調べに対して黙秘しました。
原告は、一貫して平穏に、自らの法的権利を行使していたにも関わらず、府中刑務所当局の圧迫は強まる一方となり、遂に、重大な人権侵害が発生するに至ります。

事件の発生

1994年4月18日、看守のO係長は、原告の居房に赴き、「指導」と称して、挑発としか考えられない様々ないいがかりをつけました。
原告は冷静に対応していましたが、同係長が一方的に「お前は何様なんだ、おい、何様なんだよお。」と怒鳴ったことに対し、「何様でもありませんよ。」と答えたところ、同係長は、「何だ、その言い方はあ。出てこい。」と言うやいなや、原告の胸ぐらを掴んで房から引きずり出し、うつ伏せに倒し、背中を踏みつけるという一方的な暴行を加えました。さらに、後ろ手に金属手錠をかけ、他の職員に非常ベルを押させました。
O係長は、駆け付けた他の職員らと共に原告を取調室に連行すると、革手錠と金属手錠を併用して装着させた上、保護房に収容しました。
さらに、保護房の中でも、O係長は、原告の革手錠を力任せに増し締めする(国側の答弁によると、ベルトの穴一つ分=10センチの増し締め)という凌虐行為に及んでいます。そのまま8時間放置された原告は、腰に内出血が生じ、また、腰の神経を痛めて足の指に障害が残ったのです。
革手錠解除後も、同月21日まで保護房拘禁は続きました。

事件後の経過

原告は、O係長の暴行や、革手錠・保護房による拷問について証拠を残すべく、外部の医師の診察を願い出ますが、府中刑務所当局は不許可としました。
また、当局は、4月18日の事態について、原告がO係長に対して暴行の気勢を示したなどと事実をねじ曲げ、取調べを行いましたが、その最初の担当者は、何とO係長でした。同係長は、「取調べ」において、「ここは府中刑務所の独居なんだよ。はっきり言って、きれいごとでは収まらないんだ。」「君にははっきり言ってすまないと思う。だけど、こうなってしまった以上は、刑務所は君に裁判をやられて負けるようなことは絶対にできない。」「今までに50人以上手錠をかけて保護房にぶち込んできたけど、実際に俺に向かってきて、暴行の気勢が本当にあったのは、2人しかおらんかった。」「本当は俺だって、こんな嫌な役はやりたくないけどな、でも誰かが憎まれ役をやらなならんでしょ。」「こうやって、何かちょっとしたことでもあれば手錠をされて、保護房で苦しい目に合わせられるんだぞということを分からせとかないと、下の職員が苦労することになるんだ。」などと、驚くべき手前勝手な論理を開陳しました。
さらに、別の看守の取調べにおいては、原告が発信しようとしていた人権救済申立書・弁護士宛の信書(いずれもO係長の暴行を訴えるもの)を取り下げれば、4月18日についての懲罰は加えないという取引が持ちかけられました。同看守を信頼した原告が、取り下げに応じたところ、その日に懲罰(暴行の気勢を理由に、軽屏禁25日)が執行されるという有様だったのです。

訴訟提起後も続く嫌がらせ

原告は、最終的に訴訟を決意して弁護士に連絡して以来、厳正独居処遇に置かれているほか、房の廊下側の窓が、ある日突然、完全に塞がれるという、とんでもない嫌がらせも受けています。これによるストレスが高じて体重の顕著な現象が生じています。原告はまだ約2年の刑期を残しているため、今後の健康状態が懸念材料です。
ここには、当事者に人並みはずれた強靱な精神力が無ければ、獄中訴訟を維持することができない現状がよく表れています。法務省は、常日頃、受刑者にも裁判を受ける権利を保障しているなどと吹聴していますが、事実の前にはいかにも空虚です。

弁護団の新主張

国側は、事実経過を真っ向から争っており、次回のO看守(訴訟提起後に別の刑務所に配転)に対する証人尋問が、最大の山場となります。
ただし、弁護団としては、事実主張とは別に、法的主張にも新機軸を打ち出しています。 まず、革手錠についてはSMR(国連被拘禁者処遇標準最低規則)33条により使用が絶対的に禁じられている「枷(かせ)」に該当すると主張しています。革手錠は、従前、革「手錠」という言葉に惑わされて、何となく金属手錠と同類のものと捉えられてきましたが、両腕全体を腰に固定する革手錠と、単に両手首を同士を結びつけるだけの(腕は自由に動かせる)金属手錠とを、法律上「手錠」として同視するのは疑問と考えたのです。この点、近年、カンボジアの監獄において、自由権規約に基づいて手枷・足枷が廃止されたことをヒントにしました。
さらに、革手錠については、既に1935年の帝国議会貴族院において問題視され、司法省が「自殺防止の措置」と答弁していることが判明しましたので、自殺防止ではない、暴行抑止の目的で使用することは許されないと主張しています。このことは、少年院の処遇では既に認められた原則となっていますが、国側は、少年院に適用されるとしても成人受刑者には適用されないと反論しています。しかし、少年院で許されないものが、どうして監獄なら許されることになるのでしょうか。非人道的処遇という面では何ら違いはありません。 また、革手錠を付けた上で金属手錠を併用する実務(?)について焦点を当て、苦痛を増すことを目的にしているので違法と主張しています。この点、国側は「原告の手首が細くて革手錠から抜けそうだったので」併用したと反論し、併用が常態化していることを隠蔽しようとしています。
革手錠・保護房のセットの際に股割れズボンを履かせる実務についても、国側が、股割れズボンを認めた規定はないと釈明したところから、そのような着衣を強制すること自体が非人道的な処遇として違法と主張しています。
その他、ヒューマン・ライツ・ウォッチのレポートなどを引用した国際人権基準に基づく議論を全面的に展開しています。

傍聴のお願い

今後、看守の証人尋問が続く予定です。
次回は、9月26日午後2時から4時まで、東京地方裁判所第511号法廷にて、O係長に対する尋問が行われますので、是非、多数の傍聴をお願いいたします。