news-button.gif (992 バイト) 67  反戦の思想と行動をどう豊かにするか――反戦と抵抗の祭り〈フェスタ〉での発言 ( 『反戦と抵抗の祭り〈フェスタ〉記録集2004.10.30/11.20・21』 2005.08) (05/08/19搭載
 

  昨2004年10月31日、東京の中野商工会館で、「反戦と抵抗の祭り〈フェスタ〉」が開催されました。以下は、そこでの私の発言です。この後、他のパネリスト(道場親信さん、天野恵一さん、水田ふうさんなど)や参加者との質疑応答、討論などが続きますが、それらについては、記録集「反戦と抵抗の祭り〈フェスタ〉・記録集」刊行委員会編 『反戦と抵抗の祭り〈フェスタ〉・記録集』(同刊行委員会 2005年8月)をご覧ください。 申し込みは、東京都新宿区新宿1-30-12ニューホワイトビル302号室 新宿事務所気付、同記録集刊行委員会あてに。電話:070-5587-3802

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司会:次にお話ししていただく吉川勇一さんですが、べ平連(ベトナムに平和を!市民連合)の事務局長としてベトナム反戦の運動を作ってきた、そのことを中心として戦後の反戦運動の中で一貫して先頭に立って活動されてきたわけです。
 ベトナム反戦の経験のなかで、ある程度「あらゆる戦争に反対」というスタンスを運動のなかに確立しえたことのリソースのうえに立って、私たちの運動が現在広がっている、という側面があるように思います。そこをふまえたうえで、今の反戦運動の中で何が必要なのか、というようなことをお話しいただければと考えております。
 

吉川:吉川勇一です。多分、今日の集まりのなかで最高齢じゃないですかね。一九三一年生まれです。さっき道場さんから「まだ存命な人がいるから、そういう人から話しを聞く方がいいんじゃないですか」と言われました(笑)。そろそろ死にそうだから、今のうちに話しを聞いておけ、というようなことで呼ばれたんじゃないか、と思っています(笑)。

 先週の月曜日に風邪を引きまして、段々ひどくなってまして、洟と咳と痰が止まらないんです。ということで調子が悪いんですがご勘弁下さい。

 御手元に私の資料として三種類のものが配られていると思いますが、これはあとで読んでいただくとして、どういうものかだけちょっとご紹介させてください、誤解を招きそうなものもありますので。

 ■薄っぺらな権力意識の克服へ

 レジュメのC4の二行目に、「3 吉川勇一さん資料」とあって・と始まるんですが、これでは何の・かわからない。これは私のサイトの中の記述をそのままとったのだろうと思います。ですから、その中に吉川勇一ということも出てきますけれども、一人称ではないですよね。ただ、その右側の「自由の危機」という文章の解題にはなっていますから、お読みいただければと思います。
 もう三十年以上前の文章です。ベトナム戦争の真っ最中に、岩国のアメリカ海兵隊基地の中で、アメリカ軍兵士による反戦運動があった。これは持続の期間から言っても、規模からも、人数からも世界で最も優れたものだったと思います。それを支援した日本人グループへの弾圧があったのですが、その弾圧事件についての分析です。これは研究社から出た『講座 コミュニケーション』(江藤文夫・鶴見俊輔・山本明編、第5巻『事件と報道』一九七二年刊)の一部として書かれましたから、マスコミの報道との関連の叙述が中心になっていて、何の媒体に見出しが何段で……とすこしくどいぐらいに出ています。
 この文書でとくに考えていただきたいことは、マスコミの問題もありますけれども、それよりも、運動に対する権力による弾圧の深い構造についてです。俗っぽく言えば、デモのときに隣を歩く交通規制の警官や機動隊、あるいは隠れて写真を撮ったりしている私服刑事といったようなものだけが「権力」だ、なんて思わないで下さいということなんですね。それは権力の一部ではあるでしょう。しかし、それとの対抗や抵抗が権力との対決だなんて思うぐらい薄っぺらな権力認識はない、と私は思います。権力とはもっと恐ろしいものです。その仕組み、構造について、これを読んでその一端でもわかっていただければと思います。
 私たちは、海兵隊の米兵の反戦活動を支援するため、岩国の町に反戦スナックを開設し、そこを拠点に活動していたのですが、この活動が受けた弾圧というものは、ひとつの市民運動をブチ壊すために、アメリカの国務省・国防省、そして日本の国家、すべてが連携したすさまじいものでした。それをここではかなり具体的に分析したつもりです。これは三十年前の話しですが、今ではもっともっと巧妙になってきていると私は思います。デモのときに隣にいる警官も、権力の一端ではありますけれども、それがすべてなんかではないことをわかっていただきたいと思います。
 

