死刑確定者の発信不許可処分等訴訟、一部勝訴

益永 美幸


 東京拘置所在監の死刑確定者・益永利明さんが、教誨師への発信不許可等の処分は違法であるとして、1997年に提訴した国賠訴訟に対し、昨年10月26日、東京地裁は原告一部勝訴の判決を言い渡した。
 この訴訟で争われた処分は次の三件。
  1. 前日の教誨のお礼等を内容とする、教誨師あて信書の発信不許可処分
  2. 原告実父が差し入れた、養親族である姪が写った写真の閲読不許可処分
  3. 原告実父の依頼を受けた原告の養兄が、実父の委任状を兼ねた「送り状」(差入願)と共に郵送した数学教科書の差入不許可処分

死刑確定者の外部交通に関する見解

 裁判所は、死刑確定者の拘禁の目的および法的地位について、従来の理論・解釈を踏襲しながらも、『死刑確定者といえども、死刑が執行されるまでの間は憲法の規定する基本的人権の保障を享受し得る地位にあり、これに対する制約は、(死刑確定者の)拘禁の目的及び性格に基づく必要かつ合理的なものにとどめるべきことはいうまでもなく、とりわけその心情の安定という面においては、死刑確定者が生命を絶たれることは確実であるにもかかわらず、その時期は明らかでないまま拘禁を甘受せざるを得ないと言う精神的に極めて苛酷な状況下にあることに留意する必要がある』と述べている。死刑確定者は、絶望感から自暴自棄あるいは極度の精神的不安状態となり、逃亡や自殺を試みるなどして、死刑執行が困難となるおそれ、拘禁施設の管理運営・秩序維持に支障をきたすおそれがあり、これらの危険を防ぐために、死刑確定者の「心情の安定」を図る必要があるとした上で、そのために必要があると所長が判断すれば、憲法で保障されている権利の制限も認められるというのが、これまでの拘置所=司法の見解であった。しかし、今回の判決では、従来どおりになぞることはせず、死刑確定者の側からその「心情」とおかれた状況を真摯にとらえようとする視点が多少なりともうかがえる。
 東京拘置所は、「死刑確定者の外部交通の一般的基準」を設け、外部交通を原則許可する「親族(勾留後、親族となった者は含まない)」および「心情の安定に資する者」に該当しない者との外部交通について、「裁判所または権限を有する官公署あて権利救済を目的とする文書の発信等については、本人の権利保護のために必要やむを得ないと認められる場合」に限り許可すると規定している。
 今回の判決で裁判所は、一応の合理性はあるとしながら、この「取扱基準」についても、『この基準に該当しないことをもって外部交通を不許可とすることは、死刑確定者の基本的人権を必要かつ合理的な根拠の認められる範囲を超えて制限するおそれが大きく、このような基準に該当するか否かに加えて、外部交通を不許可とすることが拘禁の目的等に照らして必要かつ合理的なものか否かを判断すべき』とし、『判断基準の取捨選択や判断自体に社会通念上看過し難い著しい過誤欠落がある時には、所長の裁量権濫用である』と、踏み込んだ判断基準を示した。

