12/18 監獄人権センター セミナー1999

リストラティブ・ジャスティスとはなにか

INDEX
  • アメリカの取り組みから 坂上 香さん(TVドキュメンタリー・ディレクター)

  • 恢復的司法の系譜と被害者救済 石塚伸一さん(龍谷大学法学部)

  • 刑事弁護活動(附添人活動)の現場から 山田由紀子さん(弁護士)

  • ジャーナリストの立場から 河原理子さん

  • カンファレンス アメリカの取り組みから
    坂上香さん(TVドキュメンタリー・ディレクター)


     ひとつお断りしておきたいんですが、私は法学者でもありませんし、弁護士でもありませんので、取材の中から見えてきたものや、聞いたこと、そしてこの取材をするにあたっての裏話など、番組では紹介できなかったことについて触れさせていただければ、と思います。
     ビデオでご覧いただいた話し合いの場は「カンファレンス」と呼ばれています。本来は、会議という意味ですが、ここでは「リストラティブ・ジャスティス」(Restorative Justice)のアプローチのひとつして使われています。アメリカでは、このリストラティブ・ジャスティスに非常に関心が高まっています。そもそもリストラティブ・ジャスティスとはなんぞやということですが、英語でリストア(Restore)というのは、なにか物が壊れたり損害や損傷を受けたときに、「もとにもどす」という意味なんです。回復とか修復させるという意味があって、ジャスティスというのは、正義とか司法という意味です。ですから、リストラティブ・ジャスティスというのは、日本では「回復のための正義」とか「回復のための司法」とか「修復的司法」とか「回復的司法」というふうに呼ばれているんですが、私はとりあえず、リストラティブ・ジャスティス(編集部注:以下、「RJ」と略す)と呼ばせていただきます。
     アメリカでは、司法のレベルにとどまらず、学校でもしょっちゅう聞く言葉なんですね。例えばけんかやいじめが起こった時に、「じゃあ、今からリストラティブ・ジャスティス・アプローチでいくわよ」と言ったりします。これを「修復的司法でいくわよ」と訳すと、違和感があるので、とりあえず、RJと呼ぶことにします。
     犯罪による被害や影響をどう恢復するか。これが、RJの基本的考え方です。ここでは、被害者、加害者、地域の住民の三つの立場がカギを握っています。彼らは主体的に、犯罪が与えた影響の恢復のプロセスにかかわるのです。この場合、地域の住民というのがわかりにくいかと思うのですが、これは、被害者側の家族、加害者側の家族、さらには犯罪によって何らかの影響を受けたと感じ、その恢復にむけて自らかかわりたい、と希望するコミュニティーの人々をさします。単に興味本位でなく、恢復にむけて自らかかわりたい、という所がミソです。その三者が、恢復のために話し合いを持ち、みんなで解決を図っていこうということです。
     たとえば、被害者が受けた心の傷や物損をできるだけ回復させるために、犯罪被害者へのサポートを提供する。その際、なるべく加害者が直接責任をとるように後押しする。また、被害者・加害者それぞれの家族、そしてサポートする地域の人々たちの間で話しあうことによって、問題を解決するための多種多様なチャンスを与える。もうひとつは、加害者が地域社会の一員としてやり直すために手助けする。最後に、地域の関係を深めていく中で、公的な安全性を強めていくということです。
     アメリカの場合でいうと、だいたい1970年代くらいから、クリスチャンのメノー派という人たちが積極的にこの考え方を広めはじめたということです。
     カンファレンス自体をリードしていくのは「ファシリテーター」と呼ばれる進行役です。トレーニングで養成します。そのトレーニングを中心に行っているセンターがミネソタ大学の中にあります。「リストラティブ・ジャスティス・アンド・ピースメーキング・センター」。ミネソタの場合、カンファレンスそのものが、被害者と加害者が直接向き合って、そこに例えば弁護士なり調停をする人が入ってという、そういう二者間のスタイルから、カンファレンスという地域まで広く含む形に大きく変化してきた。もともとミネソタ州では、このセンターが、州の刑事司法政策や、教育制度に大きな影響を与えてきました。今では州を飛び超え、45州の様々な分野でRJ的なアプローチが使われています。
     アメリカにおける最近の傾向ですが、まず、日弁連のような役割を担う米国法曹協会(ABA)が、94年の夏に公的にこのカンファレンスを刑事レベルでも支持する、ということを表明しました。96年には、日本の法務省にあたる、司法省というところで、RJに関するはじめての連邦レベルの会議を主催し、RJという考え方を「アメリカの国内中に広める」という方針を打ち出しました。では、被害者団体との関係はどうか。アメリカに1万以上あるといわれている被害者団体の多くが、このRJという考え方、被害者と加害者と直接向かい合って、しかも地域の中で解決していくという考え方に、最初はかなり抵抗があったようです。しかし、両者の歩みよりというか、RJを広めようとしている人たちと被害者の人たちが直接話し合う機会をいろいろと設け、少しずつお互いに歩み寄ってきた。その結果、RJのアプローチも少しずつ形を変えて、今に至っているということです。NOVAという被害者団体の中でも一番大きな民間組織がありますが、最初はRJ的なやり方にやはり懸念を示していた。でも、最近ではNOVAとしてもこういう考え方を支持していく方針へと変わってきたそうです。
     私自身、いくつかの学会、RJ関係の会議に取材で顔を出したんですが、被害者、当事者が来ているんですね。で、必ず批判的な意見を述べて帰って行く。それに対して、RJの人たちも、彼らの言い分をしっかり受け止め、「その指摘はとても大切ですね」という感じで、議論を深めていく。歩み寄りというものの大切さ、当事者同士がお互いに話し合っていく中で、こういうものができてきたんだな、ということを実感しました。
     先ほど45州で実施されていると言いましたが、州の制度として取り入れているというのはまだまだ少なくて、カリフォルニアでも、州というよりは郡レベルで推進されているようです。なかでもオレンジ郡は特に、学校だとか幼稚園だとか公的機関だとか企業にまで、こういう形態を入れて積極的にやっている。もちろん公的なシステムもそうですが、私的な機関でもRJ的なものを問題解決の方法として使いなさいというガイドラインを出している郡もあります。
     RJは制度によって押しつけられたものではなく、一般の人たちが希望しているものだということも感じられました。たとえば、ミネソタ州の世論では、5人に4人が、もし犯罪の被害に遭ったら加害者と直接向き合うことを希望する、という報告があります。4人のうち3人までが、加害者を単に拘留するのではなく、具体的に加害者に被害を弁償してほしいというのです。5人に4人は、刑務所に閉じ込めるよりも、教育、職業訓練、社会奉仕を加害者にしてほしいということです。
     もともと私は、このプログラムをインターネットで探し当てたのですが、すばらしいことばかりが綴られてあって、「本当にそうなのかな」と疑心暗鬼で取材に出かけたわけなんですね。行ってみたら、州によっても、州の中でも郡によって、また郡の中でも市によって、市の中でも町によって全然違って、本当にアメリカって一つの国では語れないことを再確認しました。州が国みたいに、50の国が存在しているような感じで、カンファレンスも千差万別でした。
     結局5つの州を回ってみて、差はあるけれども、最終的にはすごく広まっているんだなあと感じました。たとえば、RJ関係の学会には、連邦レベルの司法政策を操る「司法政策コンサルタント」が大勢来ていました。アメリカと日本のシステムは違うんで私も「その職業は何ぞや」と聞いたんですが、その人たちは、政権が司法政策を作るうえで、具体的にアドバイスをする人だと。それで、「なんであんたたちみたいな厳罰化を支持している人たちがこういうところに来るわけ!」と最初は食ってかかってたわけですけど、みんな一様に「厳罰化はどんづまりだ。もうそれは大統領もわかってるよ。私たちもこれは行きつくところまで行きついたという感じで、新しいアプローチを探しているところなのよ。で、RJが目の前に現れたわけ」と、簡単に言うとそういうことなんです。
     今アメリカでは182〜3万人の刑務所・拘置所に拘禁されている人がいる。保護監察を入れると500万人を超える人たちが犯罪者といわれる人ですね。500万人というのはすごい数ですよね。小さい国ができてしまう数で、アメリカのカリフォルニア州なんかだと、刑務所の職員の数が教職員の数より多く、犯罪矯正予算が教育費よりも上回っているということで、最近その問題が指摘されるようになっているんですね。刑務所もどんどん建築される一方で、私が取材したカリフォルニア州の刑務所では、4000人の収容のところ、4700人入っている。700人の過剰人口です。いままで倉庫だったところに房を作ってなんとかしのいでいるという感じです。どうみてもアメリカは犯罪者をどんどん作り出しているとしか思えない状況の中で、国の司法に携わる人たちは「これはもうどうにもならんだろう」と気づき始めているというわけです。
