「切り取り新聞」差し入れ妨害訴訟結末記

舟木 友比古 (仙台弁護士会)


1 この訴訟は連続企業爆破事件の5被告人が東京拘置所の処遇に対して86年6月、国家賠償を請求したものです。
 私の率直な感想を申しますと、長い裁判でした。そして残念な結論でした。3つの請求原因のうち、1つについてはともかくも請求が認容されました(賠償額は余りに低額なのですが)。しかし、残りの2つについては請求棄却です。ところがこの請求棄却された事項(具体的には、新聞差入れと死刑関係図書の閲読です。)の方が獄中者には影響が大きいと思います。

2 訴訟の経過を略記しますと、

3 訴訟の内容を紹介します。
(1)の背景には東拘が85年12月まで約10年間、通常日刊紙の左下隅を切り落としたもの(東拘はこれを「切取り新聞」と命名して、購読する「通常日刊紙」と区別しています。正確に言うと85年12月にこの区別を新たに設けたわけです。)の差入れを是認してきた実態があります。ところが、85年12月に、東拘は突然、「切取り新聞」の差入れを拒否する方針を打ち出したことが発端です。
 「切取り新聞」の差入れを是認してきたことには根拠がありました。獄外者には新聞は読んでしまえば用済みですが、獄中者にはたとえ1日遅れでも閲読の価値があります。しかも新聞購読代金もかなりの負担になります。東拘の立場からしても「切抜き新聞」(新聞紙面を個々に切り抜いたもので「切取り新聞」と区別しています。)よりも1紙全部の方が差入れ審査が容易であったという事情があります。  このような合理的根拠のある「切取り新聞」をなぜ拒否することにしたのか、東拘の真意はわかりません。おもしろいエピソードとして、「切取り新聞」の差入れが禁止されたので、「切り抜き新聞」を多数差入れる例がでてきたことに対して東拘窓口係官が『以前の方がよかった。』と泣き言を言っていたとか。国は「切取り新聞」差入れ禁止の理由として、事務量の増加を挙げていますが、その実態は明らかではありません。

 (2)は具体的には、『ジュリスト・判例百選(刑法総論)』の「死刑の執行方法」の項目、『死刑執行』(村野薫著)です。死刑の違憲論を主張する上ではいずれも基本的文献と思われますが、東拘は閲読を禁止しました。
 国は閲読禁止の理由として、閲読すると極度の精神的不安になるからというのです。しかし、違憲論の研究に必要であるというのに対して、本人の精神的不安というのは反論になるのでしょうか。東拘の真意は死刑執行の密行性の維持にあるように思います。

 (3)は、被告人の一人が懲役7年の一審判決で既に10年の未決勾留という逆転現象が生じていたのですが、この不当性を上告趣意補充書で主張するため、弁護人に東拘の未決状況を記載し郵送しようとしたところ、東拘は『都合の悪い』30数箇所を切取ったという事案です。信じがたい事案でしょう。しかし、東拘は削除した部分は『虚偽』『捏造』が記載してあるとして合法だと主張したのです。

4 一審判決の内容を紹介します。
 結論は先に述べたとおりです。(3)はさすがに勝訴しました。いかに東京地裁と言えども、の感想です。ところで一審判決の内容のトーンは決して悪くないのです。例の83年最高裁判例(最大判昭58.6.22、判時1082,3)に依拠してかなり格調の高いものでした。しかし例の「放置しがたい障害が生ずる相当の蓋然性」の個別事案への適用において、きわだった結論にわかれてしまいました。(1)(2)と、(3)とでは、「放置しがたい障害」など差異がないように私には思えます。
 判決を裏読みすれば、(3)では弁護士も被害者だからというのが実質的勝訴の理由なのでしょうか。仮にそうであれば、「放置しがたい障害」云々という基準は“お飾り”にすぎないということにもなります。しかし、「放置しがたい障害」論を定着させるためにはその具体的内容を明確にしていく必要があります。その訴訟技術が私たちに求められていると思います。

5 控訴審判決、上告審決定は話しになりません。ところで控訴審で東拘の職員(課長)が証人として証言しました。その時「施設の規律は一朝一夕になるものではない。東拘には何百年という過去の歴史がある。」云々と証言したのです。これには驚きました。“東拘の何百年の歴史”というものを浅学な私は知りませんでした。この証人もつい口から出たのでしょうが、この証人の精神構造は分析してみる価値があります。東拘の『規律漬け』が職員をも閉塞状態にしているからこそ、このような証言が飛び出すのでしょう。そこでこの“東拘の何百年の歴史”を打破する突破口を見つけ出さなければなりません。

(了)