news-button.gif (992 バイト) 59 意見広告運動についてのQ&A ( シンポジウム「さてどうやってイラク派兵と憲法改悪を止めるか」集会で配布した資料 2004.01.23) (04/02/09搭載

 以下は、04年1月23日、東京の文京区民センターで開催されたシンポジウム「さてどうやってイラク派兵と憲法改悪を止めるか」(@自衛隊のイラク派遣と憲法改悪に反対し、戦争への非協力を宣言する意見広告運動、A戦争協力を拒否し、有事立法に反対する全国FAX通信、B市民の意見30の会・東京の3団体共催>の際に、参加者に配布した資料です。

 新聞に意見広告によって市民の反戦などの意思を表現するという形式の運動はいつ始まったものですか

 すでに40年近く前のことになりますが、19651116日、今はなき作家の開高健さんが中心になって、当時のベトナム反戦市民運動グループ、べ平連(べナムに平和を!市民連合)がアメリカの新聞『ニューヨーク.タイムズ』紙に出したベトナム反戦の意見広告が最初でした。日本の運動が、初めて意見広告という手段を使ったという点でも、また、日本の市民がアメリカの民衆に直接意見を伝えようとしたという点でも、歴史的なものでした。この運動のためには、全国から250余万円が寄せられました。 この英文意見広告には、「この広告の資金は、中学生から定年退職者まで、仏教、キリスト教、禅宗、神道などさまざまの宗派の信者を含む無数の個人の献金でつくられました。この募金はいかなる政党の指図も援助も受けていません。……」という説明も最後につけてあったのですが、「Japan “Peace for Vietnam!” Committee」というベ平連の英文名の署名で出され、代表者の個人名がなかったことから、「無責任だ」「誰がやったのか人格的にはっきりしない」などという批判的意見も寄せられました。(次項の鶴見俊輔さんの文参照)【注:なお、この運動の中心になったのは、開高健さんでしたが、最初に発案したのは、小田実さんであったと、当日、参加していた初代ベ平連事務局長の久保圭之介さんから指摘がありました。】

このときの運動は、『平和を呼ぶ声』(開高健、小田実、鶴見俊輔編、番町書房 1967年刊)としてまとめられていますが、この本には、アメリカからの反響とともに、べ平連に寄せられた日本国内からの手紙が多数収録されています。

Q アメリカの新聞への意見広告だけでなく、日本の新聞に寄せようという計画はなかったのですか。

 日本の新聞に載せるべきだ、という意見は、この1965年の運動のときからありあました。しかし、当時、日本の新聞は、こうした意見広告、とくに少しでも「政治的」と見られるようなものを極度に警戒し、ある週刊誌が、各新聞に当たって態度を調査したことがありましたが、ほとんどの新聞が掲載できないという返事でした。ただ1紙。『日経新聞』だけが、内容次第によって掲載を考慮するという回答を寄せていたようです。

Q 日本の新聞に最初の意見広告が載ったのはいつですか。

 純粋な意見広告とはいえないかもしれませんが、19661120日、長野市でベトナム戦争についてのティーチ・イン集会があったとき、この会合を予告する形で、『信濃毎日新聞』1116日号にかなり大きな紙面を取った広告が出されました。日本人が日本国内の新聞に出した反戦広告としてこれがおそらく最初と思われます。このことについて、鶴見俊輔さんは次のように書いています。
「一昨年(
1965年)、北べトナム爆撃がはじまった時、都留重人、加藤周一ら.が東京の中央紙に反戦広告を出そうとしてことわられたので、投書の形で意見を発表したことがある。その日、東京の新聞で実現できなかったことを地方紙で実現できたのである。『信濃毎日』の新聞広告は、日本国内紙上の最初の反戦広告として意味があっただけでなく、大都会以外の生活環境の中で自分の氏名を明らかにして反戦活動をすすめる可能性を示した実例として意味があった。おたがいに顔見知りの人の多い環境では、自分の氏名を明らかにして反戦運動をすることは、むずかしい。しかも不特定の見ずしらずの人によって進められている運動では、支持を得ることはむずかしい。『信毎』の広告は、その署名人となった七十四人の人々が、新聞の読者にとって、あの会社にいる誰それだというイメージの浮ぶ人であったということで、綜合雑誌の論文とはちがう信頼感をあたえた。この意味では、この広告は、先例となった『ニューヨーク・タイムズ』の反戦広告のもっていた無署名かつ無責任の性格をぬぐいさった。すぐれて市民的な性格の行動だった。……」(『平和を呼ぶ声』p.1314
 その後、大新聞も次第に意見広告を掲載するようになって来ました。しかし、内容についてはまだいろいろな制限が加えられています。

