新潟刑務所への証拠保全
(受刑者凌虐事件)について

弁護士 高島 章


一 ここ2年ほどの間、

新潟刑務所被拘禁者からの人権救済申立が急増している。ここで紹介するM君(昭和42年生まれ)に対する証拠保全も、弁護士会に対する救済申立(平成7年5月)が発端であった。
 当会の規定では、申立事件中訴訟提起が有効なものは、提訴するとの規定がある。しかし、今まで同規定が適用された事例はなかった。刑務所の密室性ゆえの「証拠不足」で、なかなか提訴に踏み切れなかったのである。
 しかし、本件については、人権委員会の調査の際、傷跡その他が現認できたため、いわばテストケースとして証拠保全に踏み切ったものである。

二 M君の受けた暴行の概要、

その後の経過は、左のとおり(陳述録取書より抜粋)

 平成6年10月10日の暴行について
 私は、入所当初、雑居処遇(○舎○階○房)でしたが、平成6年10月10日、同房のある者の整理整頓がなっていないため注意したところ、口論となり殴り合いとなりました。それに気づいた職員がやってきて、私は、舎房から出され、4人くらいの職員から両脇の服をつかまれて倒され、手足を4人くらいに持たれて取調室に連行され、同室で革手錠と金属手錠をかけられました。
 そのとき、ある看守(◯◯弁を使います)と視線があったところ、その看守から「なにメンタン切っとんじゃ」と手挙で6発殴られました。
 そのため唇が切れ、顎を打撲しました。その後、私は、保護房に4日間収容されました。  そして、平成6年10月25日、40日間の軽屏禁の懲罰を受け、平成6年12月4日に終了しました。
 右の暴行により、私は、顎や首などが痛むため医師に診てもらい、痛み止めの薬をもらいました。
 平成6年11月ころ、上記の件他について巡閲官に口頭で情願をしましたが、後に却下する旨の回答を受けました。

 平成7年2月27日の暴行について
 工場での作業が中断し休憩中のことでした。私は、かねてより配当係(配膳担当)のWという者がある舎房だけに特別に食事を多くしているという噂を聴いていましたので、Wに対して「ガキみたいなことをするな」と普通の声で言ったところ、看守がWを呼んで何を話していたのかと問いただしました。
 次に看守は私を呼び、何を話していたのかと問いましたので、私は「世間話をしていた」と答えました。双方の答えが違うため、看守は口論の疑いがあると、他の職員に電話連絡をしました。
 私は「話をつけてやる」と言ってWのところに行き「おまえ、何言ってんだ」と問い詰めました。Wはあれこれ弁明をし始めました。
 そうしたところが、看守は、私が暴力をふるうおそれがあると判断したのか非常ベルを押し、私とWの間に割って入りました。そして、応援の職員が14〜5人が駆けつけました。
 そして、私は「こいつが余計なことを言ったのだろう」と手を振り上げてWを指そうとしましたが、これが職員には殴りかかるように見えたのでしょうか、私は、看守に押し倒され、応援職員におさえつけられて手錠をかけられ、その直後に足蹴り2発を受けました。そして、食堂の前に連れて行かれうつ伏せにさせられて体中(顔までも)を幾度となく蹴られました。
 さらに私は、調査室に連行され、うつ伏せに押さえ付けられて暴行を受けたため、直前に食べた飯(カレーライス)を嘔吐しました。
 これらの暴行により私は、負傷し下着や靴下に血が付着しました。
 その後、私は、保護房に8日間収容されましたが、その間も目が腫れて開けられない状態であった上、マイクを通して職員から「ザマミロ」とも言われました(保護房には、スピーカーが付いているのです)。
 右の一件のため、私は、平成7年3月24日から軽屏禁40日間の懲罰を受け、平成7年5月2日に終了しました。それ以後現在まで独居処遇(一舎8階五房)です。
 右の暴行による怪我を、刑務所の医師に診てもらいましたが、「そのうちに治るだろう」と言われて薬を出されただけでした。

 私の体には、現在も次のような症状があり、毎日3回痛み止めの薬を服用しています。

1 両手首は痛み、左親指の感覚がまったくあり ません。
 手首には金属手錠の跡が残っています。
2 風呂の水を汲むなど負荷がかかると首・肩に
激痛が走ります。
3 首が回せません。
4 顎がガクガクします。
5 左目の腫れが少し残っています。
6 両脚、特に両膝に切創の跡が残っています。
ただし痛みはなくなりました。
 私は、刑務所職員の暴行を許すことができません。刑務所の法的責任を追及したいと思いますので、よろしくお願いします。

三 数回の調査を経て、

平成7年11月16日、証拠保全を申し立て翌年1月19日決定がなされた(内定は、12月中)。極めて異例(おそらく前例なし)の決定のため、審尋は4回程度行われた。当初は、「服用薬品の領置」も申し立てたが、理論上難点があるとのことで見送りとした。  

証拠保全決定主文は左のとおり(要旨)

ア 本件につき、新潟刑務所に臨み、申立人の身 体の外傷、疼痛及びメリヤス肌着並びに診療録を検証する。
イ 鑑定人として医師Tを指定し,同人を検証に 立ち会わせる。
ウ 相手方は申立人を検証現場に出頭させ、メリ ヤス肌着並びに書類(診療録−監獄法施行規則第13条・107条・160条・163条に定められた健康診断記録を含む−他)を提示せよ。

四 平成8年1月31日、

雪降る日、我が弁護団は、8ミリビデオを携え、医師・写真技師と共に新潟刑務所大会議室に踏み込んだ。受刑者M君に面会するたびに「もう少し我慢してくれ。今に……」という言葉が喉元まで出かかった。「まあ、人権委員会なんてこんなもんだよ。出所したらじっくりやろう。」と言いながら、−何しろ、刑務官がしっかりメモを取っている−目と目で気持ちは通じていた(はずだと思う)。
 午前決定書送達、午後執行のため、証拠隠しは覚悟していたが、まずまずの成果だった。  19枚に及ぶ診療録には、痛み止めの投薬状況、図解入りの親指の感覚喪失が詳細に記載されていた(かなりの部分黒塗りされていたが)。血痕付の下着の写真撮影にも成功した。約20分に及ぶ医師の診断状況も8ミリビデオに収めた。
 後に提出された医師(新潟水俣病などで活躍された方である)の鑑定書も、例えば、「指の感覚喪失の愁訴は神経医学の法則に合致するものである」等の記載がありほぼ満足の行くものであった。

五 本訴提起は、

8月中の予定である(他、特別公務員暴行凌虐致傷の刑事告訴も予定)。
 新聞報道等によれば、刑務所側は「喧嘩の制止(法令行為)」などと主張しているようである。
 この点については、目撃証人との連絡も可能であり、M君の勝訴は確実である。