コスタリカの子どもたちそして教育

弁護士A

 コスタリカの子どもたちの印象は,「人なつっこい」,「明るい」,「生き生きしている」,「目が輝いている」。私だけではなく,他の人もそういう。おそらく,外国人への興味こそあれ,偏見はないのだろう。コスタリカで子どもたちに会うと,言葉が通じなくても,とても楽しい。

 2000年10月,日本国際法律家協会でコスタリカを訪問し,国立博物館を訪れたとき,たくさんの幼稚園の子どもたちが来ていた。幼稚園の先生たちは,私たちに,「子どもたちに日本語を聞かせてほしい」と言った。以下,そのときの様子について,ある弁護士の報告です。
 「博物館の庭をぶらついていると,二人の女性から猛烈な勢いで話しかけられ,何をしゃべっているのかまったくわからない。そのうち,二人の女性は幼稚園の先生であり,私を日本人であると認識していることがわかり,次第に,日本では何を食べているか生徒に教えてほしいということが解読できた。その辺でうろうろしている外人を捕まえて教材にしようというこの国の先生たちの発想に脱帽。ありがとう,こんちには,など幼稚園の生徒を相手に日本語の教師になって,写真撮影。彼ら彼女らの明るさには圧倒される。」

 2000年10月にリンコングランデ小学校を訪問し,平和教育の授業参観をしたときも,子どもたちが私たちに,何か書いてほしいと,ノートをもって寄ってきた。 今回の訪問でも,選挙の見学に行ったとき,たくさんの子どもたちが,私たち外国人を見て集まってきた。そして,カメラを持っているのを見ると,撮ってあげようかと合図する。だから,コスタリカでは,すぐに大勢の子どもたちと一緒の写真が撮れる。

<リンコングランデ小学校訪問>

 2000年10月12日,ニカラグアからの移民の多いスラム街にあるリンコングランデ小学校の5年生のクラスを訪問した。紛争のなかで教育を受けてこなかったニカラグアからの移民をほとんど無条件に受け入れ,教育も,医療も,社会福祉も,同じように与えようとするコスタリカ政府の姿勢には,ただただ驚くばかりである。
 教室では丁度「平和のためのコミュニケーション」という実験的授業が行われていた。このプロジェクトは,国連平和大学と当地出身の教師によってとりくまれ,その実践結果にもとづいて新しい平和・人権教育のカリキュラムが近く作成されるとのことであった。以下,大学名誉教授が編集したビデオからの報告です。

 国連平和大学の先生は次のように語った。「今,授業でやっていることは,テレビや新聞などに出てくる暴力シーンについて認識してもらい,議論しているところです。平和とは何かを認識してもらうために,まず,暴力とは何かを認識してもらっている。新聞の中に,暴力をどうしていくかという提案も含まれているので,それについて議論している。もし,暴力や紛争が起こったら,それをどのように解決したらよいか,ということに答をだせるように,議論している。その答を出せるように,みんなで協力して行っている。子どもたち同士の間でもけんかがある。それを回りの人も含めてどう解決したらよいかを学んでいる。暴力によらない対案を自分で考え,提案するということを学んでいる。」

 この授業で何を学んだか話してみなさいという先生の提案に答えて,子どもたちは次のように話した。「平和とは自分自身を知ること。自分の平和が他人の平和であるし,他人の平和が自分の平和でもある。平和とは特別のものではなく,あたりまえのことである。」「先生の教え方がとてもうまい。グループで学ぶことにより,このグループは一つの家族のようになって,いろいろな経験を共有することによって平和がうまれている。みんなと対話をするなかで平和というものがだんだんわかってきた。」

以下,この授業参観の様子について,先の弁護士の報告です。

 リンコングランデ小学校はスラム地域のど真ん中にあった。トタン屋根の壁も壊れて傾きかけた平屋建てが一面に連なるスラム街の町並みに入ると,フェンスで囲われた木造平屋建ての校舎が何棟か並んだ小学校があった。私たちは,(危険なので)学校から一歩も外にでてはいけないという指示をうけ,学校の中に入った。

