東京地裁内で、職員が傍聴者に暴行


 6月3日、東京、霞ヶ関の弁護士会館で、第二東京弁護士会所属の田鎖麻衣子弁護士らが記者会見し、5月27日、東京地裁の内部で起こった、裁判所職員による裁判傍聴者の市民2名への暴行事件について明らかにした。また、事件直後から東京地裁に対し、事実の調査と、しかるべき処置を申し入れたが、29日に「男のほうが職員に殴りかかってきたので制圧したにすぎず、庁舎管理権に基づく適法な行為」とだけ回答し、それ以上の調査の必要性も認めないとした。このため被害者らは、記者会見後ただちに第二東京弁護士会へ人権救済の申し立てを行うこと、その進行をみながら、国家賠償請求訴訟や刑事告訴の方向もさぐっていく、と表明した。
 記者会見には、田鎖弁護士のほか、松井武、松井清隆の両弁護士と、被害者であるAさんBさんが出席した。

事実経過

 田鎖弁護士の説明および「人権救済申立書」によれば、事件の経緯は以下のようなものである。
 5月27日、東京地裁426号法廷において、公務執行妨害罪容疑による刑事裁判が行われた。この事件は、去る1月13日、新宿駅西口地下道で生活していた路上生活者を、東京都が排除しようとしていたことに抗議した男性1名が、同罪容疑で逮捕され、起訴されたものであり、被告代理人は記者会見に出席した3名の弁護士である。
 被害を受けたAさんとBさんは母子で、母親のAさんは、路上生活者問題を取材に来ていた外国の報道関係者に通訳を行うなどした経緯から、この裁判に興味をもっていた。たまたま当日霞ヶ関近辺に用事があって2人で近くまで来ていたので、高校生の息子にもよい勉強になるだろうと、傍聴に訪れた。しかし、すでに裁判は始まっており、入りきれなかった傍聴希望者2〜30人が、廊下で思い思いに裁判の終わるのを待っている状態だった。
 Aさんは、せっかく来たのだから、せめて法廷ドアの覗き窓から中の様子をちょっと見るくらいはさせてほしいと思い、裁判所職員にそのむねを頼んだ。この公判は、いわゆる「警備法廷」ということで、通常の公判とは異なり、法廷前の廊下に柵がもうけられ、通常は誰でも自由に入れる「公衆待合い室」も使用できないなど、傍聴者に対する規制が厳しく行われていた。職員と思われる人物(40歳代の男性)は、立ちはだかって「通れません」と言うだけで、その理由や、担当者は誰か、あなたは誰なのか、と言った質問にまともに答えようとせず、「警備法廷なので、とにかく立入禁止だ」と繰り返すだけであった。公開が原則である法廷で、納得のえられる理由も説明されないまま高圧的に立ちはだかる職員との間で、押し問答になった。その過程で、制服の職員の1人が、いきなりAさんの肩のあたりを手で突き、Aさんが廊下に尻餅をつくかっこうになった。近くにいた息子のBさんは、驚いて母親を助けようと駆け寄った。
 そのとたん、紺色のスーツ(制服ではない)を着た50恰好の男の号令で、職員5〜6名がBさんにとびかかり、両腕、両足などを抱えて、南非常用エレベーター方向へ引きずっていった。「息子になにをするんですか」と追いかけようとしたAさんにも6〜7名の職員がとびかかり、同様にエレベーター方向に引きずっていった。他の傍聴希望者などから死角になるエレベーター付近に連れ込まれた二人は、口々に「生意気な女だから、こうなるんだ」とか「ガキのくせに」「お前らみたいなクズ」などという暴言を浴びせられながら、殴る、蹴る、踏みつけるなどの暴力をうけた。ことにBさんは頭頂部を壁に強打され、一時意識を失ったほどで、Aさんは、息子が殺されるのでは、という恐怖まで感じたという。
 職員らは、その後2人をエレベーターにのせて1階に降り、南側玄関から外の路上に放り出した。その時点で、まだBさんは意識を失った状態で歩道上に横たわり、Aさんが声をかけても返事できない状態であった。付近に裁判所警備とみられる制服警官がいたので、救急車を呼んでくれるように依頼したが、すぐには対応してくれず、別の警官に強く頼んで、はじめて119番通報してくれた。
 暴行事件の発生は午後4時45分を過ぎたくらい、裁判所構外に放り出されたのが5時少し前、救急車は5時30分を過ぎてようやく到着し、2人が聖路加国際病院に運び込まれたのが、午後5時55分である。

