news-button.gif (992 バイト) 69  「一人ひとりの生」の重さ 第三書館編集部編 『テロ死/戦争死』 2005.11 第三書館) (05/11/24搭載

 以下は、第三書館が発行したフォト・ドキュメント『テロ死/戦争死』(2005年11月刊)に掲載された文だが、これは、かつて『市民の意見30の会・東京ニュース』70号(2002年2月号)に執筆した文章をもとに、その後の状況を加えて書き直したもの。なお、この本には、私以外に、板垣雄三、酒井啓子、古川利明、湯川武さんの文章も掲載されている。

「一人ひとりの生」の重さ――人の死の迎え方について思う――

                                          吉 川 勇 一

テロ犠牲者、それぞれの物語伝えたい
1800人の「生」に迫る

 昨年9月の米国同時多発テロ犠牲者たちの横顔を、米紙ニューヨーク・タイムズが伝え続けている。タイトルは「悲しみの肖像」。今までに取り上げた犠牲者は約1800人。「犠牲者を数でなく、一人ひとりの『生』として伝えたい」との思いを込めた。テロが米国にもたらした悲劇の膨大な記録でもある。今春には一部が本になる。
……子ども思いだった夫、いつも歌を歌ってくれた父、職場で信頼の厚かった同僚。それぞれに物語があった。学歴や職業、経歴を並べるだけの従来のような記事にはしたくなかった。……遺族の胸の内に入り込む取材は、簡単ではなかった。約80人を担当したバーバラ・スチュワート記者(50)によると、5人に1人は取材を拒んだ。なお気持ちの整理がつかない人もいた。一方で、「愛する人のことをだれかに話したい、聞いてもらいたいという人も少なくなかった」……(『朝日新聞』2002・1・16)

 この記事が伝えるテロ犠牲者の家族たちの気持ちは実によくわかる。一瞬にして愛する肉親を奪われる。それまで続けられていた日常の関係が突如断絶させられる。奪われた人びとへの痛切な想いは、いくら語っても足りないことであろう。
 阪神淡路大震災で奪われた命は六四三二人。その肉親たちの思いもまったく同様のはずである。
 実は、以前、私ももう少しでそういう思いを抱くことになる寸前まで行った。ただし、これはテロでも人災でもなく、ごく私的なことに過ぎないのだが、少し紹介させていただく。

 五年前の正月、連れ合いのかかったインフルエンザが悪化し、急遽入院した。病院で診察を受けているうちに倒れるほど、病状は悪化していた。
 呼吸困難になる場合は、人工呼吸器をつけることになるかもしれない、そのときは、機械の強制する人工的呼吸と自然の呼吸とがぶつかり合うのを避けるため、人為的に意識を失わせる措置もとる、と医師から言われた。私は、そういう措置をとる必要が出てきたときは、事前に連絡するように頼んだ。
 緊急の連絡を受けるため、はじめて買った携帯電話で病院から呼び出され、私が駆けつけたとき、連れあいはすでに特別治療室に移されて人工呼吸器が装着されていた。意識はなかった。担当医師からは、家族の方が来られるのを待つだけの余裕がないほど危険な状態になったため、病院の判断でそういう措置をした、という説明を受けた。
 どれくらい、この状態が続くのか。――二週間かもしれないし、三週間になるかもしれない、長くなるような場合には、咽を切開して、そこからパイプを入れる措置も必要となる、ということも聞かされた。快復して、人工呼吸器を外せるようになれば、徐々に意識も戻るが、それまでは、自分の力で動いているのは心臓だけ、つまり、植物人間の状態がずっと続くことになるのだった。医師は、ほぼ一〇〇パーセント可能のことしか言わない。快復の可能性は? ――さあ、何とも言えませんが、五分五分といったところでしょうか。――このまま、意識が戻らず、死ぬこともありうるのですね? ――そうならぬよう、全力をつくしますが、ないとは言えません……。
 目の前で、連れあいは、人工呼吸器によって送り込まれる酸素を吸ってはいた。しかし、ひたすら眠っている。医師の説明の口ぶりからも、事態がかなり深刻であることがわかった。場合によれば、このまま死ぬかもしれない。そう思えた。その後、咽の切開手術も行なわれた。一時は葬儀のことまで友人と相談し、写真を揃えたりすることまでやったのだった。
 やりきれなかったのは、四十数年ともに生活してきた連れ合いと、このまま、一言も会話を交わせずに別れなければならないかもしれない、ということだった。楽しかったこと、辛かったこと、喧嘩したこと……そういう出来事への感謝、文句、詫び、それらを何も伝えることが出来ず、聞くことも出来ずに、生ある人間同士の付き合いがこのまま終わってしまう、そう思うと、涙が出てきた。(病気の経過は、まだいろいろ続くのだが、長くなるのでやめる。結果だけをお伝えすると、医師の必死の治療もあって、このときは、彼女は一命をとりとめ、退院できた。その後、予後の診察で連れ合いを連れて病院へ行くと、看護婦さんたちは「あ、奇跡さんが来た」と言った。それほど病状は危機的だったのだ。(ただし、彼女は、意識がない間にかかった眼病のせいで失明同然となり、私同様、身障者手帳を持つ身分となり、一人での外出、買い物、炊事などはできなくなってしまったのだったが……。)