処分についての判断

1 教誨師あて発信不許可処分について
 被告=国は、『個人教誨の場を離れて死刑確定者が教誨師と信書をやりとりすることは、民間の宗教家との外部交通として取り扱うべきであり、当該教誨師は、東京拘置所の「取扱基準」において、「心情の安定に資する者」とは認められず、一般的な外部交通の場合と同様、当該信書の発受が積極的に死刑確定者の心情の安定に資すると認められるか否かを判断して決めるべきであるとした上で、本件信書は、直ちに発信しなければ原告の心情の安定を図ることはできなくなるほどの内容であるとは認められず、次回の教誨の際に直接伝えれば足りると認められた』と主張していた。
 これに対して裁判所は、『原告にとっては、(本件信書を)作成後直ちに発信することこそがその心情の安定に積極的に資するものと認められるものであって、このような効用を看過することは社会通念上著しく不当なものというほかない』『いつ生命を絶たれるかを知らされないまま拘禁を甘受せざるを得ない状態を考慮すると、本件信書の発信を許されないことにより、原告が教誨で得た心の平安は著しく乱されるであろう』として、所長の不許可決定は、このような「考慮すべき要素を考慮せずに」なされたものであり、死刑確定者の拘禁目的等に照らして合理的な制限に当たらず、所長の裁量権濫用であると認定。原告へ3万円の慰謝料支払いを命じた。
 これまで教誨師との年賀状のやりとりなどが、何ら問題なく許可されていたことからも、この判決は当然である。
2 姪の写真閲読不許可処分について
 姪およびその母親である原告の養姉は外部支援活動(死刑廃止運動)に関係しており、本件写真の差入れはこの養姉の意思を受けたものと推認でき、「心情の安定を害するおそれのないものとはいえない」との、わい曲・曲解も甚だしい被告=国の主張に対し、裁判所は、『本件写真が姪を写したものであること、姪が東京拘置所において一般的に外部交通を許可しない方針とされる者であったこと、姪および養姉が原告に対して外部支援活動を行っていたことが認められたとしても、これらの事情から直ちに、写真が「心情の安定を害するおそれのないもの」ではないと判断することは、養姉および姪がする個別具体的な外部支援活動と本件写真との関連性が存在するなど、本件写真の閲読により心情の安定を害するおそれを認めるに足りる他の事情がない限り、合理的でないというべきである』と判断。処分は裁量権の濫用で違法とし、3万円の賠償を命じた。
 姪も含め、外部交通が不許可とされている養親族や友人たちの写真が、これまで多数差入れされ、閲読も許可されている事実から、この判決も当然といえる。
3 養兄からの教科書差入不許可について
 この処分については、今回の判決で唯一、適法と認定されたが、従来のように被告=国の主張を一方的に認める形で、訴えを門前払いするのではなく、疑問の余地を残しての判断がなされた。
 『本件差入を認めることは結果的に、外部交通が不許可とされている養兄との外部交通を許すことになり、原告の心情の安定にとって好ましくないと考えることも不当とは言えない』『一方、本件差入れ物である教科書は、もともと原告が所持していたものであり、これを差し入れること自体には問題はなく、また原告が学習のために差入れを希望しているのだから、差入れを許可する方が原告の心情の安定に寄与するとも考えられる』。
 裁判所はこの二つの考え方を示し、いずれも社会通念上看過し難いほど誤っているとは言い難いとし、所長の不許可判断について、裁量権の逸脱・濫用とまではいえないとして、原告の訴えを退けた。
 原告・被告双方とも控訴せず、今回の判決は確定し、発信不許可の当否が争われていた教誨師あて信書は3年ぶりに発信が許可された。
 「今回の判決が確定すれば、おそらく、教誨師に宛てた、教誨に関する死刑確定者の発信は原則的に許可されるようになりましょうが、それによって、我々死刑確定者が強いられている極限的な社会的隔離状況が変わるわけではありません。この状況を変えていくためには、さらに粘り強い取組みが必要とされるのです」。判決後まもなく、益永利明さんはこう書き送ってきた。
 益永さんの死刑判決が確定して、今春で14年。益永さんは、確定から現在に至るまで、すべての養親族との外部交通が不許可とされている。実父母と実妹は制限なく外部交通が認められているが、実父は高齢のうえ重い持病をかかえ、数年前から面会・文通ともできなくなり、現在は病院でほぼ寝たきりの生活が続いている。自身も身体が丈夫ではない実母が、昨夏、看病と介護の合間をぬって、遠方から1年ぶりに面会に訪れた。米国在住の実妹にとっても、頻繁な面会など不可能だ。再審担当の弁護人も外部交通が認められてはいるが、多忙な弁護人に定期的な面会は望めず、面会や信書の内容も厳しく制限されている。
 益永さんに強いられている「極限的な社会的隔離状況」は、ますます深刻になっている。