刑務所における医療水準(ある訴訟から)

竹下 育男 (大阪弁護士会)


 これから紹介する事件は、刑務所内における「医療過誤」事件である。まず、事件の概要を手短に述べたい。
 この訴訟の原告は、平成6年8月23日、肝細胞癌を原因として入院先の病院で死亡したA氏の遺族である。A氏は平成3年10月31日に懲役刑が確定し、広島刑務所に服役したが、同人には肝硬変、狭心症、慢性膵炎という持病があり、公判中も適宜勾留執行停止を受けて入退院を繰り返すような状態であった。勿論、勾留執行停止というものが簡単に出るはずはなく、その都度主治医の診断書等が提出されている。刑務所側としても当然このようなA氏の病状について認識をしていたはずである。しかし、刑務所では、これらA氏の病気について特に注意を払わず、平成4年1月に大阪刑務所に移送するに際して行った肝機能検査の数値が安定していること、本人が自覚症状を訴えることもなかったことを理由として、その後、通常人と全く同じ健康診断を行うことしかしなかったのである。ところが、平成6年7月11日、A氏は食後に嘔吐をし、腹部の痛みを訴え始めた。以降も腹部痛は続き、12日にエコー検査、翌8月2日にCT検査等を実施したところ、肝細胞癌であることが判明した。その後、同月8日に大阪医療刑務支所に移送され制癌剤の投与等の治療が開始されるが、時既に遅く、22日は意識消失して病院に担ぎ込まれ、23日に死亡したのである。

 なお、予備知識として頭に入れておいて欲しいのは、肝硬変は長期にわたる慢性肝障害の終末像とされ、肝硬変の状態が長く続くと肝臓癌特に肝細胞癌が発生し易いことは医学的常識となっていることである。このことをふまえて、現在では、肝硬変の患者に対して肝細胞癌の早期発見のため、定期的に腹部エコー、腹部CT、血清αフェトプロテインの測定等の諸検査を行うべきだとされている。

 私が、この事件について友人の篠原俊一弁護士から誘われた際、争点はかかる諸検査を行ったか否かという点になろうと考えていた。しかし、証拠保全の結果、何も検査を行っていないことが明らかとなり、本案でも国は検査を行っていないことを認めたのである。従って、実際の争点は、刑の執行開始当時のA氏の肝硬変の状態とその状態に鑑みて定期的に検査をすべき義務があったかどうかという点になっている。国は、検査数値を根拠としてA氏は肝炎に過ぎなかったとし、かかる状態では定期的な検査の必要性はなかったと主張している。

 さて、ここで翻って考えていただきたい。もし自分が肝炎や肝硬変(肝炎から肝硬変へ移行することが多いのだが、両者の区分けは微妙である)であって、それらの病気から肝癌に進展する可能性が極めて大きいと聞かされた場合、病院に行かずに放置することがありうるだろうか。まず、それらの病気をコントロールし、定期的に癌の検査も受ければ、肝癌の発生を避けることができ、また、発生しても治癒することができると聞かされれば、通常の人間ならば「それならば、頑張って良い医者を見つけて通院しよう」と考えるのではないだろうか。これは、刑務所の外にいる限りは当たり前の発想である。

 ところが、被拘禁者に対する医療については、拘禁施設の適正な管理体制を維持するために、被拘禁者が外部の医師を任意に選択し、自由にその診療を受けることや、携行の医療品を舎房の中に持ち込みこれを自由に使用することは制限されてもやむを得ないとされているのである(監獄法42条)。この規定の是非についてここでは深入りしないでおく。
しかし、このことの反面として、拘禁を行う国並びに当該拘禁機関の職員において、万全の医療行為を行うべきことが法律上も明記されていることは忘れられてはならない(同法40条)。被拘禁者について、少なくとも、一般に国民が社会生活上享受すべき水準の、専門的資格のある医師による治療を受ける機会が不当に制限される理由は何ら存しないことは法律も認めるところなのである(参照判例@札幌地裁平成元年6月11日判決、A大阪地裁平成元年11月30日判決、B東京地裁昭和49年5月20日判決、C広島地裁平成2年6月29日判決―釈迦に説法だが、念のため)。

 弁護士は当然であるが、遺族も提訴の目的を「刑務所における悲惨な医療体制の改善」ということに置いている。また主張整理の段階にあり、判決はかなり先になろうが、どうか判決内容に注目していただきたい。