nl5CPR OSAKA

監獄人権センター大阪設立

監獄人権センター大阪事務局


 監獄人権センター大阪(CPR 0SAKA)設立の報告をさせていただきます。
'95年 4月28日、大阪弁護士会館での結成講演会には予想を超えた50名余の参加者があり、椅子が足りず立ったままの参加者もおり、うれしいやら、申し訳ないやらでした。記念講演では元刑務官、坂本敏夫氏が日本の監獄の現状と問題点、刑務官の現状について詳細に語って下さり、私たちが立ち向かっている“壁”のなんたるかを実感することができました。監獄人権センター大阪の機関誌『監獄新聞』創刊号にその要約を掲載しています。ぜひご一読ください。
講演後の質疑応答で、大阪拘置所に死刑に対する直接抗議行動として提灯や拍子木とともに“死の用心”の夜廻りを継続的に行っているグループから、もっと刑務官に直接訴えていく方法について質問があったが、坂本氏としては、塀の中は外部に対して閉ざされており、死刑を含め制度に対する批判的な個人、グループからの抗議文等は封も開けずに送り返すなど、批判禁止・個人の判断禁止の雰囲気の中で、直接的な抗議の効果は薄い。むしろCPRの設立や法的・制度的な廃止の運動を作り上げる方がより近道ではないか、とのコメントであった。こうした応答から、死刑囚や直接関わっている刑務官と連帯を作り上げていく“草の根”的な運動の方向と、システムを変えていくための世論作り・政治的運動の方向とのジレンマが浮かび上がったように思う。このジレンマは獄中者の人権を個別的に支援している者がかかえ続けるジレンマそのものであると思う。
 また、拘置所の恣意的な判断で行われている非人間的な厳正独居などの実態について、改善していくための具体的方法について質問が他のグループからあったが、20年前から変わっていない“秘密主義”の前で、内部的情願や外部からの区長や管理部長等への直接的抗議は効果が薄い、とのことであった。内部の閉鎖性を知り尽くしている坂本氏のコメントであったが、肉声の届くところから肉声で壁に風穴をあけようとする運動とのジレンマでもあった。また、かつて八年間厳正独居処遇をされた方から、矯正局や監獄のどこを突けば向こうは痛いか、収容側と被収容者の権力関係の実態について、具体的に触れられていない、との批判がなされた。しかし今回の坂本氏の講演の主眼は、監獄を担っている元刑務官側からの批判的検証であり、単なる外側に向けての暴露ではない所以でもあると思われた。
 なにはともあれ、監獄人権センター大阪がスタートした。新しい単一的組織というより、むしろ既存の、監獄に関わる団体のネットワーク的団体であるが、この既存の運動から一歩一歩積み上げていこうとするところに関西的あるいは草の根的な、運動のしたたかさを確信している。
 機関誌『監獄新聞』の紙面づくりに取りかかったとたんの今回の死刑執行は、バケツいっぱいの冷水を背後からぶっかけられたような衝撃だった。紙面割りなど飛んでしまった。絞首された三名の方々の魂の安らかならんことを祈りつつ、阻止できなかった私たちの実態をふまえ、仕切り直しをしていきたい。そのためにもCPRを実効的な組織としてつくりあげていきたい。
 課題として、近畿地方における入管を含めた監獄の実態調査を継続的に行い、非人権的な処遇については明らかにし、人権確立に思いを寄せて下さる一般の方々や、獄中者、法曹界や政界、各専門分野の方々の参加と知恵の結集を計り、具体的な提案を社会に向け、国に向け、積極的な検証の場づくりを行っていきたい。そこから広範囲に熱い議論を巻き起こしていきたい。また、監獄における人権を守ろうとしてきた国内・外の諸団体との有機的連携を計り、NGOとして確立させ、CPRのネットワークを広げていきたい。光も声も思いも通い合うガラス張りの監獄を目指したい。(現実的な力量を無視すると、夢は限りなく広がっていく…)
 監獄改革は、アジアにつながる日本の人権確立運動と思う。それは同時に敗戦後五十年の日本の人権とは何であったかを逆照射しうるものと思う。死刑、存在の抹殺による問題の処理は、戦争の本質である。国家による報復としての処刑は国民を報復者に駆り立てるものである。いつの日か死刑を廃止し、『あやまちは二度とくりかえしません』と国会決議できる時がくることを夢見ている。

監獄人権センター大阪連絡先:
〒530 大阪市北区西天満3-5-4
アカシアビル2階
中道武美法律事務所気付
TEL 06-364-5411