岩国刑務所収監処分異議申立事件について
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久 笠 信 雄 (広島弁護士会)


一 突然の電話

 秘書の帰った静かな事務所で山のような仕事を前にして呆然自失としている時、目の前の電話が鳴り始めたのは、9月のある日の夜9時ころのことでした。
 どの依頼者からの仕事の催促の電話かと思って受話器を取ると、「乙山と言いますが、久笠先生はおられませんか。」とのこと。依頼者ではなかったとほっとしながら話を聞くと、乙山は指定暴力団傘下の甲野組の若頭とのことでした。

 彼が言うには、親分の実刑が確定したが、親分は到底服役に耐え切れるような健康状態ではない、それなのに検事は親分の健康状態をまったく考えずに親分を岩国刑務所に収監してしまった、何とか親分を助けて欲しいとのことでした。
私は、民暴委員会に所属していることを告げて何とか断ろうとしましたが、結局、このままでは親分が殺されてしまう、助けてやってほしいとの乙山の言葉に負け、I弁護士との共同受任なら引き受けられるかも知れないと逃げの余地を残しながらも、取り敢えず、私が彼と親分の妻である姐さんの話を聞くとともに、I弁護士に岩国刑務所に行って親分の様子を見てきていただくことにしました。

二 姐さんと若頭の話

 事務所に来た姐さんと若頭の話を総合すると、親分は甲野(仮名)と言い、持病の糖尿病や原因不明の右半身不随のために便所も一人では行けない、懸命にリハビリに努めて良くなったこともあったのだけれども、通院先の病院で対立抗争中の組員に刺され、危うく一命は取り留めたものの再び右半身不随の程度が悪化してリハビリに励んでいる最中である、おまけに糖尿病のせいで白内障にもなっており定期的にレーザーをあてないと完全に失明してしまう、このままロクな治療も受けられない刑務所にいるようだったら刑務所から出てきたときには失明の上、筋肉が固まって一生右半身が動かないままになってしまうのは間違いない、担当検事は姐さんや若頭の話だけではなく、担当医の話も全く聞いてくれないというものでした。

三 I弁護士走る

 岩国刑務所で甲野に会ったI先生の話を総合すると、ほぼ姐さんから聞いた話のとおりでした。
 甲野は、2年2ヶ月前に脳梗塞で倒れ4ヵ月入院し、最初は右半身が全く動かなかったが入退院を繰り返しながらリハビリで少しずつ回復しているようでした。本人が言うには「刑を務めることはやぶさかではないけれども、このまま刑務所に入れられてしまうと、筋肉が硬直したままになり、目も見えなくなって一生『片端』の人生を送らなければならなくなる。先生、何とかある程度治るまで刑務所に行くのを待って貰うようにして下さい。是非、お願いします。」とのことでした。

四 頭を捻って

 私たちも修習時代に見学した殺伐とした刑務所を思い出し、親分をこのまま刑務所に送るのは酷すぎるのではないかと思うようになりました。そこで、結局、この事件を引き受けることとしました。
 けれども、問題はどういう手続で親分を救い出すかです。二人で一所懸命考えましたが、良い知恵は浮かびません。
 そこで、刑事訴訟法の条文を繰ってみますと、502条にピッタリの条文があるではないですか。これを手がかりに書式集を探してみると、そのものずばりの「裁判の執行に対する異議申立書」までありました。

 そこで、急いで姐さんの携帯電話に連絡して、診断書類を取り寄せてもらうとともに、私が申立書を起案することとしました。

五 裁判所で

 その後、申立書の変更等もありましたが、結局、10月中に山口地方裁判所岩国支部で3回期日を開いていただきました。
 主治医のお医者さんにも法廷に来ていただいて、証言していただきました。
 当初予想しなかったほど丁寧な審理をしていただけたように感じました。

六 刑務所の対応

 裁判中に親分は岩国刑務所から広島刑務所に移されましたが、裁判が起こされてから刑務所内での対応が随分変わったように感じました。
 広島刑務所に移監当初は親分の障害のことは余り配慮されていないようで、房もベッドもない畳部屋だったようですが、検察官からこの裁判用の照会状が届く毎にベッドのある部屋に移されたり、作業内容も機能回復訓練となりうるものが選択されたようでした。  ただ、刑事事件の際のような規定がないとの理由で、親分との接見の際には必ず係官が立ち会っており、法的な不備を痛感しました。

 七 結末とエピローグ

 結局、申立自体は棄却されてしまいましたが、決定内容はそれなりに納得のいくものでした。
 また、裁判手続もデュープロセスを十分に尊重したものでした。
 何よりも、この裁判を通じて刑務所内での親分の処遇改善に大いに役立ったように感じ、担当弁護士達はそれなりに満足しました。
 ただ、今後の処遇も心配だったこともあり、I弁護士に刑務所長宛ての上申書を起案していただきました。
 さらにその後数か月経って親分から接見依頼があり、広島刑務所に接見に行きましたが、食事制限等でかえって以前よりも顔色が良く健康そうでした。房内でリハビリにも励んでいるとのことでした。
 親分からは、また執行停止の申立をして欲しいと頼まれましたが、今回は、丁重に断らさせて貰いました。


岩国刑務所収監処分異議申立事件について
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―自由刑の執行停止と被収容者の人権―

佐々木 光明(三重短大法経学科)