     カンファレンスに何が期待できるだろうということなんですが、被害者だけでもなく、また加害者だけでもなく、複眼的にとらえている点かなと思いました。番組で取材した、少年院から出所する前のカンファレンスというのは、少年を知る地域の人たちも参加して、社会のみんなでサポートしようとしているように見えて、私は取材をしながらすごく熱い思いにかられました。簡単にできてしまうものではなくて、その準備、被害者へのケア、被害者への深い視点というものがあってはじめて成り立っているんだなと感じました。
     実に様々なレベルのコンファレスがあって、そのレベルによってやることも違います。ストリート・ディヴァージョンとかコート・ディヴァージョンとか初犯で軽いものに対しては、少年院で行われるケースと比べると、短い準備期間です。犯罪の被害にあったら、必ずRJのチラシが送られてくるんですね。これはリストラティブ・ジャスティス・カンファレンス・プログラムと書いてあるんですが、RJとは何ぞやと、大きな字でわかりやすく書いてあります。で、こういうのを送って、読んでもらって、それから担当のファシリテーターが電話をして、実はあなたのケースなんだけれども、カンファレンスをしたらどうかと、裁判所に勧められているのだけれど、あなたはやる気がありますか?と。被害者に必ず意見を聞いて、被害者が嫌だといったら、成立しないんですね。被害者を二度と被害者におとしめないような工夫がなされている。また、いくら被害者や加害者がやりたいといっても、加害者側がある程度自分のやったことに対して認めていたり、悪かったと思っていなければ、これは成立しないんですね。ですから、番組で紹介した少年院の場合にも、あそこまで来るプロセスが長くあったんだと思います。
     番組の中ではださなかったんですが、軽微な犯罪で、裁判所にも通知がなされなかったストリートディバージョンの話を少ししたいと思います。警察が民間の団体に依頼したケースでした。少年3人が、マリファナをある民家の前で吸い、その民家の壁にいたずら書きをして警察に補導された。ファシリテーターは地域のコミュニティーセンターに属するボランティアで、トレーニングを経て経験を積んできた人。学校のソーシャルワーカーが本業です。参加者は30人程度。問題を起こした少年3人と1人の少年のお母さん、そして被害者と近所の人。あとは、ファシリテーターが声をかけた地域の人たち。互いに面識があるわけでもなさそうでした。
     まず、私がメディアの人間だというと、あんまり来てほしくないという感じでした。いろいろ説明して、絶対カメラも持っていきませんし、私一人ですしと言ったら、ちょっと考えてから、「まじめに考えてくれるんだったら、参加してください」と。単なる傍観者として見るのは、加害者にも被害者にも失礼だと、あなたも輪の中に入って参加しなさいと言われたわけです。そのときにいくつか約束ごとをさせられるんですね。今回の犯罪というのが、いつどこで誰がやったかということが具体的にわかるような形で報道するなと。もし約束を破ったら、私たちはあなたを訴えますよと。
     もう一つは、みんなで自己紹介をするんですが、自分の肩書きを言うなということ。普通日本だと自己紹介するとき、私は先生ですとか、弁護士ですとか、ジャーナリストです、とかいうところから始まりますよね。それをやっちゃいけないというわけです。へ?と思って、で私はもともと日本のメディアの人間で、取材のためにここに来ているわけで、どう、他に自分を説明したらいいんだろう、と悩みました。で、その輪の中に座ってとりあえず何人かの様子を見てから考えようと思いました。
     最初の自己紹介のときのっけから、とてもヘビー。「私は麻薬常用者です。薬物を断って3ヶ月目だけど、薬物を使いたい気持ちは断てない」という告白から始まって、ここに来たのは、若いあなたたちに私の二の舞を踏んでほしくないからだと。2人目は、写真を持参していました。お墓の写真です。それを少年たちに回していって、「それは私の友達が去年なくなって、お墓に入っているその写真です。彼も薬物のやりすぎで死んでしまいました。あなたたちはマリファナくらいと思うかもしれないけど、その人も、はじめはマリファナくらいと思って始めたのよ」と、とつとつと語るんですね。そして、何人か言った後に、また50歳くらいの女性が「私は2度3度4度の過ちを許せる、やりなおせるチャンスを与えられる、そういう社会の一員でありたいと思います。で、今日はそれを実践しに来ました」という人がいて、信じられないくらいみんな自分を吐露し、自分の体験を共有しようとしているんです。目の前にいるそれまでぜんぜん関係のなかった少年たちに「ねぇ、やりなおそうよ」という感じで、私も心をゆすぶられてしまって、自己紹介の段階から感動しまくったんです。もちろん、みんながみんなそんな善人だとは思わないんですが、それはファシリテーターが選ぶわけですよね。このカンファレンスには誰を地域から呼んでこようかと。少年たちは、最初はでれでれしているんですけど、後半では、自分の言葉で語るようになったし、写真なんかが、具体的にまわってきたりすると、じーっと見るし、見も知らぬ大人たちが自分のために一生懸命に語りかけてくれるというので、たった2時間のなかで、態度がずいぶん変わるんですよね。たった2時間くらいで、かなり和解というか、加害者も被害者もかなり歩みよることができたということが見られたんですけど、それはストリートディバージョンだけに限らず、どのレベルでも見られるようです。
     ファシリテーターが、どういうトレーニングを経るのかということなんですけど、非常にシンプルなトレーニングで、2、3日で終わるんですね。番組のなかでも少し紹介していますが、ロールプレイ、自分が様々な人の役や立場に成り代わるという試みが中心です。加害者の役もやれば、被害者の役もやり、ファシリテーターの役もやれば、地域のおじさん、おばさんの役もやる。シカゴから女性の警察官が来ていたんですが、彼女がそういうロールプレーを体験するなかで、感想を言ったのが印象的でした。「いやーあたしはどうしても誘導尋問調になっちゃうのよね。いくらファシリテーターとして話を進行しようとしても、警察官だから、白か黒かと言う感じで。だからこれをやっていて、自分はファシリテーターには向かないと思ったわ」と。そういう風に客観的に自分をとらえなおすことができる場を、神奈川県警をはじめとする日本の警察にも設けてもらいたいですよね。
     次に、番組の舞台となった、レッドウイング少年院の話をしたいなと思います。番組のなかではほんのちょっとしか紹介することができなかったんですが、私はこのレッドウイング少年院のプログラムの内容に個人的にはひかれるものがあります。やっぱり加害者が被害者に向かい会う心構えができるまでというのは、かなりのプロセスが必要だと思うんですね。犯罪の内容が重ければ重いほど、そのプロセスこそが必要なんだなと感じました。
     たとえばこの少年院では、グリーフ・グループ・カウンセリングというのがあるんです。ただ単に、自分が喪失したと感じるものを悲しむためだけのクラスなんですね。ここにいる少年たちの多くが、おじいさんやおばあさんや近所のおばさんといった、自分を大切にしてくれたことのある人が死んでしまったことをちゃんと悲しめていない。それはペットであるかもしれないし、ある子にとっては、赤ちゃんの頃に自分を捨て、顔も覚えていない記憶のなかの親の存在かもしれない。エリック君という番組に出てくる少年も、このグリーフグループに何ヶ月か所属していました。彼の場合には、お姉さんが腎臓病をずっと患っていたんですけど、小さいときからお母さんがお姉さんはいつ死ぬかいつ死ぬかということで、関心がいつもお姉さんの方に行っていて、それで彼は寂しい思いをしていたということや、自分自身もお姉さんがいつか死んでしまうんじゃないかということを、どこかで不安に感じていたわけです。少年院に来るまで泣いたことがなかったというエリック君は、グリーフグループで、生まれてはじめて泣いた。
     それから、成人の刑務所から受刑者たちがやってきて語りかけるプログラムもあるんですね。エリック君は、最初の9ヶ月はすごく態度が悪かったらしいんですが、このプログラムを経て、自らが「変わりたい」と思えるようになったらしいんですね。刑務所からきた成人の受刑者の人が殺人犯だったんですが、自分の昔を語ったんですって。自分の少年時代はこうだったと。そしたら、エリックがはっとしたんですって、僕と同じだ。僕も改心しなかったら、この殺人犯になっちゃうと思ったんですって。その殺人犯は終身刑でたぶん25〜6年は最低でも仮釈放がつかないタイプのものなので、ほとんど一生をそこで過ごすようなものですよね。それと自分とを重ね合わせて、「いかん!」と思って、ぼくは今すぐ変わらなくちゃいけないと思った、と言ってました。もちろんこの一つのプログラムで彼が改心したわけではなくて、それまでにも、彼が変わるためのプロセスというのがこの少年院にはあるわけです。テーマ別の自助グループもあって、そこでは何を言っても許される。子どもたちが自分たちのことを思う存分話してもいいグループだから、私たちは入れてもらえませんでした。職員もケースワーカー1人のみ。そこで話されたことについてはいっさい誰にも言わないという徹底しているグループなんですね。
     それから、少年院が社会に「開かれた場」となっている。ボランティアがしょっちゅう出入りしているし、少年たちとも仲良く話しています。刑罰の種類にもよるんですが、少年達も1週間に1回、外へ出られる。職員の付き添いはもちろん必要なんですが。また、職員と一緒に買い物にいったりと、とても出入りが多いんですね。そういう意味では少年院が隔離された遠いものではない、という感じがしました。