Q 2000万円などという膨大な金額を使うのだったら、大マスコミに広告料を払って紙面を買うよりも、もっと効果的な金の使い道はあるのではありませんか。

 こうした意見は、毎回の意見広告運動に必ず寄せられてくる意見です。しかしこれは、間違っている意見、少なくとも誤解に基づいた意見です。

 今すでに手元にある金をどう使うかという問題ではないのです。何もないところから千万を超える費用を集めるという努力自体が運動なのです。その間に交わされる宣伝、説得、勧誘、議論などの効果が重要なのです。それに、集会やデモなどにさまざまな事情――たとえば、身体障害、病弱、高齢、身内の介護、産前産後などなど――から参加できず、しかし自分の反戦の意思をなんとか社会的に公に表現したいと思っている人びとは多数いるはずであり、そういう人びとの意見を顕在化する一つのチャンネルがこの運動だと思います。この点に関しては、昨年5月に『毎日新聞』全国版に、イラク戦争批判の全面広告を出した際に、井上澄夫さんが書かれた文が、詳しく論じており、それを最後に掲げますので、ぜひご覧ください。

Q 意見広告には、どれほどの広告料、その他費用がかかるのでしょうか。

 新聞の発行部数によってずいぶん、開きがあります。まず、日本の全国新聞は、非常に発行部数が多く、全国版1面の意見広告料は、『朝日』『読売』などは1,500〜2,000万円前後を請求されます。『毎日』で1,000万円ほどです。アメリカの新聞は、基本的にすべて州単位の地方紙的性格のもので、発行部数が少ないところから、『ニューヨーク・タイムズ』で250〜600万前後、『ワシントン・ポスト』で150〜400万前後です(NY市内版だけか、東部版も含むかなどによって幅があります)。これは、掲載料だけですから、これ以外に、レイアウトの費用、写真版作成の実費、そして、運動展開のためのチラシなどの印刷費、かなりの発送費、郵送費、連絡の電話料等がかかり、ふつう、募金総額の最低1割以上がかかると思われます。すなわち、2,000万円が募金目標なら、実務にかかる費用は200〜400万円前後です。
 商業紙に定期的に出す広告については割引料金があるようです。ですから、石油、電力、自動車、化粧品、食品、大出版社など、いつも広告を出している大資本は、こういう仕組みを利用しているのですが、臨時に出す市民運動の反戦意見広告料は、規定どおりの料金を請求されます。アメリカの新聞には、意見広告を助成するための割引料金をきめているところもあるようですし、また、「パブリック・メディア・センター」(PMC)のような、意見広告運動を支援する事業を市民運動として進めている大きなグループもあります。ここには、専門的な技術を持った常任のスタッフが20人もいて、ビルの広いワン・フロアを占めて活動しています。日本では、意見広告運動はまだまだ社会的に広く認知されているとは言えないようです。

Q 意見広告は、費用さえ払えば、どんな内容でも載せることができるのですか。

 いいえ、いろいろな制限があります。まず、かなり大きな字で「意見広告」という表示を載せることが絶対条件です。誹謗、中傷がダメなことは当然ですが、純粋な意見の部分は別として、記述している事柄の内容が、すべて証明可能な事実でないと掲載を拒否されます。また、寄付・募金行為になる宣伝は掲載を断られる場合がほとんどです。つまり、反戦意見広告を出したいから募金に協力してほしい、というような広告は出せないのです。今回の場合など、『朝日』からは、意見広告運動の振替口座番号だけの掲載さえ拒否されました。口座番号を載せることが、寄付行為になるというのです。ずいぶん交渉したのですが、ダメでした。各新聞の広告部の市民運動に対する理解は、まだまだ未成熟だと批判せざるを得ません。
 選挙の公示期間中ですと、特定政党への支持や批判も掲載されません。