■議論が回避される傾向について

 あとふたつ載っていますが、今年の三月に朝日新聞社の『論座』に書いた文章と『季刊ピープルズ・プラン』のこの夏の号に書いた文章です。今までも皆さんが指摘してきましたように、議論が運動のなかでない、議論が回避されるという傾向があります。「標準」とは何かは非常に難しい問題ですが、「標準」、あるいは「基準」と目されているものと違うものが排除されるという雰囲気も出てきています。それも公然たる排除の論理として出されるのではなく、排除はしていませんという建前のもとで、隠微のうちに、なんとなく排除される気分が与えられるという、実にイヤな感じのする空気が生まれているのではないかということを、私はここで論じたつもりです。
 今日のパネリストの皆さんも、そういう線で発言されてきましたが、非常に議論がしにくいのは、「排除が必要だ」という意見がどこにもないことなんですね。そういう言葉で明言的に言われれば、議論はできるんですけれども、「排除はしていない」、「誰でも参加できる」とされながら、実際にはそういう感じが与えられる。そういう問題を何とか抉り出して議論しなければまずいな、という感じがしていました。
 この一年、「喧嘩ジジイ」というあだ名さえ付けられているわけですが(笑)、「議論しよう、議論しよう」……と言い続けてきたわけですね。おかげで、今日のこの集会自体もそのひとつですが、議論の場が随分持たれるようになってきました。また、運動のなかでも、さきほどの『ピープルズ・プラン』とか、『運動〈経験〉』とか、『インパクション』とか、『情況』とか……まだまだ大衆的な雑誌とは言えないミニコミの上ですけれども、運動関連の雑誌のなかではこのような議論や問題提起はかなり出されてくるようになってきましたので、是非進めて行きたいと希望しています。
 今日のこの集会も、来た人の間では共感を持って受け止められると思うんですよ。しかし、これで終わってしまうと議論がそれ以上は外に広がらないんですね。ここで出された問題点が、どういうふうに広い運動のなかで共有されるか、その手段まで考えておかないと、独りよがりになってしまうと思います。記録は出るのか、何に出るのか、どういうふうに配るのか。ワールド・ピース・ナウには行っても、ここには来る気のないような人たちに、どうやったら伝られるのか。そこまで考えないといけません。われわれは議論はしたよ、結論は出したよ、でも伝わってないよ、ではしょうがない。その辺を考えていただきたいな、と思います。
 あと、お配りするつもりはなかったんですが、私の今日の話のレジュメを司会者の人にさしあげたら、それもコピーをして配られているようです。
 

