年頭にあたって


戦後日本の体制の根本的転換か

――新ガイドライン問題は反戦市民運動の正念場――

(『市民の意見30の会・東京ニュース』第52号 1999. 2. 1.)

吉  川   勇  一 

 

 ▼ 暗澹とした年明け ▲

昨年暮から今年にかけての政治状況は、目に余るひどさだ。米英軍のイラク攻撃の無法さは、昨年暮に出した別掲の市民の意見30の会・東京の声明で指摘してある通りだが、その後の事態は私たちの指摘が正確であったことをますます立証している。中東の状況は、この攻撃によって何ら解決への道を見出さなかったばかりか、出口をまったく見えなくさせてしまった。攻撃から一ヵ月ほどたつと、イラクが査察を拒否した理由としてあげていた国連査察団の中のアメリカ構成員によるスパイ行為の事実が、当のアメリカ側から明かにされてきた。だとすれば、いったいこの攻撃は何だったのか。もたらされたものは、ただ無辜のイラク民衆の犠牲のみであった。

アメリカのこうした無法な振る舞いへの批判は、全世界に広がっている。それでも、米軍は、レーダーの走査を受けたというだけの理由で、イラクへの爆撃を今も繰り返している。

いちはやくそれへの無条件支持を表明した日本政府の態度は、各国の世論から奇異の目や侮蔑をもって迎えられているが、アメリカは、日本への圧力をいっそう加速し、軍事における依存協力態勢の整備を迫っている。

そして、自民・自由両党の一部幹部の談合によって、PKF参加凍結の解除をはじめ、新ガイドラインにともなう関連法案の次期国会での成立は、主権者の意思を何ら問うことなく、すでに自明のものと扱われつつある。これをさらに容易に進めるための空気を醸成するものとして、北朝鮮の軍事的脅威がしきりに語られている。

この事態は、戦後五十有余年、曲がりなりにも続いてきた憲法体制を根本的に突き崩すものである。おそらく数年内に、現憲法体制の根本的変革――第九条の廃棄、軍隊の保有と交戦権の承認――が日程に上ってきても不思議ではない。いや、明文改憲にいたらずとも、すで実質的に、この憲法は扼殺されたというべきだろう。

かつて一九九一年、私たちが湾岸戦争を批判する意見広告を米『ニューヨーク・タイムズ』紙に掲載したとき、その文面の中にあった日本国憲法の位置付けについて、竹内芳郎さん等から批判が寄せられ(『討論塾塾報』61号)、それをめぐって公開の討論が行なわれたことがあった(『市民の意見30の会・東京ニュース』18〜20号の各記事参照)。

その時、竹内さんに反論した何人かのうちの一人、ダグラス・ラミスさんが、昨年一二月五日の集会での講演で、「もはや憲法第九条を世界に広げようなどとは言えなくなった、これ以上それを言うならば偽善に近くなる」とのべたことは、批判者であった竹内さんと同じ立場に立ったと言えよう。八年前の議論の当否についてはここでは触れない。しかし、今の事態がそこまで急迫してきていることだけは確実である。

もちろん、心ある市民の側からの反撃、いくつかの自治体による歯止めの試み(高知県での核積載艦船の入港拒否条例の試みなど)、そして共産党(国会の中で一貫した批判の態度をとっているのははこの党だけになってしまった)の強い反対などはある。しかし、この事態の進展を押しとどめる見とおしは、残念なことに大きくない。

世紀末、一九九九年はこうして幕を明け、私たちは暗い見通しに、正直言って暗澹たる気持ちを隠すことができない。

 ▼  原則に立ち戻ろう  ▲

では、その今、私たちはどうしたらいいのか。

私は一九九〇年、湾岸戦争の危機が迫っているときに強調したことをもう一度ここで繰り返したい。事態が混迷しているときこそ、私たちは原則に立ちかえってそれを高く掲げ、それにもとづいてできることを着実に行なってゆくのだ、ということを。(『労働情報』91年6月15日号など)