Q 意見広告運動についての参考文献を教えてください。

 まず、現在入手可能なものとしては、以下の3点があります。(1)「戦後50年・市民の不戦宣言」意見広告運動編『〈戦後50年〉あらためて不戦でいこう――1995年・市民の不戦宣言集』(社会評論社 1995年刊 ¥2,000)、(2)市民の意見30の会編『「アメリカは正しい」か――湾岸戦争をめぐる日米市民の対話』(第三書館 1991年刊 ¥2,500ですが、市民の意見30の会・東京事務局では、1,000円+送料でお分けしています。)(3)市民の意見30の会編『強者の政治から弱者の政治へ――日本を変える30の提言』(第三書館 19901年刊 ¥1,200ですが、同会事務局では、500円+送料でお分けしています。) これらの本には、それぞれの意見広告を出す際の運動の経過や問題点の報告、賛同者から寄せられた多数の意見などが編集されています。また、反戦意見広告についてはあまり触れていないのですが、(4)須藤春夫編『広告――広告は市民とマスコミの敵か味方か』(大月書店 1997年 ¥2,200)もあります。
 このほかにも、最初のQ&Aでふれた『平和を呼ぶ声』や、放送批評懇談会編『現代意見広告論』(時事通信社 1975年)や、)などがありますが、いずれも絶版で、図書館でないと読めないでしょう。

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【付属文書】(転載については、筆者の井上さんの了承を得ています。吉川)

