京都刑務所における国賠訴訟の
敗訴判決について

弁護士 若松芳也


    

1.CPR News Letter 8号

において、京都刑務所における受刑者に対する暴行凌虐に関する2件の国賠訴訟の内容を報告しているが、これについては、いずれも敗訴判決がなされた。受刑者Aについては平成8年5月13日に、受刑者Bについては平成8年6月21日に、いずれも「原告の請求を棄却する」という判決がなされ、Aの分は控訴せずに確定し、Bの分は控訴している。
 ABともに、主として同一の刑務官による類似した暴行虐待を受けて、保護房に収容されたうえ、更に、凌虐されたというものであった。裁判所は刑務所側の多数の刑務官の証言に依拠して、これらの証言に反する原告ABの供述は信用できないとして、原告を敗訴せしめたのである。
 代理人弁護士の私としては、能力の限界を改めて知らされたと共に、刑務所における前近代的な処遇が旧態依然のまま刷新されることなく、現存するわが国における根源についても再認識するに至ったものである。わが国は、受刑者にとっては、近代的な司法制度による救済を容易に受けることができない暗黒の収容者列島であると言わなければならない。

2.本件における法律上の争点は、

国際人権法、憲法、監獄法の解釈上、保護房収容や刑務官の実力による制圧がどの程度に許容されるか、ということであったが、判決は現状の保護房収容や実力行使は、いずれも適法であると判示した。
 刑務官による暴行凌逆の有無については、暴行されたとするABの供述や2名の受刑者の証言はことごとく信用できないとした。ABの腰部に残る皮手錠の痕跡も、ABらが生々しく具体的詳細に供述した、刑務官による暴行の内容も、全て信用できないというわけである。
 暴行時には、刑務官以外の第三者の目撃者もいる筈もなく、暴行直後の証拠に保全も事実上不可能な現状において、ABらの供述した暴行被害を客観的に裏付ける証拠は乏しく、立証上の困難性は予想していたところである。
 官僚的な裁判所に、憲法又は国際人権法的な人権感覚を期待することは無理かもしれないが、受刑者に対する強固な予断偏見に基づいてその人権救済機能を喪失しているとしか思われないのである。
 Aは私に対する判決後の最後の私信において、「それにしても、あたまにくるのは裁判官ですが、これだけ私の方に色々と証拠等があるのに、なぜこのような判決がでるのか不思議でなりません」と述べている。
 私は、このAの疑問に対して適切な解答をすることはできないので、裁判官に回答して欲しいものである。Aは裁判所に絶望して控訴を断念しているのである。