■立場を超えた結集のありかたについて

 最初に、二冊の本を取りあげて話を始めたいと思っていたのですが、道場親信さんも別の二冊の本を挙げられました。ひとつは脇田憲一さんの『朝鮮戦争と吹田・枚方事件』です。「武力闘争」と脇田さん自身は言っていますけれども、それについての非常にくわしい記述です。今、この問題に光が当てられたことは、道場さん同様、非常に嬉しく思っております。
 中世の歴史が最近の中学や高校でどう教えられているのか知りませんけれども、かつて中世といえば、暗黒で、人びとは人間らしく生きることを拒否されて、あったのは魔女裁判だけ、そこでルネッサンスが必要になって……というような一面的な理解がありました。中世とはまったく暗闇の歴史だったとされてしまうわけですね。それと同じように、一九五〇年代、朝鮮戦争の時代が、これまでは運動史の中の中世のように扱われてきました。日本共産党、在日朝鮮人、それから学生グループ――そのころは全学連も一本しかなかったわけですけれども――、それらが担った闘争がまったく歴史のなかで明らかにされなくなっちゃっているんです。あれはすべて間違いだった、共産党の中でも、ごく一部のグループの誤った指導によるもので、党の責任ではないということで、党史からも削られ、運動の歴史の中に存在しなくなっていたわけですね。そういう問題の一つ、枚方・吹田の闘争の全貌が明るみに出され、人民が武装して抵抗する権利とは何かもあらためて考え直させられる、という意味で、これは注目すべき本だと思っていましたから、道場さんが挙げられたのを嬉しく思っています。
 しかし私が挙げようとしたのは別の本です。三月に出た酒井隆史さんの『暴力の哲学』と、寺島俊穂さんの『市民的不服従』です。酒井さんの本は河出書房新社刊ですから普通の本屋に並んでいるかと思いますが、寺島さんの本は風行社というあまり大きくない出版社ですから、注文しないと普通の本屋では入手が難しいかも知れません。
 この本を取り上げる理由をお話しすることから始めたいと思います。ここ一年ほど、私や道場さんが関わってきた議論があります。今年の二月、「世代間の対話」というサブタイトルをつけた討論集会がありました。私が『論座』に書いた文のタイトルは「デモとパレードとピースウォーク」というものでしたが、そういうことを問題にするのは世代の違いだと受け取ったのでしょうね、それに関する討論集会がありました。その記録は一部が『世界』の別冊の中に出ましたからご覧いただければと思うのですが、そこで私や道場さんが述べたのは、これは必ずしも世代の対立ではない、ということでしたが、パネリストの、私たちに批判的な意見を持っている人からは理解されなかったようです。
 例えば千葉大学の小林正弥さんという憲法の先生がパネリストの一人でしたけれども、小林さんは、道場さんが市民の意見
30の会の機関誌の中で書いた文章を引きつつ、「道場氏は、これは世代間格差ではなかったという、およそ説得力のない対応をしている」と、一蹴して終わりなんですね。議論は成立していません。
その小林さんの本を私はいくつか読みました。非常に問題がある本だと思いました。
小林さんは、千葉でも、ワールド・ピース・ナウの中でも、非常に熱心に活動されております。自衛隊のイラク派兵には断固として反対、そして小泉政府の方針を批判し、九条を変えるべきではない、九条の改変を阻止するための戦略として「平和への結集」ということが必要だ、意見の差を超えてここに集まれ、と唱道されている人です。
 その限りでは問題がないように思えるわけですが、実は小林さんの意見は、自衛隊は必要だというものなのです。日本に自衛権はあるのであって、憲法九条はそれを認めている、自衛のための最低限の力は必要で、そのための自衛隊も必要だ、ただし、イラクなどに送ることは間違っている、自衛隊は合憲であるがゆえに、九条を変える必要はないのだから、九条改憲絶対反対、という論理なんです。
 しかし、それは小林さんに限りません。みなさんもご存じかと思いますが、東京大学の政治学の教授のなかでは、そういう意見は非常に増えています。今、マスコミの上で、憲法九条の擁護、自衛隊のイラク派遣に反対の立場で登場してきている政治学者の、かなりの数が「自衛隊必要・九条改憲反対・自衛隊合憲」論です。ただ、それが議論の焦点にはなっていませんから、明言されていないのですが、注意して見ていただきたい。そして、それは議論の必要がない、今はどうでもいいことなんだろうか、つまり自衛隊のイラク派兵に反対し、九条の改憲を阻止するためには、自衛隊合憲であろうがなかろうが、自衛権があろうがなかろうが、それは触れないほうがいいことなんだろうか、ということをお考えいただきたいのです。
 私は、そこはどうでもいい問題ではないという意見です。小林さんの言うように、九条改憲を阻止するために幅広い結集が必要だということは認めますし、そのための努力もしています。しかし、幅広い結集を力あるものにするためには、集まってきた人びとのなかで、さまざまある意見のどこでは一致しており、どこが違っているのか、そして違っていながらも、どの点では協力・提携できるのか、ということが明白にされ、相互が了解しあって、それは強固なものになりうるのでしょう。
 私たちが共同で行動を組もうとするとき、すべてで一致しているのであれば、「共同行動」という言葉自体が無意味です。同一なのですから。「共同行動」という以上は、何かが違うけれども、この点では共同しようということのはずです。
 とすると、どこが違っていて、違っているグループや勢力の間でどの点で一致するか、そして、共同の行動を可能にするためにどういうルールが築けるか、などが、明らかにされなければいけないと思うんですね。

