日本監獄史上最悪の時代を象徴する三つの事件

犯罪行為がまかり通った刑務官懲戒免職事件

死への残業を頑強に認めなかった刑務所、刑務官過労死事件

落ちこぼれ刑務官の個人犯罪として片づけた、死刑未決囚逃走幇助未遂事件

刑務官部会 坂本 敏夫


 4月以降相次いで明らかにされた刑務官の事件に対する国の判断は、階級の秩序と監獄の管理運営が優先された。その底に流れるもの、決定までの舞台裏には、肥大化した官僚組織の中で、保身に邁進した上層部にいる刑務官の姿が垣間見える。しかし、それを受け入れた法務省トップの検察の動きはさらに不気味である。
 謎が謎を呼ぶ。ファシズムへの道か。国家権力の最後の砦としての刑務所がここまで浮き彫りにされたことは、かつてなかった。
 冬の時代に入って久しい刑務所を民主主義が救えるか。

刑務所の事件と報道

 『週刊金曜日』6月27日号に通信社記者の船越美夏さんが「ある受刑者の死」と題して、北九州市にある城野医療刑務所で1992年8月に起こった懲役受刑者の死亡事件について記事を書かれている。よくもあそこまで取材をしたものだ、と驚嘆するほど上手にまとめている。刑務所の実状をよく勉強していることにも感心した。
 刑務所事件の取材は、刑務所の秘密主義によって当初から大きな壁にぶつかる。ノーコメントをマスコミ対策の一つとして堂々と実践している刑務所側の対応に一歩も踏み込めないのが実情である。
 また、刑務所内での出来事について、取材の申し入れがあると、刑務官のみならず刑務所に隣接する官舎にも、マスコミ関係者の取材があったときは一切応じないように、という至急回覧や伝令が飛ぶ。仮に記事になろうものなら、情報を提供したものが誰か、という犯人捜しが行われる。今は城野医療刑務所も混乱していることだろう。
 犯人捜しは、国家公務員法の秘密を守る義務違反の疑い、という理屈を付けて、陰湿な調査や圧力が有形無形に加えられる。犯人が分からなければ全体責任ということになる。机やロッカーの検査は当たり前で、自宅や携帯電話の利用明細書を提出させることもある。犯人が分かった時は、見せしめの勤務配置に就けたり、村八分にして辞めさせるようにし向ける。
 何が守秘義務違反(注;国家公務員法第100条(秘密を守る義務)。刑務官の場合は被収容者の情報を外部に漏らしプライバシーを侵害したとして問題になったことがある)なのか、調べる方も調べられる方も、まるで分かっていないことも事実である。分かっていても職員組合の結成を禁じられ労働権の一切を取り上げられている刑務官は上官の思いのまま操られているのが現状である。

熊本刑務所刑務官懲戒免職事件

 熊本刑務所は、収容人員約500名、刑期8年以上の犯罪傾向の進んでいる懲役受刑者を収容している施設である。問題受刑者を多く収容し、無期懲役囚も約100名いる。規律が刑務所らしく保たれるようになって、日は浅い。つい最近まで、所長以下幹部が受刑者の不当な要求に屈することが常態的になっていて、規律はあってないようなものだった。刑務官と受刑者との癒着、不正もあった。規律を守らせようとする刑務官は暴言を浴び、暴行を受けることもあった。そんな時代を何とか治めていたのが、第一線の地元出身の刑務官だった。
 当時、関西や関東の刑務所から帰郷転任をした刑務官が熊本刑務所勤務第1日目の驚きと失望を、さらに怒りを語ってくれた。管区や法務省は知らなかったのか?私の単純な質問には、こう答えた。
「われわれは、期待しました。実態が明らかになればいいと、しかし、監督官庁や外部の者の目にふれるときは、規律正しく平穏に管理されている状態を作ってしまうのです。受刑者はなかなかの役者でした。」
 時は平成に入り、白昼、工場を抜け出した受刑者が5メートル余りの塀を乗り越え逃走した事件があった。犯人は数年後、凶悪犯罪を犯して逮捕された。各方面からの非難を浴び、ようやく組織的に規律強化の取り締まりが行われたのだが、平成7年4月に着任したK所長は、福岡矯正管区及び法務省の支援を取り付け、解明されないままの不詳事件の徹底追及に着手した。しかし、古い事件であり、その都度厳しい取調べが行われていたので新しい事実は出てこない。8月、あせる取調官には、天の恵みのような吉報が飛び込んできた。ある受刑者が刑務官とヤクザの金銭がらみの癒着と不正行為を告発したのである。

