news-button.gif (992 バイト) 10 6月24日、東京・日比谷野外音楽堂での盗聴法反対8千人集会について 
      主として「中核派」「革マル派」の対立と、共産党の姿勢について

 6月24日(木)、東京の日比谷野外音楽堂では、評論家の佐高信さんらのよびかけによる「許すな盗聴法! 6・24大集会」が開かれ、8千人(主催者発表)が参加したそうです。私は、この日の行動には参加できませんでしたが、参加した仲間からの話や、そこで撒かれた革マル派、中核派のビラ、そして『赤旗』、『かけはし』(日本革命的共産主義社同盟――いわゆる第4インター編集の週刊紙)などの記事から、感想、意見をのべてみます。

 日比谷野外音楽堂には、8千人はおろか、5千人入るのもたいへんでしょうから、過半数の人は、場外に溢れていたと思っていいのでしょう。私の加わっている市民グループ「市民の意見30の会・東京」からもかなりの人が参加しました。

 『赤旗』も『かけはし』も、会場内での発言などは紹介していましたが、場外でどんなことがあったかはまったく触れていません。『かけはし』には、「多くの人びとが会場の外に待機するという大結集」とだけ書いてあります。

 『赤旗』の記事は、翌25日付けでは、「日本共産党の不破哲三委員長はじめ、民主党、社民党の三党とさきがけ、二院クラブ、国民会議の三会派の代表が来賓として挨拶し、労働戦線からも、組織のちがいをこえた幅広い労働者が結集」と、もっぱら議会内諸勢力の共闘の面と労働戦線に力点をおいた報道で、市民団体などについては「盗聴法案に反対して草の根から運動を進めてきた労組、市民・女性組織が全国から集まり、団体の旗、のぼりが林立」とあるだけで、具体的にどんなグループが参加したのかは報道からはわかりませんでした。また参加知識人としても名前が出ていたのは前記佐高信さんだけでした。編集部としても、この日の段階では、どういうスタンスで報道したらいいのかわからなかったのでしょう。それから1週間後の7月1日号になって、14面で、「法律家、マスコミ、学者・文化人、自治体…… 広がる盗聴法反対の声」というタイトルのまとめ記事の中に「6・24集会」という小見出しで、「呼びかけ人は二十三氏。」として、佐高信さんのほか、宮崎学、辛淑玉、田中康夫、……鎌田慧、吉永みち子さんら23人の名を全部紹介しています。しかし、参加した諸団体の名は、政党以外では、連合、全労連、東京全労協、そして日弁連だけでしたし、その日に採択された「集会宣言」ではなく、集会のための「よびかけ文」の要旨だけを載せていたのも、なんだか妙でした。

 なぜなのでしょうか。どうも一つには、場外であった不穏な状況をどう報道していいか、態度が決まっていないからなのかと思えます。場外ではどんな雰囲気があったのか。

 幸い、暴力的対決にはなりませんでしたから、内ゲバがあったとはいえないのですが、集会に参加しようとする早稲田大学商学部自治会など(中核派はこれを革マルだ、と言っている)を、「盗聴をするような団体の参加を認めない」として入場を阻止する主催者側の整理員(?)(革マル派は、これを中核派だと言っている)との間で、険悪なにらみ合い、対峙の状態が続いていたそうです。その間をすりぬけて会場に入った私のある知人は、異様な雰囲気で「何が起こるか おっかなかった」と言っていました。

 当日、早大商学部自治会常任委員会が撒いたビラによると、同自治会は「是非とも集会を成功させるために微力をつくしたいという思いにもとづいて」実行委への参加を申し込んだところ、「事務局内の中核派分子が、この私たちの申し入れを一方的に拒否」したのだそうです。このビラによると、「いやそもそも、二十二日の事務局会議の場を訪れて最初にびっくりしたことは、なんと十数人の中核派がたむろしていたことでした」として、金山元「中核派全学連」委員長ら固有名詞を挙げています。そして、6月15日の夕刻の中核派集会では、「新安保ガイドラインと有事立法に反対する百万人署名運動、組対法に反対する共同行動を代表した」小田原紀雄さんが、「『カクマル・JR総連は一人も入れない』と、呼びかけ人も言っている。……」と熱烈に訴えた、という中核派の機関紙『前進』(1914号)の記事を引用しつつ、中核派は「『カクマル』とみなした団体・個人を排除するための策謀をはりめぐらせていた」と非難し、「事務局を名乗る中核派小官僚は、『JR総連の参加拒否』を決定」したことに批判の声がまきおこっている、とものべています。