●「裁判の執行」における適正手続

 裁判所は、その意思表示である裁判内容を確実かつ強制的に実現することによって、いわば裁判の権威と社会的信頼を一面保つことになる。自由刑の執行について言えば、検察官が執行指揮機関として収監等の措置を指揮し、監獄が執行実施機関として刑罰目的を遂行する。このとき、刑事訴訟法は、裁判を執行する検察官に、必要的執行停止(刑訴480,481条)によって刑罰目的の遂行を確認させ、裁量的執行停止(刑訴482条)によって自由はく奪以外の苦痛がともなう「重大な事由(1.健康・生命の危険、2.年齢70歳以上、3.妊娠5ヶ月以上、4.出産60日未満、5.回復不能な不利益生ずる虞れ、6.祖父母・父母が70歳以上で病身で保護者のいないとき、7.子が幼身で他に保護者がいないとき、8.その他重大な事由)」の存否の確認を求めている。また一方で、検察官がその適法な裁判の執行をしなかったときには、それに対して異議を申し立てることができるとしている(502条)。裁判の執行は訴訟法的活動であり、これら一連の規定から執行の適正と合目的性をはかる趣旨が読みとれる。

 本件裁判は、検察官の刑務所への収監措置には、刑訴法482条の1号にいう「健康を著しく害するとき又は生命を保つことができない虞がある」ことを無視した違法があるとし、その裁量の合理性判断に対する異議申立である。
執行に対する異議申立は、これまで判例が少ないこともあって、裁判の執行には必ずしも関心が高くなかった。今回の裁判は、先例のない分野で一定の審理、すなわち検察官の裁量行為に対する実体審理を積んだ事例として貴重であり、被拘禁者の収容に重大な障害のある場合の救済手段のひとつとして今後十分な検討が必要だろう。

●争点と判決から読みとれるもの

事実経過の概要は、次の通りである。申立人はH4年3月恐喝罪により懲役2年の判決を受け、H7年3月に確定した。その間、確定前のH5年に糖尿病で入院中の病院内で脳梗塞により倒れ、後遺症等により確定後も一定期間の執行停止処分を受けている。
 検察官は、その後病状が固定化し、現在、生死にかかわる重大な病状ではなく刑の執行に差し支えないと判断し、H7年9月に収監状を発布し、岩国刑務所に収監している。
 それに対して弁護人は、@右半身不随状態で、刑事施設での適切な処置がとられる可能性が低いこと、Aリハビリ治療のため入院中で、その中断により右下肢の廃用萎縮を招きかねないこと、B糖尿病により右目失明のおそれがあること、から収監によって「著しく健康を害する」(482条1号)おそれがあるとし、さらに、C身辺自立が困難で施設内での刑務作業が不可能で、日常生活も介助が必要なため、受刑能力の欠如、行刑目的の達成が困難であり「その他の重大な事由が」(482条8号)生起するとした。

判決は、申立棄却であった。判決書からある程度審理の状況が窺えるが、以下の論旨構成をとっている。収監については、岩国刑務所へ収監してひと月後には中国管内での医療共助施設である広島刑務所へ移管されていること。入退院については、脳梗塞後のリハビリ通院、通院中の傷害によるリハビリの中断と再開、転院によるリハビリのための入院、等の確認をしていること。負傷退院後の行動については、リハビリ途中の負傷と退院後の行動を調査していること。広島刑務所での服役状況については、医療共助施設でもあり、食事療法によって良好な血糖コントロール下にあり、糖尿病性網膜症はH7年11月の診察で悪化が見られず今後とも必要に応じた処置を行うとされ、リハビリについても握力の強化訓練や歩行訓練等のリハビリを行っており、定期的な整形外科医の招へいも可能な状況にあること。さらに、日常については、独居房に収容されており、洗顔や入浴に際し介助の要があるが、雑工として就業もしており、食事や用便もひとりで行っていること。以上の認定事実を総合的に検討して、受刑に支障がないという判断をし、よって申立にいう検察官のなした収監状の発布と執行処分には違法はないとした。

●482条・502条の含意と被収容者の人権

刑罰の実質は、自由の喪失にある。したがって、刑罰を受けるために施設に収容されているのではなく、施設収容それ自体が刑罰を意味する。よって、施設の条件が付加的に刑罰の内容となってはならないし、収容が刑罰以外の苦痛を惹起するものであってはならない。刑訴482条は、自由刑の執行に自由はく奪以外の要素を混入させる重大な事由がある場合の停止を規定した執行における適正手続の指標と言っていいだろう。自由刑の本質としての苦痛の内容を身体的自由のはく奪に限定しようとする、「自由刑の純化」を図る趣旨である。その点では国際人権法の観点からも、たとえば「被収容者処遇最低基準規則」57条や「ヨーロッパ刑事施設規則」64なども自由刑の純化を宣明し、刑罰固有の苦痛を増大させてはならないとする。この裁判は、自由刑の純化論が、少なくとも収容の段階で、その執行手続きの合理性と適正さを確認するゲートの意義を持っていることを確認する機会を提供したといえるだろう。
なお、検察官の執行停止処分は収容前後を問わないことから、被収容者の身体的、精神的な疾病等による刑罰目的の達成に困難が生じているときの一つの救済方法として検討しておくことも必要だろう。

 あらためてこの判決自体の意義を確認しておく。一つには、検察官に求められた執行における適正手続きの実現に当たり、裁量的執行停止の具体的な要件の検討が少なくとも事実関係の中で検討されていることである。つまり、自由刑の執行段階での適正手続が求められ、検察官のなす裁量的執行停止における裁量は、「刑罰目的の達成」および「自由刑の純化」を枠組みとした「き束的裁量」にあることを明確にした点にあろう。もう一つは、実態的部分であるが、「収容の意味」の確認を争うことによって、施設側の意識を覚せいする効果を生み、収容者の処遇に対して具体的な改善ないし注意が払われていることは評価していいだろう。刑罰の本質にかかわる裁判が、処遇現場を刺激した点は、具体的処遇改善を図るとき再考に値するのではなかろうか。