アクト
[HOME]

 act@jca.apc.org

[ACT新聞社の紹介]
[最新号]
[バックナンバー]
[記事検索]
[募集]
[お申し込み]
[“緑”のページ]
[リンク集]


5・18ACT読者会[緑の党の可能性]

 必要なのは
   「党」ではなく「政策」

                    橋本久雄●小平市議



 今大会は、全体では70ヵ国、800人が参加しました。一番多かったのがオーストラリアでほぼ半数、次がニュージーランド、そして次に多かったのが日本なんですね。全部で40人程度。「虹と緑の500人リスト運動」からは30人ほどが参加し、私もその1人として加わりました。
 大会の話の前にまず、その「虹と緑の500人リスト運動」についての説明させていただきます。
 この運動には、現在300人のメンバーがおりまして、そのうち、地方議員が半数、残りが市民会員です。会員のなかには、広島市長の秋葉忠利さんや東京都議の福士敬子さんらもいます。結成は99年の統一地方選挙の前。まだ2年ほどの組織です。

私は参加反対派だった

 さて、現在、その「虹と緑」は「緑の党」になろうとしているか否か、今日はこれについて触れねばなりません。
 虹と緑のメンバー個々は、ヨーロッパの緑の党が主張しているような内容を掲げて、それぞれの自治体で活動をしていることは確かだと思います。だけど、その活動と「緑の党をつくる」ということの間にはかなり大きな距離があるんですね。つまり、「党をつくる」ということになると、議員のなかでも肯定的でない人が少なからずいます。
 そういうこともあって、「虹と緑」でこの大会に参加することに関しまして、私は賛成ではありませんでした。「党をつくる」という方向性がハッキリしていないのだから、大会で「虹と緑」が何をしようとしているのかが分からないし伝わらない。だから、私は、「行くについては、参加メンバーを中心にして、どのような政治的立場をもって参加すべきか明確にすべきだ」と言い続けました。
 しかし結論からいえば、事前の打ち合わせというのはホームページやメールなどで多少議論しただけで終わってしまったというのが実状です。大会に参加してくるのは党とか党をつくろうという人であるわけだから、それではあまりにも失礼だと思いました。だから、私は「このままでは行ってもしょうがない」と主張していました。私自身の参加に関しては、東京から行く人間が少ないこともあり、結果的にメンバーに加わることになったに過ぎません。

他国と日本、その運動の差

 しかし、行くことになった限りにおいては、できるだけ多くの成果を持って帰りたいという思いがありました。
 各国の緑がどいういう運動をしているのか、そして、「政党」というものに対する批判をどう克服して「政党化」していったのか、といったことを知りたかった私は、いろんな国の緑の党の方々の話を聞くため、現地で交流会をセッティングしました。参加したのはドイツ、フランス、韓国、モンゴル、台湾の人たち。ここでいろんな話を聞き、また議論をしましたし、具体的には北東アジアのネットワークをつくろうといった話も出ました。
 このなかで、韓国や台湾は党がないわけです。でも、今、「緑の党をつくろう」とがんばって運動を展開している。
 韓国の場合、落選運動をやった人たちが中心です。その会員数は83000人、支部は50あって、その専従者も100人くらいいるといいます。そういうケタ違いの規模の運動を現実的にやっているんですね。それなのに、党を名乗ることはできない。地方議員はいるけど、国会議員はいないというのが現状です。
 台湾でも前回の地方選挙のときには、選挙区全体の3分の1で候補者をたてています。もちろんほとんど落選しましたが、それでも得票率は1%程度いったようです。だけど、その台湾でも党はまだできていない。「党をつくる」というのはやはり大きな壁なんですね(編集部註:のちに橋本さん本人が確認され、「台湾には、既に緑の党がつくられている」との訂正があった)。
 そういった国と比べると、「日本の市民運動って何だろう」って思っちゃいますね。万の単位で会員持っているのっていったら、「地球村」くらいでしょうか? 「消費者連盟」でも5000人くらい。「グリーンピース」もそれくらいでしょう。だから、もう、圧倒的に運動の規模が違うんですね。「数」ばかりを問題にするのはおかしいですが、かといって、この現実抜きにして政党云々を語るのは非常に無理があるような気がしています。私たちも500人リスト運動っていうんだから、せめて500人の地方議員を抱えたときに初めて議論ができるんじゃないかと思っています。