     職業訓練でも、地域と密着した形でアルバイト的なことをさせている。たとえば、職業訓練もいろんな種類があって、印刷も最新のコンピューターがいくつも入っていて、それを彼らは操ることができる。インストラクターとも冗談を飛ばしながら、仲良く自然に接している。レッドウイングというところはレッドウイングという靴のメーカーがあるので有名なところなんですが、会社と提携して、例えば、そこの社員の名刺を少年院のなかで作ってもらったりしているんですね。日本の刑務所では何でも秘密ですが、ここでは堂々と隠さずにオープンで、少年たちも、とても誇らしげでした。「ぼくはレッドウイング社の名刺を作っているんだ」という感じで。それが見ていて、ほほえましかった。ただ単に労働する、というのではなく、自尊心の低い少年たちが、自信をつけていくためにも大切だと思いました。  子ども達が重い犯せば犯すほど、そこにいたるまでの過程で、すさまじい体験があるはずなんです。エリックも番組ではあえて出しませんでしたが、お母さんはアル中だし、お父さんは、外に女を作って別の家庭があるし、お姉さんたちは10代の前半から薬物を使ってきています。ものすごく複雑な家庭なんですね。そのあたりのことをは番組のなかでも触れないでくれといわれたので、触れられなかったんですが、やはりここに来るような子たちにはそれぞれの家庭の事情があります。エリックもかなりの虐待を受けていますが、他の子に比べたら親がいて、彼のことを気にかけてくれるだけまだまともなほうかなって。エリック自身も、こんなふうに言ってたくらいです。「僕のグループの中には、お父さんが刑務所にいて、お母さんが売春婦でという人とか、親も全然いないような人とか、帰ったら殴られたり蹴られたりするだけだから、家には帰りたくないという子がいたり。そういう話を毎日聞いて、僕の家庭はまだましだ、ありがたい環境だ、まだやり直せると思った。」
     だからやはりこういうところに来る子たちはすごい環境に生きてきているんだな、と思うんですが、それをきちんとケアするシステムがなければ、社会に戻ってもまた舞い戻ってきてしまうんですよね。この少年院ではカンファレンスだけではなくて、処遇の中にとてもいろんなものを入れている。最終的には、「被害回復のためのプログラム」が言ってみれば終着駅。200人近くの少年のなかで、カンファレンスを体験できたのは、まだたった10人です。そういう意味では、一握りの人しか体験できていないわけで、実験的なプログラムといえます。
     何ヶ月かこういうプログラムを経て、少年自身が、自分のしたことに対して反省の気持ちを持ったと確認した場合、たとえば、ケースワーカーや教師やカウンセラーといった職員が、ファシリテーターのケリーさんに、あの子はカンファレンスができるんじゃないかというふうに勧める。エリック君の場合には、自分本人から言ってきたわけですね。あとは、被害者から、コンファレンスの噂を聞いたんだけど、ぜひやりたいんだけど、という場合もあるらしいです。
     まず、ファシリテーター自身が、少年に確認をします。それもただ単に「カンファレンスをやりたいの?あ、そう。じゃやりましょうね」というのではなくて、10時間以上、徹底的に彼の人生について語らせるんですって。それまでこの少年院で、嫌というほど語らされてきていますが、カンファレンスをやるときめたら、もう一度それを少年自身に語らせるんです。どうやって自分が生きてきたのか、どんな犯罪を犯したのか、被害者に対してどういう気持ちでいるのか、社会に出て自分はどうやって生きていきたいのか、今のプログラムの感想も含めてすべて語らせると。その中でファシリテーターが、「よし、この子だったらちゃんと向かい合ってできるだろう」と判断したら、少年院の関係者とも面接をするそうです。例えば、カンファレンスを勧めたのがカウンセラーだったら、再び聞き取り調査を行う。彼の素行だとか、最近どうしているだとか。とにかく気を付けるのは、被害者を二度と被害者におとしめないこと。で、条件がそろったら、被害者に初めてファシリテーターが連絡するんです。場合によっては家庭訪問をして、とにかく話を聞いてあげるんだそうです。カンファレンスではみんなかなり話すけれども、実はここに至るまでの間で、被害者も加害者もかなり吐露しているわけですね。それを、ファシリテーターが受け止めるわけです。そういう意味では、カンファレンスはセレモニーに近い。そのプロセスを経ないで、「マクドナルド化」なんて呼ばれていますが、簡単にこなしてしまうことは、非常に危ないなと思いました。  カンファレンス終了後は、ファシリテーターが責任者となってその子のフォローアップをします。2ヶ月後とか3ヶ月後にカンファレンスに出た人全員に連絡をするらしく、ケース・バイ・ケースの対応です。カンファレンスである程度決着がついたなと思ったら、あまり介入しないように、変に管理しないようにしていると聞きました。逆に、あまりうまく機能していない時は、保護監察官などと協力しあって合意内容を守るように働きかけを行います。
     まだこのプログラムがはじまって1年半くらいしかたたないので、実現していないんですが、半年後には、カンファレンスを体験した子たちのパーティーを企画しているそうです。こういう子たちというのは、自分たちは悪いことをしたということで、いつも人がやってきて責めるんだけれど、「がんばったね」ということで、「おめでとう」と言ってもらえることがほとんどない。そういう意味では、「がんばったじゃない、コンファレンスもやったし、その時の合意書の内容も全部達成したし、おめでとう」という感じでやりたいのよ、とケリーさんは語っていました。
     少年院でカンファレンスを体験した10人のその後なんですが、再犯は2ケース。ただその内容は軽くて、ひとつは、仲間に脅されて、強盗の現場まで車に同乗したケース。もう一人は保護観察中に、規則を破ったケース。少年院を出ても、保護観察中の子が多いんですね。たとえば、8時までには家に帰りなさいというような決まりがあるんだけれども、それを破っちゃったんですね。非常に軽い再犯。こういうプログラムを経ないで少年院を出た少年たちの再犯率は、7割くらいだと言ってました。その子たちは再犯した場合、さらにひどい犯罪を犯しています。たとえば強盗だったら、次は殺人を犯してしまったり。ミネソタ州では、未成年でも、場合によっては成人用の刑務所に入れられることもあるんですね。ですから、成人用の刑務所に入れられ、かなり重い懲役がついてしまうことがあると聞きました。  日本でも、カンファレンスとかRJという考え方がかなり関心を集めていると思うんですが、私自身はカンファレンスももちろん大切なんだけど、そこに至るまでの過程というのも同じくらいに大切なんだということをみんなに知っていただきたいなと思いました。いままで日本だけではなくて、どこの国でも刑事政策とか司法というものは、被害者と加害者という二者択一的な見方が主流だったんじゃないかなと思うんですが、少年の犯罪を見ていると、ケースによってはどっちがどっちなのかわからない場合もある。犯罪行為そのものはもちろん悪いんですが、少年を責めるだけでは何の解決にも至らない。
     カンファレンスがおもしろいのは、子ども達が自分の言葉で語れるように、地域の、少年達をサポートしてくれる人、しゃべりやすい環境を作ってくれるような人を同席させること。例えばおばあさんが来て、「本当に変わったんですよ」という言葉を投げかけてホッとさせるとか、お姉さんの言葉で、「実は私がこの子をいじめてたんです。非常にかわいそうな不憫な思いをさせてきました」とそういうことを語ってあげることによって、責めるだけでなく、いいところもつらいところも全部出してあげるというようなことが自由に行われています。うらやましいなと思いました。
     もうひとつ、被害者のプログラムというのがアメリカは充実していて、被害者への視点というのが、社会でも強くて、社会そのものが被害者ということを大切にケアする姿勢や体制がある。たとえば、インパクト・パネルというRJの考え方があります。これは、「被害者共感」という意味で、被害者の気持ちを直接聞かせるという場がすごくたくさんるんです。公的機関、特に保護観察や処遇関係の職場ではトレーニングの中に、交通事故や殺人事件など、様々な犯罪被害者を招いて、話を聞くという場を設けています。教育のなかに組み込んでいるというものもあります。だからこそ、被害者へのケアのニーズが社会的にも広く理解され、ケアも充実する。
     日本の場合はというと、メディアを通してはいろいろ伝わって来るんですが、非常に偏った見方が多いかなというふうに思います。加害者を厳罰にすることが被害者にとって援助になるのか、本当に被害者が必要としているものは何か、社会として犯罪に対して何ができるのか。そんなことを考えていくためにもこういう取り組みというのはとても画期的です。大変ですが、やる価値が有るなと思います。
     で、「日本ではそういう土壌がないじゃない」と言われると、もう「はいそうです」という感じで、そこで終わってしまうんですが、だからといって何もやらないのではなく、できることから始めればいいなと思っています。たとえば、岡山の仲裁センターというところが、岡山の弁護士会が中心になって調停みたいなことを刑事レベルでも始めているという記事を目にしましたが、そこでもカンファレンス型のものを取り入れ始めているようです。まず土壌を変えなきゃ、というのがあるんですが、土壌を変えるためにも、こういうものをいろんなレベルで柔軟な形でやっていけないだろうか、と感じる取材でした。


