457.城山三郎さん逝去。 (2007/03/24掲載)  

 作家の城山三郎(本名=杉浦英一)さんが、3月22日朝、間質性肺炎のため茅ケ崎市の病院で亡くなられました。79歳でした。名古屋市出身。葬儀は親族のみで行なわれ、後日、お別れの会が開かれるとのことです。喪主は長男、有一さん。
 澤地久枝さんは、『中国新聞』に載せられた追悼文で、こう書かれています。
 「……城山さんは帝国海軍の十七歳の志願兵として生きた体験を、戦争と天皇、組織と個人という終生のテーマ反戦土台に決然と論陣の土台において、身じろぎもしなかったと思う。
 二年前の九月、「城山三郎 昭和の戦争文学」全六巻が完結し、代表作「大義の末」「落日燃ゆ」から、最近作「指揮官たちの特攻」までが収録された。これは、城山文学に新たな命をもたらす再生と言えた。
「個人情報保護法」阻止のため、城山さんは決然として論陣を張られた。なんとしても戦争は食いとめたいという年来の意志。そのためには言論・表現の自由が絶対不可欠という立場からであった。……」
 城山さんは、ベトナム戦争が激化すると、積極的に反戦運動に参加され、例えば1965年11月16日にベ平連がアメリカの『ニューヨーク・タイムズ』紙に出した初めての反戦意見広告の文面作製のためには、桑原武夫、丸山眞男、木下恵介さんらとともに何度も開高健さんや鶴見俊輔さんらとの協議に参加されました。また1966年
10月22日には、地元の 「<ヴェトナムに平和を>茅ヶ崎市民の会」(のちの茅ヶ崎べ平連)主催の「べトナム反戦講演会」(茅ヶ崎農業会館ホール)で、小田実さん、吉川勇一さんらとともに、反戦の講演を行なっています。1967年に米『ワシントン・ポスト』紙に出した2度目の反戦意見広告では、淡谷のり子、岡本太郎、松本清張さんらとともに、その呼びかけ人になっておられます。また、1967年1月25日のベ平連主催「みんなでベトナム反戦を!ジョーン・バエズとともに」(社会文化会館ホール、1,200名参加)では、舞台上でベ平連メンバーとスクラムを組んで、ジョーン・バエズさんらと歌っ ている城山さんの写真も残っています。(右の写真をクリックすると大きくなります。左から一人おいて、いいだ・もも、城山三郎、開高健、小田実、バエズ、高石友也、鶴見良行、久保圭之介、栗原幸夫、深作光貞の各氏。) 城山さんは、 最後までベ平連の運動に積極的に関わってこられました。謹んで哀悼の意を表します。
 なお、あまり知られていないのですが、ベ平連が発行していた『週刊アンポ』の第4号には、城山さんの短編小説「大将と侍たち」が掲載されています。本ホームページに全文でておりますので、ぜひご覧ください。

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