こんな集会も好きじゃない

 ここで、私自身の意見を言うと、「政党になること」に対して、私は抵抗感はありません。ただ、私たちは議員として当選するときに、いわゆる既成政党を批判して当選していてるから、「政党はよくないんだ」っていうすり込みをやってきたという思いがあります。だから、「政党をつくろうよ」っていうのは、外からは矛盾しているように見える、という意味での抵抗は多少あります。
 ではどうしたいのか。
 私は、各地で議員がやっている活動を横につなげて、具体的な統一政策を掲げ、次の統一地方選挙に臨むことができれば、外から見れば「緑の党に近い運動体」という評価を受けると思うんです。そこに踏み込みたいと私は考えています。だから今は、1年間くらいかけていろいろな政策を出しあっていくことが必要だと思っています。
 そういうわけで、「政党をつくるのか否か」という議論は実のところあまりしたくはありません。というか、意味がない。それより、実態をつくること、「どういう政策を掲げるか」ということが重要だということです。
 ついでにいうと、こういう集会に出るのも好きじゃない。なぜならおもしろくないから。
 私たちは会員を集めて、学習会なんかするんだけど、問題によっては難しい話ばかりで、それについていくのが精一杯という感じになってしまうんです。でも、本当はそうじゃなくって、外に開いていくことが大切なんじゃないでしょうかね。活動している人たちが外に出て、訴えていくという運動をやっていかなくちゃいけない。そういうムーブメントが日本には少なすぎるんです。
 幸い選挙というのは、自分たちの主張を掲げて、支持者でない人に訴え、論争したりできるんですから、それを利用して、運動を各地に広げていくことができるんです。そういう「外への広がり」につなげることを自分たちはやってこなかったなぁ、と思います。こういうところで話し合いをするより、そういうことの方が貴重だと思います。
 今回の世界大会をみても、私が一番感じたのは、政治の風景が日本と違うということです。たとえば、若い人が政治に発言しているし、大会の運営の中心を女性が担っている。最後の主催者側の挨拶はニュージーランドの15歳の女性でした。全然違うんですね。正直ショックでした。
 私たちが、そういう若い人たちに運動を広げていくことができなかったことに対して自問自答していくと、さっき言ったようなことにぶつかるんです。
 くどいようですが、最終的に緑の党ができるかどうかは分からないし、そこにこだわってはいません。とにかく、まず、これから2年くらいの間に、共感するメンバーを集めて政策づくりをしなくちゃいけない。これまでは、相手を批判していくやり方をしてきたけど、これからは「自分たちはこうするんだ」ということを明確に示さねば、市民は私たちを選択してくれません。
 そのために、まず、シンクタンクを抱え、多くの意見を集め、「虹と緑」としての政策を掲げる。そうしてはじめて日本における「緑の政治運動」につなげることができるんではないでしょうか。


はしもと ひさお  1951年、東京・世田谷区に生まれる。71年、早稲田大学教育学部入学。75年、石川島播磨重工業・田無工場入社。87年、共同購入会いきいき広場を設立。89年、小学校給食調理員の民間委託案を撤回させる。93年、「市民の政治を考える三多摩フォーラム」設立。95年、地方議員ネットワーク「三多摩発95」設立。この年、小平市議選に立候補するも、落選。また練馬区介護人派遣センターで重度の在宅障害者の介護を始める。早朝5時に起き、牛乳配達で活動費を捻出。さらに日の出処分場問題に関わるようになり、97年「ごみ・環境ビジョン21」設立。99年、虹と緑の500人リスト運動設立に参加。一方で、「市民自治をめざす、三多摩議員ネットワーク」設立。この年、小平市議会議員選挙、当選。2000年、731部隊遺跡保存のため、中国ハルピン周辺調査団に参加。
E-mail ANA15698@nifty.com  URL http://homepage2.nifty.com/hashimoto-hisao/


アクト
[HOME]

 act@jca.apc.org

[ACT新聞社の紹介]
[最新号]
[バックナンバー]
[記事検索]
[募集]
[お申し込み]
[“緑”のページ]
[リンク集]