■共同行動のルールは必要

 今、この共同行動のルールというものがかなり曖昧になっていると思います。私のレジュメには入っていないんですが、先ほどの議論を聞いていて思ったことは、共同行動のルールについてもっと丹念に議論され、参加グループの間での共通認識にされる必要があるだろうということです。共同行動の中で、自らの信念や価値観に反するような行動が、外的に押し付けられるようなことは絶対に回避されなければならない。やりたくもないことを不本意にやらされるようなことがあってはならないというのは最低限のルールでしょう。と同時に、自分の信念にもとづいて自分がやりたいことは、やれなければならない。しかしそうなると、そのふたつが矛盾した場合にはどうなるのか、という問題が起こります。やりたいことをやった場合に、他のやりたくない人までが巻き込まれ、影響を受けてしまう、ということも起こりうるわけですよね。たとえば、四列縦隊で歩いているデモのなかで、蛇行デモをやろうとすれば、そういう問題はすぐに起きてくる。規制がされれば、逮捕者が出るかも知れないし、とばっちりも受けます。だから、そういう事態がどううまく整合的に調整されるかというところまでが共同行動の原理のなかに含まれなければいけないわけですね。
 かつて、六十年代、七十年代の運動の中には、そういうルールが明文化されてあったんです。つまり、自己の信念に反してやりたくない行動を強制されてはならない。そして、やりたい行動は自ら責任を持って選ぶ。ただ、選ぶ場合にそれが他の人を不当に巻き込んだり、他の人に不当な影響を与える場合には、それを慎まなければいけない。自分の選ぶ行動が、全体の中でどのような位置を占めているのか、自分を常に全体の中で相対化して考えることが要請されるわけですね。
 これはかなり高度な要請です。つまり、私は素人で、生まれてはじめてデモをするので、何にも知りません、責任は持てません、今日のデモは安全なんでしょうね、などと言われるような人びとに、その要請をすぐ受け入れさせようとしても無理でしょう。最初にそうであるのはやむをえません。しかし、何度かデモに参加する中で、一人ひとりがそういう自覚を持てるようになるために、デモの準備は意識的に作られていかなければならない。それがマニュアル化されてもいいでしょう。デモ参加のハンドブックが、安い値段で出たらいいなあという意見が、B分科会で出ていましたけれども、そうだと思います。そういう努力が積み重なって、デモの有機化と言いますかね、それがあってはじめて、東京でもフランス・デモができるようになるんでしょう。
 おととし、ロンドンや、ニューヨークや、パリなどで、何万という人が道一杯に広がったデモが行なわれるのを見ながら、なんで日本ではこういうことが一度もできないの、どうしたらできるようになるの、とは皆さんも思ったでしょう。かつては、日本でもあったのです。しかし、それは自然発生的に出てきたわけではありません。実践と討論とが繰り返され、慎重な準備もあって可能となるのです。しかし、現在は、そういう議論はほとんどありません。フランス・デモなどやらないほうがいいのか、やったほうがいいけどできないのか、そして、今はやれないんだけれどもどうしたらできるようになるのかという議論がされず、ひたすら四列縦隊を守ってください、非暴力のデモです、といって歩くというのは、ちょっと不健全だと思います。
 

