■■ 在留特別許可 ■■

バングラデシュ現地報告

 本年1月21日の東京入国管理局による長期滞在者7名への不許可裁決−即時退去強制執行は信じられない非道な仕打ちでした。

 当人たちは在留特別許可が不許可とされても、行政訴訟の提起や再審情願の提出などを予定していました。しかし東京入国管理局−坂中英徳局長は、法務省ですら「一般的ではなく、レアケースである」(本年1月26日法務省交渉での発言)と認めざるをえない『裁決直後の国費送還』という奥の手を使ったのです。これは決意を固めて自主出頭した7名と、私たちAPFSを始めとする支援の運動の拡がりに恐怖した坂中局長ら東京入管幹部による、見せしめであり報復に他なりません。そこには人道的見地のかけらもなく、政治的思惑があるのみです。

 7名はアパート解約、荷物整理や日本国内預金の引き出しなど出国準備の一切を許されず、だれに連絡をとることもできずにバングラデシュへ送還されました。中にはダッカ空港についた時の所持金がわずか4千円という人もあったのです。信じられられない人権侵害です。
APFSは、今回の裁決−即時国費送還の事実経過を調査し、国賠をも視野にいれた対応を考えるため、また7名の安否と今後の運動方針を確認するためバングラデシュへのスタッフ派遣を決定、全員の聞き取りを行いました。(1月28日〜2月3日)

◇ 裁決前夜からダッカ空港までの事実経過

 再会した7名は憔悴しきっていました。環境の変化や今後の不安から体調を崩している人が多く、聞き取りも長時間は困難なため数回にわけて行いました。若干の個人差はあるものの、事実経過はおおよそ次のとおりです。

 まず裁決前夜すなわち1月20日の夕食後に「今晩は大部屋に泊まってください」と入管職員から指示され部屋を移動、3名、3名、2名の3部屋に振り分けられました。(入管は私たちが支援を停止した1名についても終始同じグループとして扱った)

 翌朝、7時頃、一人づつ大部屋から出され個室に連れて行かれました。そこには5,6人程の職員がいました。うち一人はビデオを録画しており、このビデオ録画は飛行機に搭乗するまで続いたそうです。

 個室内で、各人に在留特別許可を認めない旨の裁決通知書が見せられ、ついで仮放免も認められないことを告げられました。そして「これからバングラデシュに帰国してもらいます」と一方的に通告され書類へサインを求められたのです。この時の職員の声や雰囲気は今までになく高圧的で恫喝といえるものだったそうです。この職員の威圧的な態度による強制に恐れをなし、何が書いてあるのか理解しないまま書類にサインしてしまった人もありました。

 この後、出頭者全員が一同に集められました。そこには何と入管職員が50名、その他バングラデシュまで同行した私服職員が10名もおり、7名は非常な恐怖を覚えたそうです。  

 8時頃、マイクロバス2台に分乗し、成田空港へ。空港地下でいったん待機したのちに
他の乗客にさきがけバングラデシュ・ビーマン航空機のコックピット横の扉から搭乗。両脇を職員が固める態勢で最後尾に着席。午前11時半に離陸し、その夜8時頃にダッカ空港に到着しました。空港には在バングラデシュ日本大使館員もやってきていました。入管職員10名がそのまま帰国の途についたあと、当事者たちはバングラデシュ入管の取調べを受け、全員旅券を取り上げられてしまいました。そして深夜11時過ぎにやっと解放されたのでした。しかし、所持金が少ないことにくわえ、皆、十数年ぶりのダッカ市内ということで、行くあてもなく、途方にくれてしまいました。幸い一人の実家が市内であったので、皆、そこへ身を寄せました。

◇ 現場入管職員はどのような行為をしたか

 今回の調査、聞き取りで現場入管職員の悪辣な行為も明らかになりました。
 まず、裁決通知を行うために7名を収容施設から出す際、「これから最後のインタビューをします。心配ありません」などと虚言を弄したことです。機内でも「大丈夫。1年たてば、また日本に帰れます」などと平然と言い放っていたそうです。無論、今回の7名に出国命令制度は適用されず、5年間は上陸拒否期間となります。1年後に上陸特別許可が認められるとも思えません。こうした嘘を並べることにより、当事者7名に希望をもたせ、反抗させないようにしたものでしょう。

 職員は当事者の反抗をよほど恐れていたらしく、空港地下にて待機中に数名が「トイレに行きたい」と要求した際、手錠をはめたまま、しかも3名から4名で取り囲み用を足させようとしたといいます。彼らは恥ずかしさのあまり、トイレを我慢せざるを得ませんでした。

 バングラデシュ到着前、入国カードを記入していた入管職員のパスポートを見た当事者はそこに05年1月6日付在日バングラ大使館発行の査証スタンプが押されていたことを確認しています。またビーマン航空機のエアーアテンダントは当事者たちに「2週間前からあなたたちが帰されてくるということはきいていましたよ」と述べたそうです。結局、裁決の結果は始めからきまっており、早い段階で国費送還が決定されていたということです。
なお、7名の内の一人が職員に「なぜ不意打ちで帰国させるのか」と問いただしたところ「マスコミがうるさいからだ」と答えたといいます。これは本音でしょう。

 東京入管および法務省の行為こそ、まさに「無法」であると良く分かりました。

◇ 現地行動

 当初、現地マスコミに働きかけ記者会見を行うこと、バングラデシュの国会議員と会い討論することを予定していましたが、滞在中に政治家への爆弾テロに端を発する暴動とゼネスト(滞在期間6日間のうち4日間)のため十分に動きがとれず、残念ながらこれらは果たせませんでした。
 
 次善策として日本大使館に対する抗議行動、声明文提出を企図するも、前記した事情によりこれも断念。そこで入管を批判するプラカードをベンガル語、英語、ベンガル語でつくり、当事者7名と友人ら20名ほどでダッカ市内の目抜き通りをデモ行進しました。このデモの最中、通行人のバングラデシュ男性が声をかけてきました。彼も日本で長期滞在していたが、摘発され退去強制されたそうです。「日本の入管行政は本当に酷い。あなたたちの主張にはまったく同感だ」といってデモに参加してくれました。

◇ 7名の意思を引き継ぎ、非人道的入管行政に立ち向かおう

十数年も日本国内で暮らし、突然バングラデシュに追い払われた7名。彼らが直面する
状況は想像もできないほどきびしいものです。しかし別れ際、彼らは「入管、法務省など一部の日本人には酷い目にあいましたが、ほとんどの日本人は良い人でした。私たちを追い出した日本という国を、今でも嫌いになれません。本当にありがとうございました」と言ってくれました。彼らは非正規長期滞在者の問題に一石を投じました。彼らの闘いの軌跡は大きく、それを無駄にすることは許されないと思います。今後も7名のグループは維持し、各自が月1回APFSに連絡をすることになりました。そして、その中から具体的な運動方針を出して行くことが確認されたのです。私たちAPFSは日本の入管行政にこれからも立ち向かいます。7名の意思とともに。  

(報告 山口智之)

 





ホームページへ ページのトップへ

ASIAN PEOPLE'S FRIENDSHIP SOCIETY (APFS)