    恢復的司法の系譜と被害者救済

    石塚伸一さん(龍谷大学法学部)

    〔はじめに〕アノニマス・グループでは、「こんにちわ、石塚です」と言うと「Hi!イシヅカ」と応えるんです。私は、いま、大学の先生として紹介されています。高い台に乗って、みなさんを見下してしゃべっています。みなさんは、「エライ人」から話を聞こうと、準備しているいるわけです。こういう関係では、自分の本当の心情を吐露するということはありえません。私がみなさんにお話をするときも、格好をつけた話をしてしまうんですね。
    〔治療共同体について〕私がおつきあいをさせていただいている「ダルク(Drug Addiction Rehabilitation Center)」という薬物依存の人たちの自助グループは、「セラピューティック・コミュニティ(治療共同体)」というコンセプトで運営されています。このグループの一番の特徴は、みんな同じ高さで話そうというところから始めることです。みんな自己紹介するとき、心の中に抱えている、いちばん引っかかっている問題、たとえば、「アルコール中毒の石塚です」「薬物依存の石塚です」「ダイエットに悩んでいる石塚です」と、そういうように自分を表現するわけです。自分が一番こだわっているところをカミング・アウトすることによって対等な関係ができる。不思議なことですが、ミーティングに参加すると、自分も何かつらい体験を言いたくなっちゃいます。つらい体験の言い合いみたいになるんです。  本当は、伝統的な日本の社会も、「腹を割って話そうや」、「実は、俺も昔は悪いことしてたんだけど、今はこんなことしてて…」「そうですか」みたいな空間を持ってたわけです。前近代的な共同体の中には、必ずそういう空間があって、いろりを囲んでみんなで集まって、ファシリテーターとおっしゃいましたけど、村長(むらおさ)かなんかがいて、悪いことをした子がいると、ちょっとお酒かなんか飲んで、少しリラックスした状況の中で、「何でそんなことしたんだ?」ってな話になる。で、「こいつがこいつを殴ったんだ」「どうしてだろう」「あいつはこういうことがあっていつも嫌われてて…」と話をする。そういう中で、最終的にセレモニーがあって、それで問題が解決する。そういう場を前近代社会は持っていたわけです。
    〔国家刑罰権について〕ところがだんだん近代社会になっていくと、悪いことをしたり、人のものを盗んだり、人を殺した人が出てくると、悪い人を「処罰」して問題を解決するのは国家の仕事になっちゃたんです。人を殺した人がいると、お巡りさんが来てその人を逮捕して連れていってしまいます。もし、その人が死刑になってしまうと、二度と地域社会には帰って来なくなってしまう。だから、悪い人には、謝るチャンスがないし、被害者には、文句を言うチャンスもない。地域社会の本来持っていた処罰して問題を解決するという権限が、国家に独占されてしまう状況になります。これが、近代社会ですね。
     近代社会のやり方の長所はどこにあるかというと、みんなが勝手に仇討ちしたり、殺し合いしたりして、社会の秩序が保てなくなっちゃうよりも、国家が代わりにやる方がましだ、という点にあります。でも、トラブルというのは、害を加えた人と(必ずしも加害者というのは特定されているわけではありませんが)、被害を受けたという人がいて、二つの人の相関関係で成り立っていたはずなんです。これを包括する形で地域社会があって、このコミュニティには、問題を解決する能力が付与されていたはずなんです。ところが、近代国家、日本という国家が入って問題を解決してしまうと、地域と当事者のと関係は、国家によって奪われてしまうわけです。「加害者−被害者」関係も基本的に断絶してしまう。
    〔被害者の権利と刑罰権の強化〕結局、国家は、加害者を処罰するという解決方法しか持っていませんから、刑務所に入れるなり、保護観察にするなり、加害者に働きかけるというスキームで対処するわけです。だから国家は当然、被害者に何にもしません。被害を受けた人の代わりに国家が処罰してあげているというのが、国家の責任の取り方です。ところが、被害者の感情から言えば、「俺にやらせろ」と思っている人もいるかもしれません。たとえ犯罪の被害者であっても、「そういうことしちゃだめだよ」と語りかけるのが、刑事司法なんです。
     加害者と被害者の間で仲直りをすることを目指しているんじゃなくて、処罰によって治安を維持するのが国家の仕事なわけです。だから、被害者の人の感情が満たされていないというのは、国家が失敗したということなんですよ。仇討ちを禁止しながら、被害者の感情も満たすために、処罰したんですから、国家は犯罪被害者がゼロになるようにしなければならない。だから、もし満足してない被害者が出たら、ごめんなさいと国家が謝らなければならない。いままで謝ってなかったのがおかしい。
    〔被害者は何を怒っているのか〕ところが、いま、犯罪の被害者たちは、何を一番怒っているかというと、「うちの子供が殺されたのに、加害者の少年は、少年院に入っただけで済んだ。出所してきて、また悪いことしている」と不満を持っていると言われます。でも、よく聞いてみると、新聞なんかで最初に、「けんかの末に少年が殺された。茶髪だったから、その子も不良の仲間だった」と報道される。それでは、そのような情報は、一体、誰が流したのかというと、最初に警察の生活安全課かなんかの人が、「非行グループの子たちの1人が死んだよ」ってマスコミに情報を流しているんですね。
     捜査の過程などで被害を被ることを「二次被害」、マスコミの報道被害を「三次被害」などといいますが、三次の被害を与えたのは国家なんです。国家は、これを謝らない。加害者をより厳しく処罰する、あるいは被疑者・被告人の権利を制約する方向で、刑事司法のシステムを強化して、被害者感情に応えることになります。このようなベクトルの方向転換は、非常にゆがんでいる。「法廷に立って、意見を言いたい」とか、「傍聴したい」とか、「何かひとこと言いたい」とか、たしかに、そういう気持ちの被害者の方もいるかもしれない。でも、その人が感情をそのまま加害者にぶつけたって、加害者には伝わりません。結局、国家権力だけが強くなる。被害者は癒されない。今の法改正が実現すれば、間違いなくこうなるでしょう。今まで国家と加害者−−「加害者」といっても裁判の過程ではまだ断定できないわけですから被疑者・被告人ですが−−、すなわち、被疑者・被告人と国家との間では、圧倒的に国家側が強いわけです。かろうじて、専門の弁護士さんがついて、バランスとっていたわけですよ。いまの世論の傾向を徹底すると、国家がますます強くなる。警察と検察が大きくなって、被疑者と被告人の権利が制限されるわけです。
    〔刑事司法の役割〕レイプにあった被害者が法廷に出てきたときに、前の性的関係や男女関係を聞かれて、心理的にも癒されないような悲惨な状況ができています。その原因は、何処にあるかといえば、捜査段階で調書を作る過程が問題なんです。捜査官は、「あんたも悪かったんじゃないの。短いスカートはいて」などと被害者を責めるような質問をすることも少なくありません。そんなときは、被告人への損害賠償だけではかう、お巡りさんに損害賠償を求めるべきです。被害者の法廷での証言を保障するよりも、弁護人の被害者に対する反対尋問権を制限するという方向に向かいつつあります。反対尋問ができない証言なんてまずいですよね。言いたい放題じゃないですか。誰だって一方的に言われたら反論したい。たしかに、刑事手続きというのは、証人にとってもハードな手続だけど、ハードな手続で闘うから、そこに初めて真実が生まれるという論理になっているのです。それなのに、闘うことを片方に禁じて、「ごめんなさい」って言いいなさいと強制する手続では、裁判官が、遠山の金さんみたいになってしまいます。そうなってはいけないと私は思っています。
    〔刑法学者の後ろめたさ〕今の刑事法学者は、被害者問題について勉強してこなかったことは間違いない。私も含めて、被害者の気持ちがわからなかったことも事実だし、被害者に対してなにもサポートしてこなかったことも事実です。すべて私たちの責任ですが、みんなそれが心の中でひっかかっていて、申し訳ないと思っているものだから、みんな被害者の味方をします。
     私は「刑事手続きの中で被害者の権利はない」、そういう名前の論文を書こうかなと思っているんです。日本に何人かそう言っている弁護士さんもいらっしゃいます。これは悪役ですね。悪役になるというのはなかなか難しいですね。、悪役になるためにはチャーミングじゃないといけないですからね。ともかく、被害者の人たちというのは、この刑事手続きの構造の中では救われないんです。そういうことを誰かが言わなければいけない時期なんだろうなと思います。