■非暴力直接行動と市民的不服従を考える

 話しが外れました、元に戻します。
 憲法九条をめぐって、運動内部にも意見の分岐があるのに、議論がなされていない、という問題でした。自衛権必要論、自衛隊合憲論をとなえる人びとからは、自衛隊を否定し、違憲だという人びとは、日本が攻撃されたときにどうやって守るのか、と問われます。この問題にかんして、私は二人のひとの論を引用をしていますが、東北大の名誉教授の宮田光雄さん、それから東京大学の名誉教授の小林直樹さんです。この二人は、それぞれ非暴力の抵抗をもって侵略に対抗するんだ、と言われています。小林さんも宮田さんも、こういう手段がある、こういう方法もあると列記されて、かなり具体的に非暴力抵抗を提唱されました。反戦運動のなかでも、それは高く評価されていました。
 しかし、今憲法九条は自衛隊を認めているという論の人びとは、こうした非暴力抵抗という手段について、あれは冷戦時代、ソ連が核兵器を持っていて、戦争になったならば全面核戦争になって人類破滅の危険性さえあった時代に有効だった戦術であって、今、社会主義政権が崩壊して冷戦構造がなくなり、その代わりに出て来たのが民族間対立、あるいは無謀なことをやる「ならず者国家」といったものが出てきている、そういうときにはもはや、非武装という路線は無効で、自衛力は必要になっているのだ、と批判しているわけです。
 しかし、はたしてそうなんだろうか。冷戦が終わったら、もうその方法は無効になってしまったのか、という検討はキチッと行われてはいないんです。一度も議論もされていない。無効になったという断定が言われるだけなんですね。それに対して、今年の春に出て来たこの『市民的不服従』の中で、著者の寺島さんは、今こそ非暴力の抵抗が必要なんだと主張して、九条との関係から日本の非暴力的防衛――世界的には市民的防衛とか社会的防衛とかいう言葉が使われていますが、寺島さんはそれを非暴力的防衛という言葉で表現していますが――の必要性を論じています。大いに議論されていいのではないかと思います。
 今、世間では、北朝鮮のような恐ろしい国が隣にあって、これが攻めてきたらどうするのか、日本海側に上陸してきたら警察力だけで対応できるのか、といった類いの俗論が非常に流行っていますが、これに対して、だから自衛隊が必要とするのではなく、市民による非暴力防衛の方法ではどうしたらいいというのかが、具体的に議論・検討されたらいいと思うんですよね。
 ただ、寺島さんの著書では、歴史的、理論的検討に限定して記述されているから、運動の立場とあんまり直結していないんですね。寺島さんは、運動としては、七十年代、八十年代の指紋押捺反対運動に深く関わったようで、その運動は非暴力の直接行動で、抵抗であった、という立場で詳しく分析されています。その限りではヴィヴィッドなんですけれども、反戦・平和の運動との関係では論じられていません。もし、反戦・平和の運動として実際に行なわれた運動、例えば、法律違反をも覚悟して、実力の闘いとして行なわれたベ平連の脱走兵援助活動、あるいは先ほど触れた岩国での米兵の反戦行動などが、非暴力直接行動との関連で検討、議論されれば、非常に面白くなるだろうと私は思うんですね。 それに対して、もうひとつとりあげる酒井さんの本は、かなり運動に密着して論じられています。こちらの本も寺島さんと同じく、マーチン・ルーサー・キングや、ガンジーを、引用されたりするんですけれども、酒井さんはもうすこし広くいろいろな暴力論・非暴力論を紹介しつつ、日本の運動とかなり密着した問題意識を持って議論を進めるんですね。お手元に配った中にも引用しましたけれども、例えば酒井さんの言葉で「とりわけ政治的次元を忌避する傾向がある現在の日本においては、道徳、宗教的な次元よりも、まずは政治的次元において、非暴力直接行動をとらえるべきだ」というような指摘などは、私たちが抱えている運動との関連で述べられていると思わざるを得ません。酒井さんの本の表現はちょっと難しく、私にもよく理解できないところがありますが、しかし、全部がわからなくても、この本の主張は、運動の中で検討されるべきものだと思います。この二冊の本のような議論が出てきたことを、私は非常に歓迎しております。

 

■個人の行動の次元だけでなく

 ここにいらっしゃる皆さんにとっては、非暴力直接行動あるいは市民的不服従の行動は、すでに前提になっておられるのかも知れません。先ほど、B分科会では、デモの権利との関係で、法律を超える、より至高な、人間としての「法」、規範の問題が出ていました。けれども、その非暴力直接行動なり市民的抵抗というものを、寺島さんが言っているように、個人の行動の次元のものとしてだけではなく、国家すなわち日本の国のあるべき姿の規範として強く作りあげてゆきたいのですね。憲法前文および九条の精神ですが、武力を持たず、諸国民の正義と信頼に依拠して、この国の安全を守ると同時に世界の平和を強固にしていく、そういう目標実現のための最高の手段として、日本の非暴力による国際的貢献という路線を具体的につくりあげてゆく、そういう議論が、もっと展開されるべきだと思います。

 つまり非暴力直接行動は、一国内の個人や運動体のレベルだけの話しではなく、世界の中における日本という国のこれからの生き方として、焦点が当てられる、そういう側面――これは寺島さんも最後にちょっとふれられるんですけれども――はもっと全面的に展開されていいんじゃないか、というのが私の最後の提案です。