具体的な例として、北朝鮮問題をとってみよう。

政府、マスコミはしきりに北朝鮮の動向について危機感をあおっている。年末の『朝日新聞』は、「某国」の武装グループが石川県と福井県に強行上陸し、日本警察と銃撃戦を交え、原発施設に迫るという状況を設定し、それにもとづくシミュレーションを二面見開きで大々的に報じた。紙面を利用していかにもリアルに報じるその事態の展開は、読者の恐怖心をあふり、そういう事態になれば自衛隊の出動以外に手はないと思わせるだけの、十分な効果をもった企画だった。こうしたなかで、民主党の菅直人までが、北朝鮮からの脅威に対しては何らかの武力的対応が必要だと認めるにいたっている。

だが、原則にたちかえって考えてみよ。ある国が自国にとって危険な政策をとっていると思えたとき、その国の政府がまずなすべきことは何なのかを。当然のことながら、外交ルートによる交渉である。ところが、日本は、北朝鮮に対しては、戦後五十有余年、そのルートをまったく閉ざしたままなのだ。

日本外務省が発表している「各国地域事情と日本との関係」というリストがある。(これはインターネットの外務省のホームページでみることができるhttp://home.jp.netscape.com/ja/)。そこに挙げられている世界の国ぐにの数は、アジアが三七、大洋州が一四、アフリカが五二、NIS諸国が一二、北米が二三、南米が一二、欧州が四〇、その他四(台湾、クック諸島、PLO、ニウェ)の計一九四ヶ国である。そのそれぞれの国ごとに、日本との「二国間関係」が説明されている。

だが、そのなかで、「外交関係なし」という記述があるのは、なんとただ一つ、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)だけなのである。これはあまりにも異常すぎるではないか。(台湾については「非政府間関係として維持されている」と記述があり、双方に「交流協会」などがおかれ、実質的には何ら問題ない状態となっている。また、日本が「国家として承認していない」としているのは、クック諸島とニウェだけだが、これも在ニュージーランド日本大使館の管轄下に入っており、貿易も、要人往来も支障なくおこなわれている。)

日朝両国の関係改善について、最初に行動をおこしたのは北朝鮮の側であった。朝鮮戦争が休戦になった直後の一九五五年二月、南日外相が声明を発表して、「貿易・文化関係およびその他の関係の樹立と発展のために話し合う用意がある」と日本政府に呼びかけたし、同趣旨の発言はその後もたびたび行われたが、日本側はいつも黙殺してきた。両国間の正常化交渉が始まるのは一九九一年になってからだが、それも現在は中断されたままだ。

こうしたきわめて不自然な関係を続けていながら、アメリカの言うままに、あるいは、アメリカや北と直接国境を接している韓国さえ確認していないような北朝鮮の脅威をひたすらあおりたて、ただ武力対応のみに走っている現在の日本政府の方針、そしてそれにひきずられてゆく大部分の野党の姿勢は、根本において間違っていると言わねばならない。

国が異なれば、当然、その間に不信や疑惑が生ずることはありうるだろう。確かに、北朝鮮の行動には、韓国領海への潜水艦侵入座礁事件など、私たちに疑問を抱かせるものも少なくはない。だからこそ、外交関係が結ばれ、協議の場がもたれて、真意をただし、解決策を探求することが必要なはずなのに、日本はその努力をまったく放棄してしまっている。