    〔アメリカの伝統的刑事政策〕被害者救済をめぐる世界の状況なんですが、アメリカは1960年代から70年代にかけて、非常にリベラルな法政策をとっていました。J・Fケネディの時代やジョンソン大統領の時代に、アメリカは「グレイト・ソサイエティ」、偉大な社会を作るんだという一つの宣言をしました。「偉大な社会」とは何かというと、大きく分けて3つ柱がありました。1番目の柱は科学技術においてトップであること。アメリカは1950年代、有人宇宙飛行船を軌道に上げるときにソヴィエトに負けまして、それではだめだ、アメリカは一番をとるんだということで、1970年代に必ずアメリカ人を月の上に立たせてみせるというふうに言いました。アポロ宇宙船のアームストロングさんが、月に一歩足を踏み出したのは1969年です。「1960年代に絶対行かせる」とケネディが約束したから、アポロ計画は60年代でなければならなかったんですね、70年代だと失敗になっちゃいますから。2番目は、貧困をなくすという約束をしました。そこで、福祉政策を強めていくことになります。3番目は、犯罪をなくすという約束をしました。
     この3つの約束を実現するために、科学主義、福祉主義、犯罪対策についてはリハビリテーションを重視する。だから悪いことをした人も、手に職をつけたり、いろいろな治療をしてあげれば、その人は良くなるんだと考えました。しかし、行き過ぎもありました。『カッコーの巣の上で』という映画にもありましたが、前頭葉の一部が非常に発達しているために粗暴な人がいると。そういう人は、前頭葉の一部を切除してしまえば乱暴でなくなる。でも反応も鈍くなります。こういう手術を「サイコ・サージェリー」っていって、日本でも実施された例があります。そういうことまで行われた。科学万能で、人を治療できると考えたわけですから、行き過ぎると薬を使ったり、手術をしたりということもあったんですよね。 〔社会復帰への疑い〕そういう科学主義に対する反省が出てきた1970年代の後半、ベトナム戦争の時代になってくると、逆にウォーターゲート事件なんかで、アメリカへの信頼がなくなってきます。すると、「犯罪をなくすと言ったけど、現実にはなくなっていないじゃないか」ということで、社会復帰に疑惑が生じてきます。この頃、“Nothing Works”という、何もやってこなかったことと同じだという論文が、マーティンソンという人によって書かれるんですね。これが非常に大きなショックを与えます。
     政治的には、1980年代初め、レーガン大統領が大統領選に勝って、新保守主義が台頭してきます。「包括的犯罪統制法」(Comprehensive Crime Control Act)という法律が1984年にできるんですが、この法律では、刑罰の目的は社会復帰ではなく、応報と犯罪の抑止と隔離だといいます。アメリカでは伝統的に、刑罰の目標は4つあると言われています。まずは応報、この応報というのは応報感情というより、仕返しをするというそういう意味ですね。2番目が抑止です。犯罪を予防すること。3番目が"Incapacitation"、「無害化」とも訳されます。何か悪いことをしそうな人がいると、その人を遮蔽して外界と接しないようにしちゃう。そうすればその人は外で悪いことをしないようになる、そういう意味です。もう一つが社会復帰です。従来は社会復帰を強調しすぎてきたから、連邦のレベルでは刑罰の目的ではなくなって、残りの3つなんだよというふうに宣言をします。
     ところが、坂上さんもおっしゃいましたが、アメリカは連邦と州から成り立ってますから、州のレベルでは社会復帰が進んでいるところもあります。ミネソタ州はスウェーデンからの移民が多いところで、スウェーデンの社会福祉政策や医療政策等が非常に影響を及ぼしているところです。そこでは、70年代からRJのようなプログラムがそれなりにやられていて、その成果がベースにあったんだと思います。だから、アメリカを語るときに、アメリカはこっち向いたといいますけど、アメリカは、全部が向いてしまうんではなくてバラバラになっていますね。
     ともかく、全体的な流れは保守化していきました。その中で、スリーストライクアウトとか、少年裁判所の制限という形での厳罰主義化が台頭してきます。厳罰主義というときに私は2つの意味があると考えています。1つの意味は、必罰主義。何か悪いことをした人は必ず処罰しますという意味。もうひとつは、重罰主義、悪いことをした人をより重く処罰しろという意味。この二つの意味が厳罰主義のなかには含まれている。
    〔少年法と厳罰主義〕必罰主義で出てくるのは少年法です。アメリカの少年の裁判所のシステムは、できるだけ刑罰に持っていかないで保護処分にしようとしてきました。坂上さんがおっしゃっていた「ディバージョン」ですね。ディバート、ダイバートというのは、これは「そらす」という意味です。刑事司法の流れから、外にそらしてあげる。裁判があるんだけど、裁判前にそらしちゃうのを「プレ・トライアル・ディバージョン」、坂上さんのお話にあった「ストリート・ディバージョン」というのは、警察の捜査段階で、ストリートのレベルで、司法に持っていかない。だから刑事司法の流れからそらして、プラス、福祉プログラムがくっついているというのが一般なんです。子供にキャンプにいきなさいとか、ボーイスカウト・トレーニングスクールに3回通いなさいとか、「ブートキャンプ」といって軍事教練みたいなことやっているところに行きなさいというのもあります。そういうプロジェクトに参加しなさいというプログラム付きのシステムなんですね。
    〔自助グループの社会復帰プログラム〕こういった福祉プログラムの中に、ミーティング・プログラムがある。薬物依存の人たちは、「NA(ナルコティック・アノニマス)」、アノニマスというのは、「匿名」と言う意味です。一番最初にできたのは、「AA(アルコホール・アノニマス)」、アルコール中毒の人たちが匿名でミーティングをするという自助グループのシステムですね。基本的には、メンバーは全員薬物をやってるか、前に使っていたことのある人。そういうキャリアを持っていた人じゃないとこのグループには入れない。2000年3月の初めにNAプログラムの世界大会を代々木でやると言っています。ぜひみなさんも参加してみてください。みんなかつて薬物やったことのある人たちですから、法務省が入国を許可するか、それが心配なんですが。
    〔大胆な実験主義〕重罰主義でいえば、例えば、アメリカの刑事政策で、「スリー・ストライク・アウト政策」というのがあります。これはテレビでも報道されましたけど、犯罪を3回犯すと、自動的に終身刑にしてしまうということです。アメリカは「懲役150年」とかいうのもあるけど、アメリカには「善時制度」というのがあって、たとえば1年間刑務所に問題なく務めると2年分ボーナスをくれたりするんです。5年務めると10年ボーナスをくれるんです。それで刑期が減る。懲役150年でもボーナスちゃんともらえば、州によって違いますけど、最低5〜60年、3分の1くらいで、パロール(保護観察つき仮釈放)で出てくるということもありうるんですよね。さらに、恩赦という制度もある。アメリカというのはそういう国です。
     日本で仮釈放なしの終身自由刑を死刑の代わりに創設するべきだという人もいますが、外に出てくる望みのない人がずっと刑務所の中で何をしているか考えてみたときに、そんなの絶対できないですね。
    〔刑事政策の国際化〕1989年〜90年になると、ソヴィエト・ロシアが崩壊する。この頃からアメリカは自らの市場経済を、東の地域も含めて全世界に広げようとします。日本に規制緩和を求めてくるのもこの頃からです。ですから、アメリカン・ルールがグローバル・スタンダードだという論理を展開してくることになります。グローバル化、国際基準化というのは、今、どこでも言っていることですが、これはアメリカ化と同じことを意味しています。ですからヨーロッパでは、EU化という言葉をこれに対応させます。「グローバル化」対「EU化」というんですね。
     そうなると、刑事政策自体も国際化してくる。薬物対策などは世界中の国が手を携えて同じことをしなければならないということで、サミットの国々にアメリカの薬物対策法と同じものを作れというようなことが行われます。アメリカと日本の薬物問題は全く違います。「使ってる薬物がヘロイン・コカインと覚醒剤とは違うのに、なぜ同じ対策をしなければならないのか分からない」と言うと、「いや、ともかくたいへんなんです。コカインが日本にも入るかもしれません」。入ってこないんですよ。日本人はコカイン嫌いなんだから。覚醒剤がよく売れているのは、日本人が覚醒剤が好きな国民だからだと思うんですね。ですから、本当に覚醒剤が入ってこないようにしたいんだったら、日本の覚醒剤を許すような文化自体を問題にしなくてはいけないと思いますが、そうなってないですね。