先ほど触れた小林正弥さんの説では、市民的不服従という方法が現在の日本で無理だということの論拠として、侵略者側が暴力をふるい、弾圧をしてきた場合に、ひたすら非暴力で耐えるというのは、非常に信念の強いごく一部の人は別として、多くの国民にそれを実践せよというのは無理で非現実的だというんですね。私は、その次元に移してしまって無理だと言うところに、問題のすり替えがあると思っています。小林さんや宮田さんは、すべての国民が非暴力、不服従に徹しろなどと提唱しているんじゃないのです。その国を安全にするために、侵略にどう対処するのかという問題として、国のあり方としての非暴力を論じているのです。もう一度、国の政策としての日本の非武装というものに、焦点をあてた議論に戻すべきです。そしてそれは一国平和主義ではないんですね。それどころか、今後の世界のあるべき姿を先取りした、先進的な国際貢献の道なんだということを、今後の運動のなかでどれほど私たちが広めていけるのかが、大事な点だと思います。

 

■厳罰を恐れない、自分は少数だ、で完結させない

 時間がないからすぐに終わりますが、最後に、皆さんにひとつ考えていただきたいことは、自分の信念にもとづいて正しいことをやるという場合、仮にそれが表面的には法律に違反し、処罰が予想されようとも恐れない、ということは大事なことで、私もそのつもりです。ですけれども、それでいいんだ、それで完結する、というふうに思わないでほしいということなのです。
 少数派であるうちは、それでもやむをえないでしょう。多数は自分の立場に反対していて自分は少数だ、けれども自分の信念は曲げられないから、例えば日の丸が揚げられて立ちなさいと言われても立たない、君が代を唄えと言われても唄わない、それで処罰されることも覚悟する、というような場合です。しかし、それで事足れりではないはすですね。永久にそれでいいというはずはないので、どうすれば私たちが多数になり、多数の人びとが、立たない、唄わないように、どうしたらなるか、そこのところを同時に考えざるをえないでしょう。
 

■住んでいるところで何をしていらっしゃいますか?

 そのためにひとつ考えていただきたいことがあります。今日、中野の方が見えていて、中野という地域に密着しつつ、イラク反戦という世界的な課題と、中野区における地域のコントロールに対する抵抗という課題とを結びつけた活動について話されたはずです。私はA分科会に出ていませんから聞いていないのですけれども、おそらくそれが話されたでしょう。見事な活動を展開されていると思います。みなさんは、ご自分の住んでいる町でどういう活動をされていますか。隣の家にビラを撒きに行きますか。あるいは町内会に入っておられるとして、町内会の会合でどんな話しをされますか。そこを是非考えていただきたいんです。そこから切れて、都心で機動隊とぶつかりあって、弾圧されたとか、頑張ったとか、というだけに関心があるのでは不十分だと思うのです。
 私はベトナム反戦のときがそうでした。十年間、都心でだけの活動で、自分の住む地域のことは何も知らなかったのです。私は、西東京市というところに住んでいますが、ベトナム戦争が終わって以降は、政治の中心に向けての活動と地域での活動とを、車の両輪のようにどちらも外すまいと思って続けてきました。
 ついおとといは、地域のローカル週刊新聞紙に、憲法九条改悪反対の見開き広告が、三千人の市民の賛同で出ました。私たちは、八月六日には、『毎日新聞』全国版と『東奥日報』(青森)、『河北新報』(宮城)に、イラク撤兵要求と憲法改悪反対の全面広告を出しましたが、これに私の住む西東京市から七十七人もの人びとが賛同しているのを知って、びっくりしました。三鷹市や武蔵野市などからの賛同者よりもずっと多いんですよ。
 一度この人びとに呼びかけて、集まって意見を交換する機会を持ちたいと思っているんですが、たとえば、そういうような活動を皆さんはなさっていますか。必ずしも同じことをしろというわけではないのですが、自分の住んでいるところに根を下ろした活動、自分の家の隣や近所の人びとに、イラク反戦や憲法九条改変反対なりを呼びかけていただければ、と思います。反応がすぐに返ってくるわけではないでしょうし、成果が見えてくるようになるのは、そう容易ではありません。でも、そこのところを無視して、都心での行動だけに焦点をあてるというのは、いかがなものか、ということを最後に申し上げて終わりにします。〈会場拍手〉

(2004年10月31日、東京・中野商工会館会議室にて)