監獄人権センター 第4回総会 報告


CPRの活動について  CPR副代表 菊田 幸一

 CPRも4年を過ぎたわけですが、センターの果たして来た役割は大きなものがあるでしょう。この数年間、監獄訴訟の判例を調べてきましたが、今までなかった判例が幾つか出て来ている。所長の裁量ということで認められていたことが覆されてきている。これは多くの弁護士の努力の成果だと思います。それと同時にこれまで受刑者がいかに人権侵害を受けてきたかを物語っていると思います。  私は去年『検証・プリズナーの世界』という受刑者から聞いた記事を載せた本を出しました。獄中にも差し入れましたが、墨塗りがあると予想していましたが、おおむね入っている。あるケースでは「おまえはいま見なくてもいい。外に出てから見ろ」と事実上見せないといった日本型処理がなされている。日本の受刑者は、問題になる以前に処理されてしまう、ということが大変重要な問題としてあると思います。こういった事態にいま、国内法より国際人権法が優先されるということが裁判でも言われ始めています。こういった論理で日本の受刑者の問題に対処して行くのでなければ国内的にではどうにもならないのではないかという気がします。

 先程の海渡さんの話で『刑政』の中でいい面、悪い面があるという話でしたが、私に言わせればとんでもない。特に行刑を巡る連載記事の中で、役人が「私見」と断っているが、ヒューマン・ライツ・ウオッチのレポートにしてもその他の勧告にしても無視したり、刑務作業中の受刑者の沈黙は日本における伝統的姿であり、今までふしだらな生活をしてきた者に勤労精神を十分学ばせるのだといった論調が満ちあふれている。『刑政』という雑誌は、昔は識者が理念を展開するような形で職員に指針を与えるような論文が掲載されていました。今はそういった論文が一切載っていない。これは部内の雑誌なのですが、部外の学者や研究者すら当局の論調に従うような論文ばかりを載せるという非常に情けない状況です。ですから国内的な働きかけでは日本の行刑を前進させることは全くの暗闇でどんどん悪くなって来ている。

 受刑者の人権の先端には死刑があります、一昨日に死刑の執行がありましたが、死刑の問題は人権の最先端です。死刑はわれわれ国民の人権がこの程度だという象徴だという気がします。人権について言えば、十分満たされているという国はどこにもない。実務家にしろ研究者にしろ、これからどのようにして人権を実現していくのかということが、その国の姿勢です。ところが日本はそうではない。「日本型行刑」でいいんだということで外国に向かって居直っている。今度の国連の規約人権委員会に対するレポートもそういった姿勢が貫かれている。国際的な面から日本を動かして行かなければどうにもならない。今日は国際的な視点からお話しをいただけるということで非常に重要なことだと思います。