 少し、気持ちが落ち着いてくると、突然の交通事故、あるいは天災、そして特に戦争で犠牲にされた一般市民の家族は、すべてそういう思いをさせられてきたし、しているのだ、ということに思い至った。阪神淡路大震災、湾岸戦争、チモールでの紛争、アフリカ各地での民族対立、そういう場所では、この思いをさせられている人びとが、数千、数万の単位で一挙につくりだされる。そう思うと、ますますやりきれなくなった。少し想像力があれば、これは容易に察せられるはずのことではあるのだが、しかし、自分がそういう立場(私の場合は、そういう立場の寸前)に立たされるまでは、本当の実感になっていたとは言えなかった。

それで、冒頭に引用した『ニューヨーク・タイムズ』の報道についての記事が、二〇〇一年の9・11事件から数ヵ月後に出たのを読んだとき、犠牲者の遺族の人びとの気持ちが痛切にわかった。これを報じた『朝日新聞』の記事は、「同時多発テロの犠牲者、行方不明者は15日現在、ニューヨークの世界貿易センタービルで2893人、国防総省で189人、ペンシルペニア州で44人の計3126人に達しているが、数字はなお確定していない」という文で終わっている。

アフガン報復戦争
民間犠牲者4000人
同時テロ上回る 米政府は当然視

 米ニューハンプシャー大学のマーク・ヘロルド教授は、米国によるアフガニスタン空爆から三カ月たった六日、昨年十二月十日から二十九日までの空爆で百九十四―二百六十九人の同国一般国民が犠牲になったとの集計結果を発表しました。
 同教授は既に、昨年十二月六日までの二カ月間の空爆で三千七百六十七人の民間人が犠牲になったと発表しています。今回の発表とあわせると、空爆開始から三カ月弱で四千人前後の民間人が空爆の犠牲になったことになります。(『赤旗』2002・1・9)

 これまで、アメリカ政府は、アフガニスタンへの空爆による民間人の犠牲者問題に対して、「テロで六千人もの無実の米国人が殺されたのだから……」(国防総省)と、テロの犠牲者の数の大きさを挙げ、アフガニスタンへの報復で多少の民間人犠牲者が出ても当然、というような主張をしてきた。だが、このヘロルド教授の調査結果によれば、アフガンでの民間人犠牲者は、三ヵ月間だけですでにアメリカでのテロ犠牲者数をはるかに上回ったことになる。
 その後の対イラク戦争での犠牲者ははるかに多い。インターネット上のサイト「Iraq Body Count」によれば、今年の一〇月中旬で、最低でも二六六九〇人、最大の見積もりで三〇〇五一人だと伝えている。
 私が言いたいのは、犠牲者の数のどっちが多いかという比較の問題ではない。ただ、この四千人前後というアフガニスタンでの民間人犠牲者、三万人前後で今もなお増え続けているイラクでの犠牲者の家族たちも、『ニューヨーク・タイムズ』の言うところの「一人ひとりの生」があり、「子ども思いだった夫、いつも歌を歌ってくれた父、職場で信頼の厚かった同僚。それぞれに物語があった」ということだ。アメリカ市民といささかも違うはずはない。そして、彼らには、それを語る場がないどころか、自らの命さえも今後いつ奪われるかもわからない状況に置かれ続けているのだ。このあまりもの落差は、自然現象の結果や運不運の問題などではなく、アメリカ政府の政策によって、意図的に作り出されているものだ。これでテロがなくなるはずはない。

