nl5toko-british prisoner

東京拘置所イギリス青年虐待事件国賠訴訟の報告

桜木和代(東京弁護士会)


イギリス人、ファルキン・シグラン・カイさんが、91年東京拘置所勾留中の看守による暴行・傷害等に対し国家賠償を請求していた裁判で、東京地裁民事第3部(佐藤久夫裁判長)は3月15日、訴えを棄却する判決を下した。原告ファルキン・シグラン・カイさんは1991年1月18日東京拘置所に移管され、1992年3月6日の無罪判決が出るまで同所に拘禁されていた。本件は、東京拘置所に拘禁された間に当局から受けた数々の不法行為に対する国家賠償請求事件である。刑事事件では原告は無罪判決を得て釈放された。しかし、@起訴されたこと、A英会話学校教師としての就業ビザで在留していたが解雇されたため資格を喪失したこと、により退去強制された。失業した本人には日本に生活基盤が無く、勾留中に悪化した歯の治療のためもあり、本人が帰国を希望したので残念ながらこの点については争うことが出来なかった。そのため、本人不在のままの国賠訴訟を余儀なくされたのである。

1 事実

1991年4月22日午後1時10分頃、原告は目を瞑り椅子に腰掛け、足をベッドに置いていた。そこに看守長が廊下側から大声で足をベッドから降ろすよう指導した(この事実は証拠保全により開示された「懲罰表」によって明らかにされた)。看守長が早口だったのと、原告がよく日本語を理解できなかったため、「ナニ?」と聞き返した。にもかかわらず看守長はまた大声で何か言った。この時の看守長の物言いがあたかも犬や猫に対するようなものだったため、原告が「ワタシハブタジャナイ」と日本語で答えた。これに看守長が激高し、6〜7名の看守を呼んで原告を房から強制的に引きずり出そうした。その際、原告は、「ツウヤクオネガイ、ツウヤクオネガイ」と叫んだが無視され、暴行を受け、足に数針の傷害を加えられたうえ、保護房に収容され、後日懲罰として20日間の軽屏禁罰に処せられた。
また、刑事裁判の証人尋問中、本人が弁護人に話しかけたので弁護人の罫紙に言いたいことを書くよう言ったところ、閉廷後法廷にいた看守がその罫紙を見せろと言った。
この他原告は数多くの肉体的精神的虐待を拘置所から受けたが、紙面の都合上2点に絞る。

2 訴訟のなかで

被告国は、看守長が足をベッドから降ろすよう原告に指導したのは、その状態が「不体裁」な態度であったからだと主張する。また、原告が昼寝になるかもしれないと思いながら目を瞑ってリラックスしていたのを、「拘置所内では、決められた時間外に昼寝をするには許可がいるのに、原告は許可を得ていなかった」とまで主張している。
“背もたれのある普通の椅子に196センチの長身の男性が寝そべるように座り、両足をベッドに投げ出していた行為”が注意するほどの「不体裁」なのであろうか。「時間外の昼寝の許可」に関しては、なぜここまで管理しなければならないのか、全く理解に苦しむ。 この看守長によれば、同舎には英語の通訳がいたという。看守長が原告に理解させようという気さえあれば、原告に対し初めから看守長の意思を伝達できた。そうすれば原告が看守らによる暴行・傷害を受けることもなかったのである。
被告国は、暴行、傷害、保護房収容、懲罰房収容の事実は認めたが、それは正当な職務行為の範囲内であると主張している。
証拠保全によって開示された「懲罰表」などから、原告が故なく自己の房内で大声を出し、舎房の静穏を乱したので、施設管理の上から原告を他の房へ移動させようとしたが応じなかったため、強制力を用いた、と被告国は主張する。
原告が退去強制されたため本人尋問をすることができず、当事者である担当舎房看守長の尋問のみでは、事実を立証することはきわめて困難であった。裁判所も原告の主張には証拠がないとして暴行については原告の完全敗訴とした。
被告国は公判廷での検閲を「物の授受ないしは新書の発受であるから、被拘禁者には拘置所の検閲、審査が必要である」と主張する。被告国は、筆談を禁じているのではなく、被拘禁者自身が持参した紙に筆談し必ず拘置所側が検閲できるようにせよ、というつもりらしい。現に、拘置所の要望をうけての刑事事件の裁判長の「自己の持参した紙にのみ書くよう」との訴訟指揮が争点になった裁判で、その行為を訴訟指揮権の範囲内であるとする判例がある(東京高裁平成3年(う)第1009号平成4年5月17日第11刑事部判決)。
裁判所は、本件筆談について、「物の授受ないしは親書の発受ではない」と明快に判示して、被告国の主張を退けた。しかし実害はなかったとして損害賠償は認めなかった。筆談が「物の授受ないしは親書の発受」かどうか、などということを争わなければならない現状のもとでは、常識にかなった判示であると評価すべきであろう。
その他の争点についても原告が主張するような事実が無いとして、いずれも原告の主張を退けた。

3 結論

結果として、筆談禁止に関する実質勝訴部分以外は請求棄却判決であったわけだが、判決を分析しても原告本人が不在のままでは勝ち目が無いこと、より悪い控訴審判例を残す結果が危惧されたことなどから、残念ながら控訴は断念せざるをえなかった。
本件は、被告人であっても被収容者は徹底して管理するという国の思想から生じた事件であったが、原告が日本語をよく解せない外国人であるところから、トラブルが発生・拡大したものである。昨今、外国人の刑事裁判では通訳を受ける権利が取り沙汰されているが、国家がその者を拘束する以上、処遇の場面でも通訳を受ける権利を有しているはずである。この事件が投げかける問題は多岐にわたっている。日本語を解せない多くの外国人が、いまなお拘置所内で大きな不安を感じ、無用のトラブルに巻き込まれているのである。