 10月、一人の看守(Aさん)が直属の上司らから取り調べを受けた。24時間勤務後の朝9時から四昼夜の取り調べが刑務所の塀の中で続けられた。
「暴力団関係者に頼まれて、現金を受け取り数年間にわたってハト行為していただろう、受け取った金額は700万円にもなるそうじゃないか……」
「知りません。それは絶対にありません」
 必死に真実を述べるAさんに上司はガンガン怒鳴り続けた。
 上司の命令による拘束は、脅しによって続けられる。それは暴行又は拷問に近い。しかし対外的には、あくまで任意として説明される。疲れ果てたAさんは恐怖と家族への思いに、「言うまで帰さない! 今日も泊まりだ!」という上司の脅しに屈し、言われるままの調書に署名と指印を押した。その内容は元受刑者のヤクザと飲酒し飲み代5千円から1万円の供応を受けたというものであった。
 その頃、法務省矯正局は全国の矯正施設(刑務所、拘置所、少年院、少年鑑別所)に対し通達を流した。「某刑務所においてハト行為が発覚し、十数名の刑務官をクビにした。調査が進めばさらに数名を辞めさせる」という内容のものである。
 熊本出身の刑務官と地元ヤクザの癒着による汚職構造という筋書きによって、結論が先行した解雇劇は、乱れた時期に体を張って刑務所の秩序を守った50歳前後の熊本出身のベテラン刑務官をターゲットにした。今まで、2年以上にわたって20名余りの刑務官が転勤又は辞職を強要され、熊本刑務所から追放された。
 それは当初、通達で流した処分刑務官数に達するまでの員数合わせとも受け取れる。  96年3月、懲戒免職の処分を受けたAさんは、処分理由はねつ造されたもの、被処分者は一度も弁明の機会を与えられていない、と人事院に公平審理を申し立てた。
 97年4月、熊本と東京の延べ5日間の公開の口頭審理の結果、無理な取り調べの状況、弁解の機会も与えず、欠席裁判で一方的にクビという重大な処分を決定した懲戒審査会の状況、刑務官の供述以外には、一切の人的物的証拠が存在しない事実などが次々に明らかにされたが、人事院は熊本刑務所側の言い分を全面的に採用し懲戒免職処分を承認した。

 人事院には法務省の意向を受け入れなければならない理由があるのだろうか。
 いくつか思い付く。一つは刑務所長人事には人事院も承認という形で大きく関与していること。また、本件処分は事前協議事項として早い時期に報告を受け問題点の洗い出しを行っており、処分側の当事者であること。さらに国賠事件などでは訴訟を法務省に依頼しなければならないこともある。
 人事院は国家公務員の労働権、人権を守る役所ではないということは、うすうす分かってはいたが、ここまで露骨に出られると法律も信じられない。さしずめ国家公務員法は公務員を守る法ではないと言われたのと同じである。
 法務省が国家秩序、法秩序の論理を強調したのだろう。
 また、一看守の主張を認めることは、法務省、福岡矯正管区並びに熊本刑務所長が虚偽申告に基づき組織的に多数の刑務官を懲戒処分にした事実を裏付けることにもなる。取り調べに当たった熊本刑務所幹部刑務官が行った刑法172条(虚偽告訴等)の罪を認める訳にはどうしてもいかなかった、ということだろう。(刑法172条 人に刑事又は懲戒の処分を受けさせる目的で、虚偽の告訴、告発その他の申告をした者は、三月以上十年以下の懲役に処する。)
 人事院は、裁判になったときの『逃げ』のため、刑務所の主張をそのまま認めたことも十分考えられるところである。

管理強化

 熊本刑務所事件は、刑務所が受刑者に常態的に行っている白を黒にしてしまう不正をそのまま刑務官の処分にも使ったものである。塀の中の出来ごとは表に出にくい。出たとしても立証が困難なため、事件としては成立しないことが多い。証拠の湮滅と反証のねつ造は幹部刑務官の最も得意とするところである。審査、捜査、裁判に共通しているのは書証主義ということであり、書類がいかにうまくできているか、作られているかですべては決まる。刑務所では、十分な時間をかけてこの書類を完璧なものに作り上げる。その訓練が日頃からできているのである。
 さて、熊本事件の余波は刑務官の服務規律の強化だけでなく、従来行っていなかった、一般刑務官の全国対象の転勤を全施設に適用した。アメ(昇級・昇格)とムチ(懲戒)は刑務官を従順にさせるために使われてきた。そこに新たに、転勤が加わったのである。言うことを聞かなければ、遠くに飛ばされる。一般刑務官への影響は大きい。
 一般刑務官に対する管理強化は、幹部の一方的な指示命令の増大と到底不可能な業務処理のマニュアル化などによって行われる。何かあったときに管理者が責任を逃れるための保身にもつながるからである。

(つづく)