裁判所・警察の不可解な対応

 田鎖弁護士は、この日の公判を終え、さらに裁判官と面談した後に、いったん地裁4階の廊下をのぞき、すでに傍聴者などが帰ってしまったことを確認してから、5時半少し前に、裁判所正面玄関から日比谷公園方向に向かった。すると、裁判所合同庁舎南門手前付近に、裁判傍聴者らしき人たちが集まっているのが目につき、疑問に思ってそばまで行くと、Aさんが歩道の植え込みの脇に座り込み、Bさんが頭をその膝にのせるような恰好で横になっていた。その場で、AさんBさんが職員に連れ去られるのを目撃していた複数の男性から状況を聞いた田鎖弁護士は、目撃者の一人であるNさんとともに地裁警務課に向かった。対応した地裁総務課の池島俊昭課長、酒井宏課長補佐とともにNさんの目撃証言を聞き取り、事実の究明と謝罪、補償措置などについて早急に対応するように申し入れた。
 一方、Aさんたちは聖路加国際病院救急外科で診察を受け、怪我をした直後だから、後で状況に変化が出る可能性もある、ことにBさんの頭部の負傷は24時間が山で、その間に変化が見られたら、ただちに救急車を呼ぶように、と医師から指示された。かさねて、明日もう一度検査を受けるように、という指示をうけ、帰宅しようと、会計窓口に行った。すると、裁判所職員と疑われる男2人が近くにいるので、Aさんが「ここに加害者がいますよ。あなたたち、責任者でしょ」と男たちに聞こえるように言ったところ、2人は肯定も否定もせず、黙っていた。後日弁護士を通じて裁判所に確認したところ、職員が病院に行ったこと自体は認めた。
 問題となるような暴行事件ではない、としながら、直後に職員を病院に派遣していたというのも、おかしな行動と映る。
 また、病院を出ようとしたとき、制服と私服の警官各1名が近づき、うち私服が、「よー、事件だと聞いて来たんだけど、あんたなの?」などとAさんに話しかけた。「話を聞きたいので署まで来てくれ」と言うので、Aさんは「泣き寝入りするつもりはないが、弁護士とも相談した上で後日必要な措置をとる」と述べたが、制服のほうが、「被害届を出すのなら、今日中でないと受け付けない」とか「あんたのためにならない」などと言い、なおも署へ同行させようとした。
 警察に通報した覚えはないのに、素早すぎる所轄署のこうした動きも不自然である。
 翌日、再度診断を受けた結果、医師は、まだこれから腫れなどの症状が出るかもしれないので確定的なものではない、と保留付きで、Aさんは外傷性頚部症候群・腰部打撲・左側胸部打撲・両下肢打撲、Bさんは全身打撲で、ともに加療約1週間と診断した。  

悔しいの一言

 記者会見の場で、被害者2人は「悔しいの一言」と述べ、肉体的にうけた傷はもちろん、人権の砦であるはずの裁判所での暴力事件であり、職員らが口にした人権をふみにじる言葉(生意気な女、ガキのくせに、クズ)によって受けた衝撃が大きいことを訴えた。ことに、生まれて初めて裁判所に来てこんな目にあった高校生のBさんが、日本の司法制度にどんな思いをもたされたのかを考えると、職員たちの行為の意味は、きわめて深刻である。これは、けして一部の職員の個人的な行為ではなく、あきらかに指揮者と見られる男(紺色のスーツを着た50代の男)がおり、その命令下に組織的に行われた犯罪である。被害者は、「若い男のほうからやれ」とか「ここなら(見えないから)思いきりやれる」といった言葉を聞いている。
 裁判所側は、Bさんが職員に殴りかかった、と説明しているが、Bさんは否定している。現時点ではそのこと自体は「薮の中」だとしても、Bさんの全身打撲が職員の暴行の結果であることは間違いのないことであり、またなんらかの実力を行使した、とは裁判所側も主張していないAさんの負傷が、どのような「適法な行為」によって生じたものか、どう説明するつもりなのか。
 職員らの行為は正当な職務執行に過ぎない、という5月29日の回答が、裁判所として現段階での結論であるとしているが、なぜ被害を受けた当事者であるAさん、Bさん母子から一言の事情聴取もせずに、職員だけの話から結論が出せるのか?被害者が救急車で病院に運ばれたことを知っておりながら、裁判所広報課は、二人の怪我の程度は一切認識していないと述べているが、それで調査したなどと言えるのか?怪我の程度も知らず、職員の行為が適法な範囲を超えていたのかどうかの判断も出来るわけがない。

人権意識の欠如した裁判所職員の対応

 田鎖弁護士は、「これは私の個人的な感じ方だが」と前置きした上で、「新宿西口での路上生活者排除に関わる事件なので、傍聴者にも新宿で生活している方たちが多い。従来から裁判所職員は、そうした人たちを人間あつかいしないようなひどい態度が目に余るほどだった。今回の暴行事件でも、近くにいた傍聴希望者の複数が事件の一部を目撃しているが、彼らが証言したって信用されないだろう、といった職員の思い違いが、背景にある気がする」と述べている。
 事件直後からの裁判所と丸の内署との連携プレーとも受け取れる動きも、司法の独立という民主主義の根幹に疑念を生じさせるとすれば、その根は深い。
 人権救済申し立ては、弁護士会の人権擁護委員会による調査を行い、勧告や警告を行う制度だが、裁判所側が誠実に調査に応じることが前提となるだろう。