news-button.gif (992 バイト) 25 べ平連の原資料を埼玉大学に移管 (1999.8.5...掲載)   

 1974年にべ平連が解散したとき、神楽坂の事務所にあったかなり膨大な原資料類は、私が全部あずかることになり、自宅裏の物置などに保管してきましたが、私の老齢化のこともあり、今後の保管の問題や、広く公開して利用してもらうなどのことを考え、すでにアジア太平洋資料センターや横浜新貨物線反対運動などの資料を保管、公開している埼玉大学経済学部の「社会動態資料センター」に移管する話を進めてきました。同センターでは、受け入れを正式に決定し、この8月5日、資料類の大部分は、トラックで同センターに移されました。

 この日は、かなり蒸し暑い日で、資料類のダンボール詰め作業は、重労働。運送会社ペリカン便からは、2人の人が来て作業にあたってくれたのですが、私も資料の要・不要のより分けなどで、汗びっしょり、久しぶりのきつい作業で、こたえました。(写真左はダンボール箱への詰め込み作業、右はトラックへの積み込み)

 資料はダンボール箱26箱になりました。内容は、当時の運動の新聞・週刊誌等の記事のスクラップ、べ平連発行文書、海外との往復文書、べ平連事務局に寄せられた一般からの手紙類のファイル、デモ・集会届け、各種裁判記録、各地方・大学べ平連・反戦市民運動グループが発行した機関紙・誌、ビラ、パンフレット類、米軍基地内で発行された反軍兵士の英文機関紙、べ平連集会の録音テープ、写真アルバム等々で、 また、鶴見俊輔氏が運動中に記録したメモ・ノート類や、保存したべ平連関係のスクラップ・ブック10数冊など、貴重なものも含まれています。

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