ここ数年、私は近い友人、知人をずいぶん失った。市民の意見30の会・東京の会員で、ワインの専門家、藤本義一さん、三里塚闘争や反戦運動で行動をともにしてきた原子力資料情報室の高木仁三郎さん、全国反戦青年委員会の代表だった今野求さん、「声なき声の会」の代表の小林トミさん、そしてつい最近では、京都ベ平連の代表を務めていた農業学者のクリスチャン、飯沼二郎さん……。さきにふれた私の連れ合いも、今年の六月、急性心臓発作で死去した。四七年間の共同生活の後だった。
 残された者たちにとって、こうした死別が実につらいものであることは言うまでもない。だが、数ヵ月間、あるいは数年間、なくなる直前まで、死者は、親しい家族や友人、知人、運動の仲間たちと語り合うことが出来た。やろうと思っていたが出来そうもなくなったことを、周囲の人びとに託することもできた。これが人間として望ましい、いわば当然の死の迎え方だ。
 連れ合いの場合でいうと、突然の発作で倒れ、すぐ意識はなくなり、そのまま三日後に死を迎え、話は出来なかったのだが、五年前の危篤状態から回復したあと、目の見えなくなった彼女に代わって、買い物や三度の炊事を私が担当することになり、そのほか、毎日の新聞の社説やコラム、主要な記事を朗読して聞かせることも続けた。
 連れ合いの葬儀のときの挨拶で、喪主の私はこう述べた。「……五年間の暮らしは、私たち二人にとって、かなり充実したものであったように思えます。近頃はやりの老々介護、そして障害者・障害者介護の生活だったわけですが、この五年間が与えられたことは、私には本当に救いでした。二人の間には、平等の関係を生み出すことが出来たように思えますし、また、幾分なりとも、それまでの恩をかえせたかのように思えるからです。……」
 
こうした別れ方を不可能にさせ、突如として一切の関係をすべて断ち切らせて殺す、それが何百、何千、何万の単位で人為的につくりだされる――許しがたいことだ。
 いまさら何を当然なことを、と思われる人もいるだろう。今頃気がついたのか、と言われるかもしれない。だが、戦争への怒り、犠牲者への哀悼の気持ちが、連れ合いの危篤体験や彼女との死別を経た今、前よりもずっとずっと強いものとして実感されているというのが、ここ数年の正直な私の気持ちだ。

 私は二つの新聞記事を引用して、この文を書いてきた。最後に、もう一つ、私の尊敬する知人、ハワード・ジンさんが、9・11事件の直後に書いた文を引用して終わりたい。もちろんこれは、今の日本の私たちにそっくり妥当する提言である。

 報復――戦争は百倍のテロリズムである
 われわれは世界におけるアメリカの立場を再考する必要がある。自他の国民を抑圧する国々に武器を送るのをやめる必要がある。政治家やメディアがどんな理由をつけようと、戦争には行かないと決めることが必要だ。なぜなら、今日の戦争は必ず無差別な戦争、罪のない人びとに対する戦争、子どもたちに対する戦争だから。戦争はテロリズムである。それも、百倍も拡大されたテロリズムである。
 われわれの安全は、国の富を銃や軍用機や爆弾にではなく、自国の民衆の健康と福祉のために用いることでのみ確保できる。社会の全員に対する無料の医療、教育と住宅、まともな賃金の保証、万人のための環境などである。われわれは、政治指導者たちが言うように自由を制限することで安全を確保できはしない。安全は自由を拡大することによってこそ拡大できるのだ。
 われわれは「報復」と「戦争」を叫ぶ軍のリーダーや政治指導者を見習うべきではない。瓦礫の山のただなかで命を救おうとしてきた医者、看護婦・看護士、医学生、消防士、警察官を見習うべきである。彼ら・彼女らがまず念頭に置くのは暴力でなく癒すことであり、復讐でなく共感なのだ。(坂本龍一監修『非戦』より)