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『ACT―市民の政治―』205号(2003年11月10日)

Line Up

  ◆辛口レビュー
     再生自治労に女性書記長誕生
        植本眞砂子さん(全日本自治団体労働組合書記長)
  ◆CATCH UP  ◆いずみ(編集長コラム)
  ◆11・3 憲法集会
  ◆10・31 狭山集会
  ◆少年写真新聞社第2次争議
  ◆住基ネット本格稼働・監視社会にNO!
  ◆ザ・主張  異論「二大政党・第三極」論
  ◆バーチャル政党“老人党”のなだいなださん
  ◆10・22 池明観氏講演会in東京
  ◆11・1 平民社100周年記念集会in大阪
  ◆麻生総務相の「ホームレス」差別発言に対し抗議の声
  ◆[案内]シンポジウム トップ当選の新人議員は見た!地方議会のバカの壁
  ◆[案内]武富士裁判
  ◆住民投票津々浦々[10月1日〜31日]
  ◆BOOK Review
     分煙社会をめざす会レストラン・プロジェクト編
       『空気のおいしい禁煙レストラン&カフェガイド』
     NO DUヒロシマ・プロジェクト 編
       『Hiroshima Appeal 劣化ウラン弾禁止を求めるヒロシマ・アピール』
  ◆テレビ丼
  ◆ご協力ください――チェルノブイリ子ども基金
  ◆広告(3面) さつき印刷
            12月フォーラム……オルタフォーラムQ
            『軍縮』12月号……潟Aストラ
            『創』12月号ほか……創出版

辛口レビュー

再生自治労に女性書記長誕生
 植本 眞砂子さん
(全日本自治体労働組合書記長)

タテマエとホンネ一致させ、市民に開かれた組織に脱皮

「質の高いサービス」と「労使協働」が必要

植本眞砂子
うえもと まさこ
 1949年生まれ。67年に大阪府に入職。92年、43歳で自治労大阪府職員労働組合執行委員となる。以後、94年、同書記長、98年、同副執行委員長に就任。2000年、自治労大阪府本部書記次長に。01年より自治労本部副中央執行委員長。そして、今年2003年9月に続開された第74回大会で同書記長になる。ご家族はお連れ合いと娘さん。最初に支部の執行委員になったとき娘さんは1歳半だったが、お連れ合いと家庭責任を分かち合い、以後30年近く組合の役員を務め続けている。2年前に本部の副中央執行委員長になって以降、東京に単身赴任中。   【構成:金高毅 写真:大島正裕】

 9月に続開された第74回自治労大会(203号に詳細掲載)で、新書記長に就任された植本眞砂子さんの人柄を知りたくて本部へ取材を申し入れた。自治労史上初の女性書記長は多忙の中、小さな市民新聞の申し出に快く応じてくれた。
 ――今大会のキイワードは「再生自治労」と「自治労21世紀宣言」、それに加えて「女性書記長」の登場でした。
 はじめに、「再生」という意味についてお尋ねします。自治労は本部役員による巨額脱税事件等の「不祥事」で組織的な大危機に見舞われ、また社会的信用も落としました。それが、今大会で再建できたということですか?
 
 この1年半、事実関係の究明、責任者処分、財政処理、再発防止のための組織改革等を進めてきました。もちろんこれで終わりではありませんが、一つの節目の大会でした。しかし、「再生」というのはそれだけでなく、旧来のあり方を思い切って変えていくという意味も込めています。
 ――その一面として、「お役人組合」からの脱皮があると理解してよいですか?
 自治労が21世紀に存在していくためには市民とともに自治体を改革していく姿勢が必要です。「アゴの自治労」と言われるような理屈先行では駄目ではないか、もう一度、足元から職場に根付いた運動をつくっていこうよ、という意味を込めた「再生」です。
 ――危機を乗り切れた理由をどのようにお考えですか?
 自治労は分権組織で、構成する単組がしっかりしていたからだと思います。単組に結集する組合員は自治労を潰してはならないと考えてくれたのです。単組で意見や考え方を整理し積み上げる、そして中央はそれを広げていく――双方がチェック機能を有していれば必ず生まれ変わります。
 ――「再生」という言葉には旧来の官公労的な労働組合からの脱皮し、民間労働者や市民に開かれた労働組合へ、という思いがこめられていると理解してよいでしょうか?
 そうです。21世紀宣言では「効果的で質の高いサービスの実現」「すべての公共サービスを担う労働者の連帯を実現」を打ち出しました。


以下、本紙をご参照下さい。
                  


いずみ

 荷が重かった「平民社100年大阪集会」は成功裡に終わり、安堵した。平民社については高校生程度の知識しかないのに、並み居る専門家を御す司会をさせられた。そのうえ選挙中の、それも三連休の初日という参加者を確保するには最悪の日程。素人のぼくを司会者にするのは動員をあてこんでのことと、百も承知のことゆえ気が重い。血圧は上がり胃はキリキリと痛むのだ。
 定刻五分前に会場に入るとなんと100人定員の席はぎっしり埋まり、スタッフが大慌てで補助椅子を運んでいるではないか。『平民新聞』の衣鉢を継ぐのはこの新聞なりと、用意したACTの宣伝紙は早々になくなってしまった。気を良くして司会もなんとか馬脚を露さずに済んだ。
 記念集会は堺利彦の生地福岡豊津を皮切りに、森近運平と『大阪平民新聞』の大阪、田添鉄二と『熊本評論』の熊本、平民社の所在地東京、幸徳秋水の高知県中村と開催され、これから開催される。
 奇妙なことにというべきか当然にもというべきか、マスメディアは朝日新聞が小さく報道した以外は完全無視。大阪集会に参加していた記者は数人いたが、すべて個人の立場で参加していたのでニュースにもならない。
 平民社は1903年10月、堺利彦、幸徳秋水らによって結成され、週刊『平民新聞』は同年11月に創刊された。そのマニフェストは平民主義(民主主義と反差別)、社会主義(平等主義)、平和主義であった。1904〜05年の日露戦争に際しては、すべての新聞と圧倒的な世論が主戦論にあった中で、一人非戦論を貫いた。ために1905年10月9日、2年足らずで解散させられた。そして1910年には幸徳秋水らは大逆事件をでっちあげられ死刑。遺族らは百年後の今も息を潜めて暮らしている。
 国会議員の九割が戦時体制づくりに賛成している。イラクへの日本軍派遣では賛否は分かれているが、差異は技術的差異にすぎぬ。北朝鮮に対しては何をやってもよいかのようである。メディアと国民は100年前に戻りつつある。平民社のマニフェストを継承すべきときだ。

                                                     小寺山康雄 


店・モノ・活動を‘ECOひいき’!!

 ACTの名物コーナー「ECOひいき」に登場してくださるみなさんを募集しています。「ECO」なお店、会社、グッズ、運動、などを是非、ACTで紹介させてください。自薦・他薦は問いません。紹介文は、本紙だけでなく、ACTのウェブサイドにも掲載させていただきます。
 @お店・グループ名 Aお店の紹介や商品説明、活動案内(500字以内) B連絡先(お店などの場合、「行き方」も) C執筆者氏名 D掲載紙送付先・原稿に関する問い合わせ先 ―を明記し、EメールかFAX、もしくは郵便でACT編集部[act@jca.apc.org]までお送りください。地図・写真などを添付していただければ、それも一緒に掲載いたします。(編集部)


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