Xさんの意見広告運動「批判」に答える

                  井 上 澄 夫  (意見広告運動事務局の一員)
2003年4月25日
 意見広告運動も、どうやら最終局面を迎えた。なにしろ様々なことが同時に噴き出す時代だから(何という「21世紀」だろうか!)、先月のことをつい忘れてしまうほど多忙で、この運動だけに集中するというわけにはいかない。しかしそれでも私は、友人やつれあいの助けを借りて、私なりに努力してきた。
 この運動でいつも私の念頭にあるのは、深い思いがあっても、反戦市民運動になかなか参加しにくい人びとのことだ。病院や自宅で闘病中、重い障害のために外出ができない、介護や子育てや家事で家から離れることが困難などなど、人には様々な事情がある。そういう立場の人びとが反戦の思いを表現する〈場〉をどうやって保証するか。いや、これは、けっして他人(ひと)ごとではない。私自身の問題でもあるのだ。
 脳梗塞の後遺症である左片マヒ(左の手足のマヒ)とつきあっているし、あと少しで還暦という歳だから、デモに参加して歩き通すことは、だんだん困難になりつつある。今年6月に81才になる鶴見俊輔さんは最近、デモの出発地点でデモを見送るそうだが、私もいずれそうなるだろう。生老病死は人の自然だが、体力が衰えていく人生の後半で、現実の政治にかかわり、思いをどう表出するか。それは誰にも問われることであるに違いない。
 4月の初め、憲法学者のXさんから、意見広告運動についての意見をいただいた。受け取った葉書が雨に濡れ、インクがにじんでしまったので、かろうじて判読できる部分だけ、まず紹介する。(読み取りが間違いである可能性もあるし、公開の許可をもらったわけではないから、お名前はXさんとしておく。)
 〈「新聞広告」2千万円の運動には、率直なところ違和感があります。力量が限られている時にこんなことを、と思う。右傾化を強める大新聞に対しては批判 運動をやるべきです。2千万円あつめられるなら、アフガンやイラクの人々に送る方がいい。何でも新聞PRというのは活字メディアになじんだ高齢者の発想で、労力の割に効果は少ないと思う。〉
 Xさんの意見は、意見広告運動「批判」の典型と言えるだろう。この種の意見は、かつてもあったし、これからも出てくるだろうから、運動の実務担当者の一員として、以下に私の意見をのべようと思う。
 まず「力量が限られている時にこんなことを」という点。イラク反戦運動は今や、米軍による占領に反対し、米・英軍に撤退を要求する段階に入り、有事立法阻止はまさに喫緊の課題である。確かに時間も力も限られている。しかし私個人のことで言えば、これまで自分にやれることはやってきたし、超多忙で体力の限界に達しつつ、それでも、あえて今回の意見広告運動の実務には参加しようと思ったのだ。暇をもてあまして、安易に手を出したのではない。
 この意見広告運動の実務を担っているのは、せいぜい7、8人である。それぞれ仕事を持つ市民で、苦労して時間を作って大車輪の働きをしている。親やおつれあいの介護で非常に多忙の人もいるし、厳しい経済状況の中で必死にたつきの道を探している若者も含まれているが、全員むろん手弁当で奮闘している。
 しかも私同様、他の仲間たちも、イラク反戦運動にも有事立法阻止運動にも参加しつつ、である。「力量が限られている時」という言い方には、よけいなことに手を出して本来なすべきことをなしていないというニュアンスを感じるが、そういう言い方は、こういう真剣なメンバーに対して傲慢ではあるまいか。市民運動では「他人(ひと)のやることに文句を言わない」が鉄則で、まして自分がやらないのなら、黙っていればいいのである。ついでに書いておくと、20代のころ、ベトナム反戦運動に参加する中で、私は自分にこういう掟を科し、以来36年、まあ大方守ってきた。
 “様々な事情で自分が動けないときは、仲間のやることにあれこれ言わない。自分が動けるときは、様々な事情で動きがとれない仲間を批判せず、できるだけ支援する。”
 さて右傾化を強める大新聞を批判することは、むろん大いに賛成で、マスメディア批判は、私が書くものにも頻繁に登場する。Xさんが主導してそういう運動を始めるなら、私も参加したいと思う。しかし、大新聞を批判すべきであることは、大新聞に広告を掲載しない(あるいは、してはならない)ことの理由にはならない。莫大な発行部数を持つ媒体だから、全国紙に掲載する、それだけのことである。ブッシュのイラク侵略と、それを無条件に支持する小泉首相を強く批判する声があることと、日本が本格的に戦争をするために政府が提出した有事法制関連3法案の廃案を求める声があることを、できるだけ多くの人びとに伝えたい。その共通の思いが意見広告に込められているのだ。
 どのマスメディアも明らかに私たちよりはるかに右寄りで、しかも急速に右傾化しつつあることは事実で、私も批判運動が必要だと思う(ちなみに、私はNHKの「受信料」は一度も払っていない)。だが、だからマスメディアを市民の共同の意思表示の手段として使ってはならないという理屈は成り立たない。
 ひどい政治状況だからといって、政治に背を向けるわけにはいかないのだから、非暴力を貫いて圧政に抗する私たちは、たとえラクダが針の穴を通り抜けるほどのわずかな可能性でも捨てるわけにはいかない。やれることは、とにかく力の及ぶ限り全部やる。それしかないではないか。
 「2千万円あつめられるなら、アフガンやイラクの人々に」という意見は、よく聞く。ただこの意見は、根本のところでおかしい。私の眼前に2千万円あって、その使い道に思案をこらしているなら(一度でいいからやってみたいものだが)、そういう意見は傾聴に値する。だが意見広告運動では、初めにそんな大金があるわけではない。意見広告の費用は、無数の賛同者が身銭を切ってこそ初めて集まるのだ。別の言い方をすれば、無から有を生み出す共同の努力が実ってこそ、意見広告を出すことができるのだ。それこそまさしく市民運動である。少しずつ賛同金を拠出する人びとの思いがどういうものであるか、Xさんには、振替用紙にまるで掘るように深い思いや想いをもって刻まれたメッセージを一つひとつ読んでいただきたいものだ。
 意見広告を出したいという一念で、賛同金が寄せられてくる。明確な特定の目標を達成するために集まる大金を、大金だから別の使途に、というのは話が最初からおかしいのである。