    〔被害者像の変容〕こうした刑事政策の流れの中で、被害者の立場はどういうふうに推移してきたかというと、初期被害者学というのは、被害者を「有責な被害者」、犯罪を誘発する存在としてとらえていたわけです。たとえば、派手な服を着た女性はレイプに遭いやすいという実証的な研究をします。これはとりもなおさず被害者を非難することにつながるわけで、被害者学は被害者を非難する学問かという批判が内部に生まれてきます。
     また、被害者というのは犯罪者による犯罪の被害者なのか、災害の被害者は入らないのか、というような問いかけもありました。自分の家族を亡くしたときに、犯罪によって亡くした、交通事故によって亡くした、災害によって亡くした、火事によって亡くした、みんな亡くしたということでは同じなのに、なぜ犯罪の被害者だけ特別に取り扱わなければならないのか、というような問題が出てくるわけです。
     遺族の方々が心に負っている傷は、みんな同じはずなんですね。傷を負ったプロセス・種類は違うかもしれませんけれども、傷を負っているということについては同じです。さらに心の傷の形態は個人によっても、犯罪の種類によっても違うのに、「犯罪被害者」という形でくくるのはなぜかという問題提起も、初期の段階からなされていました。
     その後、被害者補償を強めていこうという運動が広がります。これは「寛容な被害者像」というモデルを提示します。被害者というのは賠償がきちんとされていれば応報的な感情が癒されるんだ、だから重罰化を望まない、そういう被害者がたくさんいる。ですから、寛容な被害者がいれば、加害者の側もリハビリテーション、社会復帰のプログラムに、より積極的に参加できるようになるから、被害者の権利を保障することは加害者の権利を保障することとまったく矛盾しないんだ、という論理です。だから、被害者が被告人の重罰を望まないという上申書を出してくれれば刑が軽くなるということしか考えていませんでしたから、補償すれば刑が軽くなるということだけを考えたような運動が展開されます。
     ところがその後、フェミニズムの台頭にともなってレイプの救済運動が始まるんですが、被害者の現状は悲惨だということが発見されることになります。『リップスティック』というレイプの問題を扱った映画がありましたけれども、この頃には「悲惨な被害者像」が強調されるようになります。
    〔怒れる被害者〕その後に「被害者の復権」と呼ばれる状況が出てきます。メーガン法が成立します。メーガンちゃんという小さな女の子が、レイプ犯罪の前科を持った人に強姦されて殺されてしまった。それで、お父さんたちが、メーガンのようなことがもう二度と起こらないように、ということで運動をした。レイプ犯罪者は刑務所を出た後も地域社会に名前を登録するようにしろ、場合によってはインターネットでその名前を公示しなさいと、そういうような法律です。
     もう一つが、Victim Impact Statementというものです。アメリカはすぐ実験してみますから、ある州では有罪判決が出て裁判が終わった段階で、被害者が加害者に対して3回Blaming、非難していいんです。「バカ野郎、この野郎、死ね!」みたいな罵倒3回やるわけですが、そのような形で被害者が思っていることを言わせてあげるという制度を取り入れるべきだということなんですね。ここには「怒れる被害者像」というのがあるわけです。
     しかし、マスメディアが「怒れる被害者像」を当たり前と考えるようになると難しい問題が生じてきます。例えば、死刑事件の被害者のところに行って、「死刑が執行されました。どう思われますか?」なんて聞くと、「本人が死刑になったからといって、心の悲しみはなくなりません」。無期懲役の判決に、「残念です」。そういうコメントが返ってくるようにインタビューする。「怒れる被害者像」というステレオタイプが浸透すると、被害者が加害者を許すという気持ちを表現したとすると、自分の子供たちを愛していなかったんではないかと非難されるのではないかと思うようになる。そうするといきおい、コメントがエスカレートするという状況が生まれてきます。
    〔過剰拘禁と財政負担〕ともあれアメリカではこういう形で被害者救済が進んできました。そういう中でRJが出てきます。なぜか。いろんなプログラムが全米で行われている。プログラムやるのにお金がかかるんですね。お金がどこから出てるか考えると、理由が分かるんです。これは、介護保険法と同じ構造です。病気の人をすべて病院に収容して、国の保険で補助したとすると、非常にお金がかかります。それでどうするかというと、中間的な施設を作って、社会の中で、リハビリテーションをしたり、治療をする。あるいは在宅介護をしていくことにすれば、お金はかからなくなります。アメリカの司法省からみると、180万ものプリズナーを抱えて、全員食わしていって、新しい刑務所を作るよりも、できるだけ早く外へ出す。あるいは、入ってこないようにする。そういうプロジェクトを作った方が明らかにメリットがあるわけです。
     刑事司法アナリスト(Criminal Justice Analist)のような人たちが、これが一番効果的だというのを財政的な問題も含めて政策提案する。アナリストというのは、「今は危機で、これを克服するためには、なんとかしなくてはいけない」と言わなければならない。経済アナリストというのは、みんな、「今は、最悪だ」とか、「改革が必要だ」とか、いつも言っているでしょ。そうしないと儲からないようになっているわけですから、今は変革の時期だとずーっと言ってますよね。株価はこうなるとかなんとか言ってね。「じゃあ、自分で買えば良いじゃないですか。そうすれば、君が一番儲かるのに」って思いませんか。多くのアナリストは、「いや、僕は株は買わない」なんて言っています。
     それと同じなんです。刑事司法アナリストは、分析して、自分は刑事司法にはコミットしないけれども、「刑事司法をこういうふうに運用すると儲かるよ」と言います。「タフな政策を続けていると、刑務所が満杯になりすぎて、このままだと損です。だから、もっと外へ出すようにしなさい」と言うわけです。でも、リハビリテーションに戻るわけにはいかない。リハビリテーションというのは、食事の面倒をみて、プログラムもやるのだから、当然、お金がかかります。本音は、できるだけ早く外へ出したいんです。ところが、早く出して再犯されるとマスコミにたたかれますから、そうはいかない。
    〔社会内処遇の台頭〕そこで、プロべーションや社会内処遇の数を増やすということで、アメリカは民営化と平行して、「電子監視(Electoric Surveillance)」という方法を考えたんですね。あまり重くない犯罪の人は刑務所から外へ出すんです。自然保護で渡り鳥なんかの足に発信装置を付けて、どこを飛んでいるか分かるという、あれ。最近、PHSとかを徘徊の危険性のある方に持たせて、どこにいるかを調べるというのをやってますが、あのイメージです。
     500万人の社会内処遇ってすごい数ですよ。放っておくわけじゃなくって、呼び出してプロベーション・オフィサーの人がカウンセリングしたりするわけですから、ちゃんとやると、ものすごくコストがかかるんですね。500万ですよ。東京の人口のほぼ半数近い人たちに何かのプログラム提供しなきゃならないということですから。じゃあどうしようか、いい方法はないか、ということになります。
    〔RJのマクドナルド化〕そこで連邦政府は、地方自治体を働かせようと思いついた。地域社会が何かそういう新しいプログラムをやると、司法省が補助金を出すんですね。なかには破産しそうな市町村もありますから、市町村は新しいことやったからどんどん補助金を下さいと言います。RJでは、ボランティアでも常勤職員でもファシリテーターが必要ですから、市町村に雇用される。新たに雇用も創出されるし、補助金も出ますから、どんな小さい町でもカウンティやなんかも新しいプログラムを全部使う。それがRJの「マクドナルド化」や「ディズニーランド化」につながるわけです。
     あたかもフットボール(サッカー)がアメリカに渡るとアメリカン・フットボールになるように、RJと言う言葉が本来持っていた意味と違うような形でアメリカナイズされてアメリカ型のRJが出来ているんだと思います。
    〔RJの系譜@:オセアニア〕じゃあ、オリジナルのRJはどういうものかというと、一番基本にあるのは、オーストラリアとニュージーランド、オセアニア系のものだと思うんですね。国家が刑罰権を独占している以上、適正な手続に基づいて刑事司法が行われなければならない。しかし、だからといって国家がすべての刑罰権を独占してしまうんではなくて、地域社会にある問題解決能力をうまく使って、国家の刑罰権と地域の問題解決能力の二つを融和させていこうという方向です。ニュージーランドの先住民族、マオリ族の中にあった修復的・司法的問題解決の仕方、村長を中心にしてカンファレンスを開いて、事件を解決していくというやり方を見習う形でできているのがRJの出発点だと言えると思います。