 1500名の小学生が3部制の授業を受けているという。校舎が足りないからである。学校の校舎は木造平屋の質素な造りである。
 学校の見てくれはみすぼらしくとも,授業の中身はすばらしかった。ちょうど平和教育をしているという教室に案内されたが,7〜8人の生徒が,先生を囲んで「紛争」をどのように解決するのかについてディスカッションしていた。「平和は一人一人の心のもち方から始まります」などということを小学校5年生が意見を述べるのである。「あなたのお父さんとお母さんが喧嘩をしたら,どうしますか。」という質問に対し,生徒たちは,「まず,二人を引き離します。」「喧嘩というものは,二人に原因があるのではなく,どちらかに原因があります。そのどちらかを説得します。説得の結果一人が喧嘩をすることをやめれば,もう一方は喧嘩を続けることができなくなり,喧嘩は納まります。」などということを,ディスカッションしているのである。

 生徒の一人一人の顔はみな明るい。ディスカッションの途中から,われわれの方に生徒の関心が集まり,生徒の誰かが,われわれの誰かのところにノートを持ってきてサインをしてほしいという。サインをすれば,他の生徒も皆ノートを持ってきてサインをしてほしいと授業はバラバラになっていた。スラムのど真ん中にある木造の貧弱な校舎とは対照的に明るい顔をした小学生。そして,自分の意見を堂々と発表する小学生。……

 2000年9月,日本反核法律家協会の訪問団としてリンコングランデ小学校を訪れた人は,以下のとおり報告しています。

 被爆者が被爆体験を話したときのことです。食いいるようにみつめていた子どもたちは,話が終わると,次から次へと質問を始めました。
 「なぜ,放射能は何年も後になって人体に影響を及ぼすのですか?」「原爆とは,誰が,何のために落としたのですか?」「今日まで,残留放射能を下げる技術や医療は開発されなかったのですか?」「広島で放射能に汚染された区域はどれくらいですか?」「被爆者のなかには結婚したくないという人もいると聞いていますが……」「被爆者後援会の人たちは,被爆者のためにどんなことをしているのですか?」
 きっと,原爆について学習したことがあるのでしょう。それにしても鋭い質問ばかりです。どうしたら,5年生でこんな質問ができるようになるのでしょう。この子たちに会えただけでも,来てよかったと思いました。

<リンコングランデ小学校の先生の話を聞く>

≪今回の訪問で,少しの時間でしたが,長野県の訪問団の方のお陰で,リンコングランデ小学校の先生の話を聞く機会を得ました。その先生は,2000年10月に同小学校を訪問した際に,国連平和大学の先生と一緒に平和教育を行っていた先生でした。≫

 コスタリカでは,3年前からすべての小学校で英語を教えている。中小企業も含めて国際化に対応するためです。
 コスタリカは,社会的に難しい時期に来ている。移民が多いためです。他の中米諸国の自然災害をふまえ,コスタリカ政府が他国からの移民を受け入れている。他国の人はコスタリカに避難所を求めてくる人で,恵まれない人が多い。これらの人すべての面倒をみなければならない。バラックを用意し,住居を保障しなければならない。リンコングランデ小学校では,4割はニカラグア人です。学校で教えるだけでなく,家庭のことも考えてあげなければならない。今まで教育を受けてこなかった人が多いので,どこから教えるか考えなければならない。しかし,どこの国の子どもも教育を受ける権利があるのです。
 差別をさせないことが大切です。どこに国から来たか,社会的階級がどうか,身体に障害があるかどうかで,差別されてはならない。ほとんどの場合,障害がある人も同じ教室で授業を受けている。
 教育省では,社会的に恵まれていない地域を優先して,物の見方などを教えている。優先して対処している地域は,社会的に困窮している地域です。麻薬の問題や,ドメステックバイオレンスの問題が多い。失業率が高い。医療は無料です。貧困地域から来ている子には,制服や食事を与えることもある。
 貧困地域はいくつもあるが,4校で,新しいプロジェクトが進められてきた。このプロジェクトでは教師のトレーニングを行うが,その内容は,価値観の形成,教育技術,教育方法の訓練。宗教の代わりに,オリエンテーションや規律を教えることの訓練をします。
 平和教育を行うようになった経緯は,生徒がちゃんと先生の話を聞かない,暴力的で,喧嘩が多いことからです。なぜ,生徒がこんなに暴力的で反抗的なのか。スペイン語すらちゃんとできない。家庭がどうなっているのか調査することになりました。調査の結果,何がわかったかというと,ほとんどの場合,家庭が崩壊していることがわかりました。家でも一人ぼっち。家族の中で虐待を受けている。親を呼んで話を聞きました。子どもたちの気持ちを理解することが大切です。まず,人として見ることが大切です。たくさんの生徒の中の一人ではなく,人としてみる。将来的に社会に入ってきちんと役割をもてる人としてみることが大切です。
 勉強ができないのは,心理的問題と,社会的適応力がないからです。かつて,知能が遅れた子どもたちのクラスを開設しようとしたことがありましたが,40人のクラスなのに600人の人が行列をなした。家庭訪問の結果,知能が遅れているというのでなく,個別の指導が必要な人だということがわかった。ジャーナリストなども呼んで調査しました。単に学校だけの問題ではなく,社会的問題でした。文部省の問題であり,国の問題です。カリキュラムだけの問題ではなく,コミュニティー全体の問題でした。
 社会全体の問題だとわかったとき,政府機関やNGOに働きかけ,統合プログラムが必要ということで,平和教育というプログラムが生まれました。国連平和大学と協力して,平和文化が必要と考えました。このプログラムでは,まず,教師がトレーニングを受ける。合計5校くらい。1996年に開始され,1998年になって,各学校独自のプログラムをつくりました。
 私は,リンコングランデ小学校のプログラムのコーディネーターでした。そのプログラムでは,人間とは何かを知るために人類の始まりから勉強しました。家庭,コミュニティ,国,世界の目的は何か。コミュニティや,個人の方針をどうつくっていくかを学びます。
 すべての先生が協力し,1年生から6年生まで各学年ごとに7つ,合計42のプログラムをつくり,2001年に完結しました。自分たちでプログラムを作るなかで喜びを感じました。