 イラクの人びとを医療支援する市民運動も、全国紙によるイラク復興支援募金も、すでに始まっている。しかし米軍の占領を糾弾し、国連中心の復興支援をという国際世論が盛り上がりつつある中で、世界の民衆によるイラクの人びとへの支援については、米軍の占領を助けることにならないように、「誰に対して」、「どのように行なうか」が鋭く問われている。その解答は、すぐ出せるものではないだろう。 
 アフガニスタンについては、私に余裕があれば、中村哲さんらの「ペシャワール会」に送金したい。イラクについては、日本政府が米・英・豪によるイラク攻撃に協力・荷担した以上、私には責任がある。さてどうするか、そこを熟考したい。その思いは、Xさんと変わらない。だがだからといって、意見広告を出すために全国から寄せられる賛同金を別の使途に振り向けるわけにはいかない。それは、あたりまえのことではないか。
 「何でも新聞PRというのは活字メディアになじんだ高齢者の発想」という点についてのべる。「何でも」とは、どういう意味だろうか。私は、1995年、 戦後50年に当たり、私たちの考えを表明する意見広告運動に参加した。それは、脳梗塞で倒れ長期の入院生活を終えてから2年後のことで、今回は二度目の意見広告運動への参加である。しかしその間私は、まったく別の形態の反戦市民運動にも多々参加してきた。そういう私にとって、Xさんの「何でも」という言い方はひっかかる。これはどう考えても言い過ぎだろう。
 「活字メディアになじんだ高齢者の発想」とXさんは言うが、「高齢者の発想」に基づく運動があって悪いことは何もない。だが現実に寄せられる賛同金は、 小学生も含め、若年層からのものも多いし、この運動には、いわゆる団塊の世代も参加している。私たちが作った振替用紙に年齢を書き込む欄はないが、広告に名前を出していいかどうかを電話で問い合わせると、それがよくわかるのである。つまり仮に「高齢者の発想」であっても、ここには世代を越えた〈場〉がある。そういう〈場〉を求めている人が全国にいるという事実をXさんはどう受け止めるのだろうか。
ついでに書いておくと、イラク反戦に限っても、今年になって新聞にずいぶん意見広告が出た。地方紙も含めると相当の数だろう。それらを企画した人びとに、「活字メディアになじんだ高齢者の発想」という表現を投げつけたら、さて、どういう反応が起きるだろうか。
 意見広告運動に感謝するというメッセージも少なくない。デモや集会には、さまざまな事情で行けない、しかし反戦の思いをなんとか表現したい、そういう人が多いからである。入院中(闘病中)の人からも賛同金が寄せられる。そういうとき私は、自分が闘病中のことを思い出す。送金者に対して深い思いが湧く。思いの共有が空間の隔たりを越えて広がっていくのだ。
 「障害とつきあっているので、デモには参加できませんが、ホームページで思いを伝えています」というメッセージもいただいた。それぞれの人が、与えられた身体的条件を踏まえて、知恵を絞り、いろいろな工夫をして、反戦市民運動を成り立たせているのだ。しかもどう考えても、財布の底をはたいたとしか思えない金額も寄せられる。目頭が熱くなる。「貧者の一灯です。少なくてすみません」というメッセージもいただく。頭が下がる。ありがとうございます、と言うしかない。
 「労力の割に効果が少ない」とXさんは言う。ではどういう運動なら効果が大きいと言うのだろうか。そういうものがあったら、教えてほしいものだ。
 私はこのところ、ほぼ連日、有事立法を阻止するための国会行動に参加している。毎回、野党の国会議員の決意表明を聞き、シュプレヒコールを上げたりする。だがあれは、どの程度効果のある行動だろうか。デモも集会も演説も執筆も、とにかくあれこれやる。少人数の宣伝活動も、万人単位のデモもやる。だがいずれも政治的な効果のほどを算定することは困難だ。
 私は最近、様々な共同(あるいは共働)の〈場〉の設定のために、裏方として動くことが多い。年齢からすれば当然のことだろう。だがいつも「ダメでもともと」と思ってやっている。そうでないとやれないのではなく、ダメモトで案外展望が開ける瞬間もごくたまにはあるが、政治的な効果は、しょせん結果でしか推(お)し測(はか)れないからである。
 政治には時間という要素がある。どんなに立派なことを言っても、しても、間に合わないなら目的を達成できないのだ。そのうえ、仮に間に合ったように思えても、非力ゆえどうにもならないことが多い。だから私に言えることは、〈安易な絶望を友としない〉ということくらいだ。
 つらつら考えてみれば、私は確かに「労力の割に効果が少ない」ことばかりやっているのだ。しかし私はそれがいけないとも辛いとも思わない。私が今回の意 見広告運動で担ったことの一つは、寄せられるメッセージを運動のホームページで紹介するためにワープロで入力することだった。私はそれをかなりの部分担当した。それは本当に得がたい経験だった。賛同金を寄せてくれる一人ひとりの熱い思いが私を揺さぶり、激励してくれた。深く感謝しているのは、むしろ私の方である。
 世界は今、暗黒に向かって突き進んでいるように見える。だが、世界最強の軍事力を誇るブッシュの侵略開始を、世界の民衆は少なくとも数カ月遅らせた。侵略されたイラクでは、米軍による占領に抗議する民衆の動きがすでに表面化していて、ブッシュ政権を狼狽させている。バラ色の未来を展望できないのは、ブッシュ・ブレア・ハワード・コイズミの方ではないのか。侵略者がいずれ撃退されるのは、かつて日本が中国で、米国がベトナムでごく最近経験したことである。
 平和な世界の創造には時間がかかる。だが、たとえいかにつまずきが多かろうと、私たちがいかに辛酸をなめようと、けっして不可能なことではないと私は思う。だから「労力の割に効果が少ない」ことであろうがなかろうが、私は、できることを探し出して、なすべきことを淡々となしたいと思う。
 意見広告が出たら、どういう反応が全国から寄せられるだろうか。いささか胸ときめくことである。意見広告運動の実務にかかわった仲間たちはみな、きっと同じ思いだろう。意見広告一つで世の中が変わるわけではないことくらい、誰もが承知している。それでも意見発表の〈場〉を切望する人びとがいる以上、無数の反戦の思いを埋もれさせないために、私たちは労をいとわない。Xさんに理解してほしいのは、そのことだ。