府中刑務所のイラン人受刑者、刑務所内の処遇について提訴

柴田 勝之 (第二東京弁護士会)


 1997年8月29日、府中刑務所の元受刑者(退去強制手続のため東日本入管センターに収容中)のイラン人バフマン・ダネシアン・ファル氏は、府中刑務所職員による人種差別発言・暴行・不当な革手錠使用や保護房収容・恣意的懲罰・国連人権委員会への発信妨害等の不法行為に対して、1500万円の損害賠償を請求する国家賠償訴訟を提起した。原告訴訟代理人の一人として、事件の概要を報告する。

I 事件の内容(訴状等による)

 原告バフマン氏は1967年生まれのイラン人男性で、懲役4年(未決通算 210日)の実刑判決を受けて、1993年10月から1997年1月(刑期満了)まで府中刑務所に収容されていた。
1 第1事件(1994年4月)
 1994年4月1日、原告が作業後のシャワーを浴びていた際、中国人受刑者が原告を押しのけようとしたので、原告が押し返した。ところが原告だけがこれによって取調の対象とされた。
 原告は幹部看守に事実経過を説明したが、原告を連行してきた職員の話を聞いた幹部看守は、原告の説明をうそと決めつけ「イラン人は皆嘘つきばかりだ」という人種差別発言を行った。これに対して原告が「イラン人にも日本人にもいい人もいれば悪い人もいる」と反論したところ、幹部看守は激怒して「この野郎、お前は仮釈が欲しくないのか」と言い放った。
 4月12日、原告はこの件で10日間の懲罰の言渡を受けたが、不当な懲罰に納得できず、「気をつけ、礼」の号令に従わなかった。すると、原告の反抗的態度に怒った職員は原告の首を締め上げたり、平手打ちをしたりした後、原告を床に組み伏せ、金属手錠をかけ、さらに革手錠のベルトを極めて強く締め付け、それに加えて原告の頭に袋をかぶせて誰が暴行しているか見えないようにした上で原告の背中と脇腹を数人で靴をはいた足で何度も蹴りつけた。
 その後、原告は革手錠をきつくしめられたままの状態で数時間おかれ、保護房に2日間収容された。現在も、原告の左脚には、革手錠を長時間きつく締められたための血行障害が原因と思われるむくみと神経性の障害が残っている。
2 第2事件(1994年5月)
 5月14日、原告が懲罰中、懲罰房の中で立って歯磨きをしていたところ、職員から「どうして懲罰用の椅子に座っていないのか」と言われ、原告が「今は歯を磨いているので椅子から立っても良い」と説明すると、職員は突然右手拳で原告の左耳を殴打した。
 その後、原告はまた革手錠を装着され暴行を加えられ、革手錠をされたまま保護房に収容された。その後殴打された左耳は痛んで膿が出たが、治療申出は受け入れられず、暴行から1ヶ月後、自傷行為という虚偽の理由で治療を申し出たところ、やっと治療を受けることができた。その結果、左耳は現在も難聴の状態になっている。
3 第3事件(1994年7月)
 7月19日の入浴日、シャワーの水が冷たかったため、原告が職員に向かって「シャワー冷たい」と訴えたところ、入浴中に他の受刑者に話しかけたという理由で懲罰該当とされた。
 懲罰のための取調の後、原告が居房に戻された際、原告が自分では出していないにもかかわらず居房の報知器が何故か出ていたことがきっかけで、原告は再び殴る蹴るの暴行を受け、革手錠をかけられ保護房に収容された状態で約24時間放置された。
 原告は長時間革手錠をきつく締められたせいで体調に異常をきたしたが、職員らは原告を隔離して他の受刑者に異常を気付かれないようにしたうえ、回復して居房に戻った原告に対し、わざと周囲に聞こえるような大声で「あなたはなぜビニールを食べたのか」という、あたかも原告がビニールを食べるという異常な行動をしたせいで体調に異常をきたしたかのような、まったく事実と異なる発言をした。
4 第4事件(1994年9月)
 9月1日、原告が他の受刑者らと共に運動の後の洗面をしていた時、原告が決まり通りに、たらい1杯の水で顔と手を洗い、次の人のためにたらいに水を入れておいたところ、「運動をしていないのに水を使った」との理由で懲罰の取調を受けた。
 取調で原告が「自分が運動をしていたことは、一緒に運動していた受刑者に聞けば分かる」と主張したところ、その日の取調はそれで終わったが、後日の取調では「2杯目のたらいに水を入れて使おうとした」ことを懲罰理由とされ、懲罰を課せられた。
5 第5事件(1995年1月〜3月)
 1995年の1月から2月にかけて、原告は自己の受けた虐待の事実を国連人権委員会に通報しようとして、手紙の発信の許可を求めたが、刑務所当局はこれを認めなかった。
 そこで原告は2月27日に国連人権委員会への手紙の発信許可を求めてハンガーストライキを開始したが、翌28日に保護房に収容され、3日目の3月1日には強制的に薬品を注射され、体の力が抜けたところで食物を食べさせられた。このような処置に恐怖を覚えた原告は、ハンガーストライキをあきらめて食事をするようになった。
6 第6事件(1995年10月〜1996年7月)
 1995年10月23日から、1996年7月15日までの約9ヶ月間、原告は精神障害者を収容する特殊な独房に収容された。これについて職員から原告に対して説明された理由は「あなたはカミソリを食べたから、ここに送った」というまったく事実無根のものであった。
 原告の両隣の受刑者は、連日連夜、一方は大声を出しながら壁やドアーを蹴ったり頭をぶつけたりし、他方は大声で独り言を話し続けているという状態であった。
 これは、原告が国連人権委員会に訴え出ようとしたことに対して、刑務所当局が原告に精神的障害があるとの報告をねつ造した上、実際に原告の精神に変調をきたさせる意図をもって行なったものと考えられる。このような収容が仮にもっと長期にわたって継続されていれば、原告が拘禁性の精神異常にに陥った可能性がある。このような処遇は、意図的で悪質な精神的虐待であり、拷問禁止条約に定める拷問に該当する。
7 巡閲官に対する情願と救済
 1996年7月1日、原告は法務省本省からの巡閲官に対して、自己の置かれた異常な状況を訴えた情願を提出したところ、7月15日、やっと以上のような過酷な状況から救出された。