     世界で最初に被害者補償法ができたのは、ニュージーランドで、1963年、東京オリンピックの一年前です。その後に、犯罪の被害に遭った人も、災害の被害に遭った人も同じ被害者なんだから、74年には、国家災害被害補償制度の中に、犯罪被害者問題が統合されます。その後、刑事裁判所の中で賠償命令だとか、特に犯罪被害者に対する特別法だとか、ファミリーグループ・カウンセリングを入れた「児童、少年及び家族法」という法律を作ります。これは全部、枠組みが福祉なんですね。福祉制度の枠組みの中で、こうした問題を解決していくというところにオーストラリア・ニュージーランドシステムの基本的な方向があると思います。
    〔RJの系譜A:北欧〕大陸法ですが、ヨーロッパでは大きく分けて2つの流れがあるように思います。ミネソタにも影響を与えた、スウェーデン、ノルウェー、フィンランド、オランダなんかも入るかもしれません、そういうヨーロッパの小国の、元来地域社会が持っていた問題解決能力を活かした形での、犯罪処理の仕方、これを最近「コミュニタリズム」と言います。これは、法哲学的に、ムーブメントのレベルでいうと、1970年代からの「アボリショニズム」の影響を受けています。これは、ミシェル・フーコーの『監獄の誕生』からも影響を受けたりしているんですが、刑罰制度を廃止しようという、非常にラディカルな思想です。  「じゃあ、犯罪が起きたらどうするの?」「社会の問題として解決してみろ」と。イヌイットの人たちにはイヌイットの人たちなりの問題の解決の仕方がある。そこにアメリカ合衆国の法律を無理矢理適用しなくたって、地域社会は成り立っているじゃないかという考え方です。少数民族の人たちに少数民族の人たちなりの問題解決の仕方があるなら、それを尊重すべきじゃないか。そういう主張と相まって、すべての地域社会で、問題を解決する可能性があるんだということで展開されていくのが、このアボリショナリズムの流れです。
     この反集権化の論理、ある種の分権化思想と繋がってくるわけです。なぜかというと、コミュニティだとか地域社会のレベルにある行政権というのは、福祉と教育です。国家が持っているのは治安です。ですから、国家に権限を集中しないで、地域社会に、犯罪・非行の問題をおろすということは、とりもなおさず、福祉・教育の問題として犯罪・非行を扱うということを意味します。国家が抱え込むということは、治安の問題として扱うということを意味することになるからです。
    〔RJの系譜B:ドイツ〕もう一つは、ドイツの流れで、これはドイツでは「第三の道」と呼ばれています。そもそもドイツは二元論の刑罰体系・制裁システムを持っています。一つは伝統的な刑罰、もう一方は保安処分とか改善処分という危険性に対する治療・保安の処分です。その他に、「第三の道」として刑事和解(Tater-Opfer-Ausgleich)が1980年代の中頃から出てきました。
     これは、例えば、少年が自転車なんかを盗んだという話があったときに、すべて刑事事件として扱うことをしない。ドイツでは起訴法定主義といって、検察が有罪にできると考えた事件は、必ず起訴しなければならないという制度を持っている。日本のように起訴猶予にしたりはできません。軽微な事件で起訴はされてきたけれども、最終的な処分まで至らせる必要がないとなると、手続を打ち切ることが裁判官の判断でできるんです。この刑事訴訟の手続打ち切りという制度を活用して、被害弁償をしていたり、被害者に対してきちんと謝罪していたら、手続をうち切るという条文を新たに作りました。これが刑事和解という制度として新たな3つ目の制裁の方法になりました。
     ところが、これがだんだん定着して行くうちに、殺人罪についてまで刑事和解ができないかという話が出てきました。ミュンヘン大学のシェッヒさんは、かなりラディカルに刑事和解を殺人犯罪にまで使うことができると主張しています。これは、象徴的刑事和解(シンボリック・テーター・オプファー・アウスグライヒ)というんですが、要するに、お金で弁償する、あるいは心の底から謝まって被害者に許してもらうということは、つまり被害を慰謝することによって、国家に、法規範に対して敵対的な態度を私は持っていないんだということを示したことになる。国家としては法規範に対して敵対的な態度を持っていない人をあえて処罰する必要はないから、そういう人を刑事和解で処理したって構わないんだ、という論理に広がっていくことになります。
     RJというのは、非常にいろいろな色合いを持ったものを最近の一つの傾向として呼んでいる一種のはやりみたいな言葉になっているわけで、ひとつひとつ、それぞれの国の中で使い方が違うんだということです。
    〔日本の被害者救済論〕じゃあ日本の被害者救済論との関わりでRJというのはどういう意味を持っているのかということですが、日本では被害者の救済論は、7つくらいの時期にまとめることができると思います。
     まず、死刑廃止運動が昔からやられているなかで、被害者遺族の方がいらして、その被害者遺族の方が死刑にすることを望んでいませんという発言を、非常に積極的になさっている時代がありました。いわばこれは被害者問題の前史だと思います。
     しかし、被害者問題が非常に注目を集めたのは、いわゆる三菱重工爆破事件で、多くの方が被害を被った、あるいは通り魔殺人事件があったということで、1980年に「犯罪被害者等給付金支給法」というのが作られます。これの制定過程を見てもわかるんですが、日本政府はこれを「見舞金」だと位置づけています。日本政府は見舞金というのが好きですね。賠償金とは言いません。
     1980年の中頃になると、暴力団対策とか消費者被害対策との関わりで被害者運動というのが出てきます。ここでの「被害者」というのは、単純な犯罪の被害者というよりも、地域での紛争とか、暴力団との関わりでいろいろ起きた問題の被害者の運動で、ここでは新しい傾向として弁護士さんたちがコミットしてきます。弁護士会の中には、最近「被害者族」と呼ばれるような弁護士さんたちがいらっしゃいます。「なんとか被害者弁護団」というのを組んで、警察と一緒になって被害を協調する立場の人たちですが、そういう人たちのはしりがでてきたのが、この頃だと思います。
     「被害者学会」とか「犯罪被害者相談室」というのができるのもこの頃です。宮澤浩一先生が「犯罪被害者学会」の会長になられるわけですが、宮澤先生は、世界の「被害者学会」の会長でもありました。で、当初は研究者の集まりだったんですが、ここに警察の人たちが積極的にコミットしてきます。それで警察のファンドからお金の援助を得て研究を展開するようになります。
     1980年代の中頃からこういう傾向が生まれてきて、その成果が90年代に入って出てくる。東京医科歯科大学の犯罪被害者相談室のことは、小西聖子さんの本を読んでいただければ分かると思います。犯罪被害者対策というのが強く強調されるようになるのは、90年代に入ってからで、組織犯罪対策法とかオウム対策問題ということで警察主導の犯罪被害者対策というのが進められるようになってきます。その中で被害者の方に通知をしなきゃいけないとか、そういうような対策がなされるわけです。しかし、よく事案を調べると分かるんですが、取り調べに類したような非常にハードな事情聴取が一番最初の段階で警察によって行われていて、それでいっそう被害者が傷ついていたりするんですけれども、それをむしろくるっとひっくり返して、被害者に対する支援は警察でやる、警察に被害者対策室を作ったり、カウンセラーの女性を置いたりということが始まります。
     もうひとつは、神戸の少年事件をきっかけに、97年の12月ころ、少年法「改正」問題と「少年犯罪被害者当事者の会」というような会が結成されたことが、自民党を中心とした勢力によって強調されることになります。この被害者の会の意見を聞いていると、私は立法で扱われているような重罰化を彼らが望んでいるとは思わないのですが、政治的文脈ではそういうように使われる。
     そして、99年の10月26日に法制審議会への諮問があった。@性犯罪の告訴期間の撤廃または延長、Aビデオリンク方式による証人尋問、G証人尋間の際の証人の遮蔽、C証人尋問の際の証人への付添い、D被害者等の傍聴に対する配慮、E被害者等による公判記録の閲覧および謄写等、F公判手続における被害者等による心情・意見等の陳述、G民事上の和解を記載した公判調書に対する執行力の付与、H被害回復に資するための没収および追徴に関する制度の利用という、@からHに挙げられた項目ですが、それぞれ確かに検討の余地はあると思います。「被害者対策基本法」のような法律を作る方向でいま検討されているようですけれども、このどれが成立したとしても、被害者の人たちは決して救われないと思います。やるべきことはこういうことではありません。これはひとつの法制度という手段でしかありません。

