信書の特別発信の不許可が刑務所長の裁量権の逸脱にあたると認定した熊本地裁判決

水 谷 規 男 (三重短期大学)


はじめに
1996年9月13日、熊本地裁は、受刑者が娘宛に発信しようとした信書の特別発信を不許可とした熊本刑務所の処分が違法であることを認め、国家賠償を命ずる判決を下した。同じ受刑者の信書発信阻止に関する訴訟(別訴と略)でも1996年1月26日に受刑者側一部勝訴の判決(CPRNews Letter 11号で紹介済み)が出されているが、本件判決は、特別発信の不許可が別訴に対する刑務所側の報復としての意味合いを持っていたことを指摘するなど、注目すべき内容を含んでいる。以下、本件について、事案の概要を紹介し、判決の意義について若干のコメントを付することとする。
事案の概要
 本件原告は、懲役10年の判決を受け、1987年11月から熊本刑務所に在監する受刑者である。 原告の累進級は、1991年当時4級であり、行刑累進処遇令上は、月1回の信書の発信しか認められていなかったが、熊本刑務所では、1991年4月に所長が交代するまでは、月3回までの特別発信がほぼ自動的に認められていた、という事情があり、本件原告もこの枠が撤廃されるまでは、娘宛ての信書を毎月1回発信していた。また、その後においても、本件原告は娘宛の信書の特別発信を同年7月には認められていた。ところが、信書の発信阻止に関して別訴を準備中の1991年11月に原告の娘宛ての特別発信が不許可とされ、12月にも重ねて娘宛ての特別発信が不許可となった。本件訴訟はこの12月の特別発信不許可処分を争ったものである。
 原告は、この不許可処分は、別訴で刑務所側の処遇の不当性を争おうとしていた原告に対するいやがらせであり、本件訴訟に関しても、本件信書を弁護士との面会に携行することを不許可とするなど、積極的に妨害する態度に出ていたこと、娘宛の信書を本件提訴後も発信しなかったのは、職員に「訴えの利益がなくなる」と指摘されたためであると主張していた。
 刑務所側(本件被告)は、定期発信としてなら許可される本件信書をことさら特別発信として申請した原告の姿勢は、無計画で自己中心的であり、必要性、緊急性が認められないのに、これを許可すれば、受刑者を平等に取り扱うことを困難にするばかりでなく、累進処遇制度自体が揺らぐことになると主張していた。また、本件提訴後も原告が娘宛の信書を発信しなかった点からも、本件特別発信願は、訴訟目的で行われたものであり、これを不許可としても原告に損害が生ずることはあり得ないと主張していた。
 そこで、裁判所は、まず特別発信の捉え方について、監獄法は受刑者と親族との信書の発受については、親族以外の者との信書と比較して一段と強くその自由を保証する趣旨を規定しているとしたうえで、施設の保安や管理運営に影響を及ぼさない限り、特別発信についてもその趣旨をくんだ運用がなされるべきことを指摘している。熊本刑務所における特別発信の運用実態については、特別発信の枠を撤廃した後も親族宛の特別発信を緊急性があるものに限るという運用はされておらず(許可率も7割程度あった)、むしろ、管理、保安に影響を及ぼさない親族宛の、当該月に一回目の特別発信については、原則許可とする扱いがされていたと推測できることを指摘している。そこで、本件原告について、さほど信書の内容が異なるわけではないのに、7月に許可されていた娘宛の特別発信が11月、12月に不許可とされたのは、別訴に対する報復ではないかとの疑いを否定できないと指摘する。また、原告が本件提訴後も娘宛の信書を発信しなかったことについても、合理的な事情があり、本件特別発信願を訴訟目的と認めることはできないと指摘している。  従って、結論的には、裁判所は、本件不許可処分は、原告を他の受刑者と異なる運用基準でより不利益に処遇した結果である可能性が強く、刑務所長の合理的裁量の範囲を超えており、施行規則129条2項および処遇令66条の解釈を誤った違法なものであったと結論づけ、特別発信不許可処分による精神的苦痛に対する慰謝料として金3万円の支払いを被告に命じている。
コメント----結びにかえて
 社会からの隔離を自由刑の本質的な内容と考える現行監獄法の下では、親族との信書の発受も受刑者の権利とは位置づけられておらず、施設長の広範な裁量権を前提としつつ、恩恵的に認められているものにすぎない。信書に関する制限は、検閲により、その内容にも及ぶが、法令上発信度数にも制限が加えられている。まず、監獄法施行規則129条1項は、受刑者の信書の発信を月1通に制限し、これを所長の裁量で緩和できる(同2項)こととし、それを受けて行刑累進処遇令が、4級の受刑者に月1通、3級者に月2通、2級者に週1通の発信を認めている(63条、1級者には発信度数の制限はない)。これを超える発信(特別発信)は全く施設長の裁量(同66条)で認められるものにすぎない。
 累進級が進級した者のみが処遇緩和(外部交通の自由の拡大)の恩恵を受けることができるという現在の累進処遇の実務は、受刑者を無権利状態に置いたうえで、刑務所側の処遇に従順な受刑者を作り出す、という機能をも持つ。このような処遇制度自体の合理性が、本件では実質的に問われていた、ということができよう。本件特別発信を許可すれば、累進処遇制度自体が揺らぐ、という被告側の一見過剰に見える反応がこのことを示しているように思われる。本件判決は、この問題に直接答えたものではないものの、もし仮に、累進処遇令63条の級別の制限がそのまま適用され、特別発信が限定的に運用されたとすれば、それは「親族との信書の授受の自由」を親族以外の者との信書よりも「一段と強く保証」する法の趣旨に反すると指摘しており、1月26日の別訴の一審判決同様、受刑者の信書の発受について一定の権利性があることを明確に判示している点で、外部交通に関する所長の裁量権を広範に認めてきた従来の判例の流れに一石を投じる意義を持っている。