II 事件の特徴

1 府中刑務所における外国人処遇に関する2件目の訴訟事件
1996年7月2日に提訴したアメリカ人受刑者ケビン・ニール・マラ氏の件に引き続く深刻な人権侵害事件の発生により、府中刑務所における外国人処遇が厳しく問われている。
2 幹部看守の人種差別発言に見る府中刑務所の差別的体質
 第1事件の幹部看守による「イラン人は皆嘘つきばかりだ」との発言は、公務員として許されない人種差別発言であり、日本も批准している自由権規約20条2項に違反する。本件の一連の虐待事件は、このような発言に対して正当に抗議した原告への報復として始められたものであることは明らかである。
3 集団的暴行に見る府中刑務所の暴力的体質
 第1、第2、第3事件における原告に対する集団暴行は、特別公務員暴行凌虐罪を構成する、極めて悪質な違法行為である。原告は、各暴行を加えられる際、職員等に実力による制圧の必要性を感じさせるような言動は一切とっていないのに、突然暴行を加えられている。原告にはこれらの暴行により、左耳の難聴、左足の神経性障害といった後遺症が残っている。
 さらに、1994年4月12日には、袋を頭から被せて誰の行為か分からなくしたうえで行うという、極めて悪質な形態での暴行を受けている。
4 府中刑務所の人権軽視体質
(1) 革手錠の使用
 革手錠装着中は両手がほとんど使えず、食事も床に寝たまま、革手錠で固定され不自由でかつ真っ黒に汚れた右手を用い、手づかみでとることを余儀なくされ、用便に至っては、手が使えないため保護房収容用の股の割れたズボンをはかされ、ズボンをはいたままで割れた部分から行わされるという、著しく人間の品格を傷つけ、辱め、その尊厳を奪われた状況により、原告は長時間著しい精神的苦痛を被った。
(2) 意思に反する薬物注射と強制栄養補給
 受刑者にも、飲食物を摂取しないという自己決定権は認められるべきである。ハンガーストライキによって死に至る危険性が生じているような場合に強制栄養補給が認められるかについては国際的に取扱が争われているところだが、少なくとも、生命に危険が及ぶような状況でない限りは、強制栄養補給の措置をとることが許されないことは、国際的に確立した見解である。
 本件における1995年3月1日の原告の意思に反する薬物注射と強制栄養補給措置は、原告がハンガーストライキを始めた翌々日に行われており、またその医療措置の内容についても全く原告は説明されていない。しかも、これらの措置は原告が明示的に拒否の意思を表しているにもかかわらず強行されており、その違法性は顕著である。
(3) 異常房における厳正独居拘禁
 1995年10月23日から1996年7月15日までの原告に対する収容は、厳正独居処遇に加えて、両隣の房の受刑者を精神障害者として、原告に耐え難い精神的苦痛を与えたものである。また、その過程では精神的に何ら異常のない原告を精神障害者扱いするという異常な処遇を行っている。そもそも、厳正独居処遇自体が極めて不自然な生活を受刑者に対して強いるものであり、心身の変調の原因ともなりかねない重大な不利益処分である。
 原告には何の精神的障害もない。このような取扱は、原告がハンガーストライキまで行って府中刑務所の非人道的行為を国連人権委員会に訴えようとしたことに対して、原告を精神障害者に仕立てて、その訴えを無力化する試みと考えられる。原告は一切の人間的接触を奪われた上に、精神に変調をきたすような非人道的な取扱を受け、深い精神的なダメージを受けた。両隣が精神障害者という異常な環境の独房に拘禁した本件厳正独居拘禁は、拷問と非人道的な取扱を禁じた国際人権規約7条に違反する。

III 提訴後の状況

 本件においては、訴訟提起と同時に行った第1回口頭弁論期日前の証拠保全申立が認められ、1997年9月10日には府中刑務所に保管されている懲罰表、保護房収容中動静観察簿、カルテ、処方箋、不喫食簿等の書類の保全が、12月25日には原告本人の身体状況の保全と原告本人尋問が行われた。
 原告代理人としては、刑務所保管の書類は、あくまでも刑務所側の見解を記録したものであるという限界はあるものの、相当部分が原告の供述と符合しており、また、原告本人尋問では、原告の供述が非常に詳細かつ具体的で信用性に富むものである(被告代理人の反対尋問も、大部分は原告の供述の具体性を増すだけの結果であったと思われる)ことが明らかになったと考えている。
 証拠保全手続は以上で終了して以後は通常の民事訴訟手続に戻り、1998年早々にも、第1回口頭弁論が行われる予定である。