 一方、中核派は、当日撒いたビラで「盗聴のカクマルには『組対法反対』を語る資格はない」として、「組対法反対のたたかいがもりあがり、決定的な局面にきた今、組対法に反対してたたかう隊列にファシスト・カクマルとカクマル=JR総連が介入策動を強めています。カクマルの介入の目的は、組対法反対のたたかう戦線を破壊し、闘争を解体することにあります」とのべ、カクマル排除を訴えています。また、中核派系の「反戦共同行動委員会」が撒いたビラも、「小渕政権の意をくんで組対法闘争の破壊のための介入を開始したのが、今まで組対法と闘ったこともなく、そもそも国労などの闘う労組や人民へのファシスト的襲撃と脅迫のために、警察と同様に盗聴を常套手段としてきた革マル=JR総連です」として、「敵対を打ち砕」くことを呼びかけています。

 そして、「盗聴」については、両派とも、『朝日』や『読売』の記事を引用しつつ、相手が、盗聴をやっているのだ、と非難しあっています。

 これが背景で、当日は、集会の事務局だと名乗る中核派の活動家(資格は実行委に参加している「100万人署名運動」の事務局だということになっていたのでしょう)が、入場しようとする革マル派(表向きは「早稲田大学自治会」であったり、「JR総連」ということになっていたのでしょう)を阻止し、対峙しあったという事態が起こったのだと思います。(私個人は、JR総連=全部が革マル派だとも、「100万人署名運動」の参加者全部が中核派だとも思っていません。ただ、JR総連活動家と称する人の中に、かなり革マル系の人が多くいるということや、「100万人署名運動」事務局に、かなり中核派活動家がいるのは事実だと思います。)

 共産党は、これまで、中核派や革マル派は、権力によって泳がされている「人民に敵対する極左暴力集団」で、絶対に容認できない(もちろん共闘などしない)としてきたのですが、5/21反周辺事態法5万人集会のときもそうでしたが、今回も、それには触れず、見えないことにして、野外音楽堂の演壇の上だけを見ることにしていた(議会内の戦術の一環として)というところなのだと思います。

 こうした問題は、1960年代の終りから、70年代にかけてのベトナム反戦や沖縄問題などの共闘を成立させる上で、私の参加していたべ平連や、その他の市民団体が、まとめあげたり、内ゲバを阻止するために、えらく苦労をした点でした。その前には、共産党が、ベトナム反戦の共闘関係を作るための会合で、「新日本文学会」は「反党集団」だから排除せよと強硬に主張し、それが容れられないとなると、「では、民主文学同盟の参加を取り止めるから、それと引き換えに新日本文学会も取り下げさせろ」などという提案をして、多くの市民団体をあきれさせるなどのこともありました。このあたりの具体的状況は、内ゲバ問題についての市民運動側の姿勢などについてとともに、数学者の福冨節男さんが、その著書『デモと自由と好奇心と』(第三書館、1991年)の中で詳しく書いています。また、内ゲバについては、私も拙著『市民運動の宿題』(思想の科学社、1991年)の中で論じています。(べ平連の場合、その中心的活動家の中に、私自身を含め、今はない「共労党」メンバーがいたことは事実でしたが、べ平連内では、これら共労党員が、セクト性を出すことはなかったと信じていますし、べ平連もそれを排除しようとしたことはありませんでした。しかし、この点については、あらためて、ちゃんと論じたいと思っています。)

 いずれにせよ、この問題は未解決です。市民運動の中では、ほとんど結論が出ているとは思うのですが、党派系列の市民運動が党派性を否定して、市民運動だと名乗ってくる、あるいは、全体としては、党派系とは言えず、かなり大衆的基盤をもってはいても、その実務を担当する事務局がセクト的な一党派によって占められている場合もあり、いわるゆる「市民団体」の場でも、問題が蒸し返されて出てくることになります。とくに、新ガイドラインや盗聴法、あるいは君が代・日の丸問題などでは、この問題がかなり表面化してくることが懸念されます。共産党も、どこまでこの種の共闘にお付き合いするのか、疑問です。

 以上が、とりあえずの、6/24行動について感じたことです。

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