<社会科の教科書にみる平和>

 コスタリカの小学校 年生の社会科の教科書から,平和と民主主義に関する部分を少し抜粋してみました。

 「民主主義は,教科書や共和国憲法の中にのみ存在するのではなく,私たちの生活の中にあり,民主主義について考えるという行為の中に存在するものです。」
 「平和とは,理想,希求する心からなるものであり,それを実現するためには,個人がそれぞれの平和を確立することが必要です。そこから,社会の価値観,道徳心から生じる安定性,豊かさを享受しながら,他の人々と平和を分かち合うことができるのです。」
 「私たちは,軍隊のない,対話,尊重,交渉を通して,紛争を解決することを習慣とする,大変平和を愛する国民です。」
 「対話は,文明化された国々,人々にとって,その違いや紛争を解決するために使用する,最も適した方法です。叫ぶことより,無礼に振る舞うより,論争を解決するための武力より,いつも優しさに満ちた言葉,態度が物事を成し遂げることができるのです。」
 「なぜ,多くの子どもたちがみすてられているのでしょうか。なぜ,未成年の犯罪グループが存在しているのでしょうか。なぜ,貧困に苦しむ人々の数が増えていくのでしょうか。国家は子どもたち,お年寄りの人々をどのように保護しているのでしょうか。このような面について問題を提起するとき,私たちとは異なる境遇にある人々に対し,もっと責任感を感じ,もっと寛容になることができるはずです。私たちが現在持っているものは,分け合うべき物としてもっと大切にするべきであることを教えてくれます。私たちが共同体のために働くことを決意させてくれますし,精神的に豊かにしてくれます。そして特に,私たちをより人間らしくしてくれます。」
 「経済の不均衡は,国際平和に対する反作用を生じさせる原因の一つとなっています。地球上に存在する,非常に多くの飢えに苦しむ人々の問題も緊急に解決しなければなりません。この現実が変わらない間は,共存が調和的に存在することは大変難しいでしょう。」
 「コスタリカの現在抱えている問題の一つは,多くの人々に誠実さが欠けているという点です。この悪い現象の原因は,人口の増加,失業,社会からの疎外,貨幣価値の下落,インフレーションなど,様々な点が挙げられます。急速に貨幣が価値を失うこと,雇用の機会がわずかであることは,人々が,現在より困難に見える将来に立ち向かうために,あらゆる手段で財産を手に入れることをいとわないという現象を引き起こすように見えます。しかしながら,共同体において生命が存在できる唯一の方法は,人々が互いに信頼しあうことです。この信頼は,誠実さがなければ成り立ちません。交渉の場,取引の場において,誠実さは,双方に恩恵をもたらすための唯一の手段です。不正な行為は,全体の一部分のみの一時的な恩恵しかもたらしません。」


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