    〔むすび〕
    私たちがNGOとして市民レベルで考えていくべきこととすれば、それは被害者の人たちとどう一緒につきあっていくことができるか、もう一方でいえば、加害者の人たちとどうつきあっていくことができるか、だと思います。これは両方とも同じ事で、人間同士がどうやってつきあっていくことができるのかについて、今の社会における関係性を治さないと、とんでもないことになっちゃうよと、そういうことだと思います。


     当日、セミナーに参加された弁護士の山田由紀子さん、ジャーナリストの河原理子さんに急きょコメントをいただきました。お二人は現在、アメリカの犯罪者社会復帰施設「アミティ」のメンバーを日本に招へいする準備をなさっています。山田さんは弁護士として、議論が高まっている少年法問題について中心的に活動されています。また、河原さんは朝日新聞の記者として1998年3月から「犯罪被害者」シリーズを連載し、このほど『犯罪被害者』(平凡社新書)を出版されました。


    ◆コメント@ 刑事弁護活動(附添人活動)の現場から

    山田由紀子さん(千葉県弁護士会)

     山田由紀子と申します。今まで現在の被害者の立場というところは浮き彫りにされたと思いますので、どちらかというと、被害者対策をしてこなかった、逆に被害者をキヅつけてきたかもしれない刑事弁護人の立場で、少しお話をします。
     私は刑事弁護といっても主に少年事件を中心に活動してきました。少年審判では、被害者が審判廷に入れないということで、いま被害者の権利が叫ばれている中で、とりわけ責められるような立場にあるわけです。少年事件で少年の側に立った場合に、被害者と向き合えないということが、少年自身にとっても非常に大きな問題です。例えば、人を殺してしまったというときに、ある人が死んだことを実感するということは、身内の者であってもそんなに簡単にできるものではありません。例えば、病院に行った、危篤を告げられた、息をひきとった、白い布がかぶせられた、あるいはお葬式があった、焼き場に行った、納骨があった、そういうひとつひとつの手順、かたちを踏みながら、身内ですらも、「あぁ、あの人は死んでしまったんだ」と、少しずつ納得、実感していくものなんですね。ところが、ある日、ある瞬間、包丁を持って突き刺してしまって、その被害者がそこに倒れて、ほとんど即死状態で死んだとします。その時は、少年にとってはパニック状態です。その後はもう警察の留置場、少年鑑別所です。「被害者が死んだんだ。おまえはちっともわかっていないじゃないか。実感してないじゃないか」と言われても、その少年は何か他人事の、夢の中のできごとのように、「うーん。そうなんだ。ぼくは人を殺してしまったんだ」と頭で一生懸命考えるんですけれども、自分の実感として生身の人間が一人死んだということをとらえることは到底できません。私は附添人として示談の関係などで、例えば被害者のご遺族がお葬式をあげているところで、お目にかかる場合もあります。時にはお焼香もします。ですから、弁護人である私は少なくとも実感できている。そのことをいくら少年に伝えても、少年にとっては伝聞でしかないわけです。テレビのニュースを見ている一般市民の方がよほど被害者の気持ちが分かる。当事者である少年には分かりようがないんです。
    そういう悩みを抱えていたときに、一年ほどアメリカで少年法の勉強をする機会がありまして、このファミリー・カンファレンスというものに出会って、私はああこれだと思ったんですね。少年は被害者と向き合うことではじめて、自分がしたことの実感、なまの事実と向い合うあうことができます。日本の刑事司法ですと、少年法の問題だけでなく、警察とか周囲の人間も説教がましい。はじめから道徳的に「おまえは悪いことしたんだ。どんな目に遭ってもおまえはしょうがないやつなんだ」というレベルですから、加害者も平身低頭して「おれはどうしようもない人間です。申し訳ございません」って、毎日言ってるんですけど、でもそれは警察・裁判官に対して「ごめんなさい」なんですね。被害者に対してとか、起こしてしまった実害に対して、本当に埋め合わせなきゃ、責任とらなきゃ、という気持とは違うんです。「少年にとっての反省」「立ち直り」とか抽象的に言葉で言うのは簡単なんですけれども、その出発点として実感、感性で事実を受け止めることがない限り、どんなに説教されても、お行儀よくする、規律正しく生活する、というだけで、本当に反省や立ち直りにはならないんですね。
    カンファレンスが日本でどういう形で可能になるか。カンファレンスは、その国、土地、その地域によってやり方違っていいと思うんで、日本にはきっと日本にあうやり方があるんじゃないかと思います。それを少しずつでもいいから日本に実現していきたいという思っています。
    それから、犯罪者の側の被害者性というものも大きくあるんですね。坂上さんのお話にもありましたけれども、大きく言えば、社会や家庭に虐待されてきた、その被虐待者が、その反動・あらわれとして犯すのが犯罪である、と言ってしまってもいいくらいなんです。ただ日本社会では、お説教がましいところから始まってしまうので、犯罪者が自分自身の持っている被害者性を外に向けて訴えかけるとか表すというのは「とんでもない、おこがましい」と押さえつけられている。ですが、それでは本当の立ち直りはできません。アメリカの「アミティ」という施設では、犯罪者が自分の被害者性と向き合い、立ち直るということが、すばらしい形で行われていて、非常に感銘を受けます。4月にはこの施設のスタッフの方たちに来ていただいて、全国をキャラバンでまわるということを計画していますので、ぜひ参加していただきたいと思います。


    ◆コメントA ジャーナリストの立場から

    河原理子さん(ジャーナリスト)

    今日は1日ものすごくたくさんのことを考えました。私が被害に遭った人やその家族から話を聞くようになったのは、たかだか4年前くらいのことです。日本のすべての被害者を知っているわけではありませんが、そうやって実際に私が見てきた日本の犯罪被害者たちと、先ほどのビデオで見せていただいた、向き合って泣きあって加害者を地域で受け入れて行こうという方たちと、ある種ものすごく対極にあるものだなと感じました。対極にあるというのは、対立構図という意味ではなく、つながっているはずだ、ただ、遠い先にあると思いました。
     坂上さんのお話で「画面に映ったのは最後の結論部分で、あそこに至るまでの過程がすごく大変だし、準備が大切なんだ」と聞いて、多分そうだろうなと思いました。岡山弁護士会の仲裁センターで行われた、少年事件の被害者の家族と、加害を認めている少年たちとその家族が向き合って話し合うという試み。あれも「被害者の同意がなければ始めない」という約束の元に始められたようですが、テーブルに着く時点、ある程度向き合えるようになった時点で、おそらく問題の一番大きい点はクリアしたのでしょう。仲裁人が当事者にかなり気をつかって「こういうものがあります」「強制するものではありません」と制度を綿々と説明をした上で、かつ当日までにベテランの弁護士とカウンセラーがそれぞれに会って、何回か話を聞いたそうです。その上で、対面、同じテーブルに着く。それも裁判所のように高いところと低いところがあるわけではなくて、楕円形のテーブルに着いて話をする。そうしてテーブルに着いたところ、ののしりあいを経て、予想していなかった些細な言葉、「被害者側がそんな思いをしているんだったら、もっと早く謝りに行けばよかった」と加害者側がふともらしたことをきっかけにして、民事で被害者側が本人訴訟を起して何年も続いていた事件が、一転して和解にこぎつけた、と聞きました。初めて互いの気持ちがわかった、と。  一方、石塚さんがおっしゃった、死刑を求刑されて判決が無期懲役では「許せない」という声も、よくある。地域で向き合う場だとか、被害者の声を聞く手厚い支援がある環境と比べ、日本は石塚さんがおっしゃったような、国家が報復を禁じてその代わりに刑罰権を行使するという単線構図しかない。
     実際に被害に遭った人たちの声を時間をかけて聞いていると、求刑あるいは判決のときに「どう思いますか」というある種決まりきった質問と答え、あえて怒らせるように聞いているわけではありませんが―、相反するものも含めてものすごくいろんな感情が胸のうちにある。それを、今の日本の環境の中で、「許すのか」「厳罰を求めるのか」と二項対立でつきつけて回答を求めることには、無理があるのではないかとも感じます。自分の大切な人が命を奪われた場合、感情的なものをそのまま口にすれば、「殺してやりたい」という感情は、あって不思議はない。イコール死刑を求めるかどうかというと、本当は、ずれもあるかもしれない。一方で、「死刑じゃなくていいのか」と責められると、また困る。
     もっと、本当はきめ細かなものだと思うのです。それが、聞いてもらえる場もない。報道も、いろいろある感情の中の断片、そこしか見てなかった。非常に不幸だなと感じました。
     それから、おっしゃられたように刑事裁判だけで何かが100%解決するということはありえない。
     被害者遺族が本当は何を求めているのか、本当に求めているのは、事件に遭う前に戻してほしいということで、それはできない。できないときに、それを受け入れて次に何をしてほしいか。「二度と自分と同じ被害に遭う人がでないようにしてほしい」と、よく言われます。加害者が認めたとして、その人が二度と罪を犯さないようにしてほしい。類似の事件がないようにしてほしい。それから、「心からの謝罪がなければ被害者は立ち直りを始めることが難しい」という言葉もよく聞きました。刑事裁判が終わったどころか、被告人は懲役刑も終えて社会に復帰しているという遺族からも、その言葉を聞きました。その遺族は加害者と話そうとして、探そうとするんですけれど、直接話を聞くことはできない。向き合う場、思いをぶつけられる場がなかったんですよね、その20年近い過程の中で。刑事的な手続きとしてはすべて終わっても、それがイコール被害者にとっての「解決」ではない。
     あと被害者がよく言うのは、「申し訳ありませんでした」と被告人が公判の中で、被告人が認めて頭を下げたとして、それは裁判長に向かって頭を下げているのであって、私に向けてではないと。しかも、傍聴席にお尻を向けているわけですよね。「私にお尻を向けて、むこう側に頭を下げられても、私が謝られたという風には感じられない」と。向き合う機会もなくて、あるとしてもずっと代理人。結局どう思っているかというのはずっと分からない。
     対面したくない被害者もいますし、現状のままで対面だけを求めるのは危険だと思いますが、日本は何かとても被害者と加害者が切り離されているように感じました。
     たぶん坂上さんのビデオのところまでに至るには、手厚い被害者支援など、ものすごく長い過程が必要だと思います。結果だけを輸入することはできません。けれども、坂上さんが最後におっしゃったように、遠いから何もできないのではなくて、できることからやっていかないと多分そこに届かないかな、と思いました。