『朝日新聞』も、やるのだったら日朝国交の正常化交渉のシミュレーションこそ、やるべきではなかったのか。

▼運動の大きな目標と当面の行動への集中を ▲

(1) 日米平和友好条約の推進と市民の意見三〇の見なおし

日米安保条約の廃棄と自衛隊の解体、非武装の日本を求める意見は、今の日本では少数派である。最悪の場合は、こうした私たちの主張が、憲法の名において「違法」「違憲」とされるような事態さえ将来くるのかもしれない。私たちは、そういう状況のもとでも、いかに生きるべきかについては、豊かな先例を数多くもっている。古くはヘンリー・デイヴィッド・ソローの「市民としての抵抗」をはじめ、幾多の市民的不服従の輝かしい歴史がある。人間としての原理にたって、主張すべきことをつねに明らかにし、自己の良心に反するような行為を拒否しつつ、他の人びとの良心に呼びかけつづけるという姿勢である。

だが、まだそういう事態にはいたっていない。いま、必要なことは、(1)人間としての原理・原則にもとづいた大きな目標の主張と、(2)当面の問題についての共同の行動への集中だと思う。

具体的に言えば、(1)の課題としては、私たち「市民の意見の30会・東京」は、今年、日米間の軍事条約に代わる「平和友好条約」の締結を促進させるために、アメリカの反戦市民運動との提携強化の努力にとりかかる。昨年暮に訪米した「市民の意見30・関西」の小田実さんは、アメリカの活動家と相談し、あらためてこの条約促進の日米の共同声明を起草することで一致し、アメリカ側は、ニューヨークの「非暴力行動委員会」(NVAC)の中に、この問題を担当する専従者も決めた。今後徐々に、具体的な行動が展開されることが期待できる。

また、それと並行して、そもそもこの会の発足の契機となった「日本を変える三〇の提言」を、現状に見合うようにつくりなおす仕事もはじめたいと予定している。アメリカや日本の政府がとってくる危険な政策に、ただつぎつぎと対症療法のように対応するだけではなく、世の中のありようを根本から変える視点が必要だからである。

(2) 2月14日の共同行動と地方選挙

と同時に、第二には、今国会での審議に注目しつつ、新ガイドラインとその関連法案に反対するさまざまなグループ、市民と共同して、できるかぎり大きな行動を展開したい。

とりあえずは、この二月一四日(日)に、ここ一〇数年、なかったような規模での共同行動が予定され、よびかけられている(本紙に別掲のアピール参照)。新ガイドラインをめぐる争点は、反戦市民運動にとっての正念場となるだろう。この会の会員、本『ニュース』の読者の方がたが、今から予定を組まれ、ぜひともこの日、行動に参加してくださるよう、期待している。また、一人だけの参加ではなく、家族、友人、知人に、事態は急迫しているのだということを伝えて、できるだけ多く参加を誘っていただきたい。

もう一つ、当面の問題としては、一月から四月にかけて行なわれる地方自治体議員の選挙がある。自治体の選挙となると、道路やゴミ問題など、地域の環境問題は取り上げられても、国政レベルのものはなかなか主張されず、争点にならない。最近では、立候補の主張から、非核や非武装、護憲などを取り下げる候補者も多くなっているようだ。だが、新ガイドラインは、まさに自治体のありように直接関係してくる戦争政策である。自治体の動向は、新ガイドラインを阻止する上で大きな影響力をもつ。

選挙に臨んでは、各候補者にこの問題に対する明確な姿勢を問い、選挙の焦点の一つとさせることが大切だろう。(私の住む東京都保谷市の市議選は、他の市区町村より早く、一月三一日に投票が行なわれる。私はこれまで長年、推薦し投票してきた「生活者ネット」への支持を今回はやめ、「有事(戦争)立法反対――自治体に物・人・金の供出を強いる新ガイドライン反対」とはっきり掲げている別の無党派立候補者を推薦した。私の要望にもかかわらず、「生活者ネット」の選挙スローガンには、新ガイドラインについても、安保・自衛隊についても、何も書かれていないからだ。)

     ×    ×    ×    ×

状況も厳しいし、寒さも厳しいことだろう。でも、「殺すな、殺させるな」という主張を掲げる私たちの行動を、そして二月一四日の共同の集まりと行進を、暗澹とした見とおしの中で、春の太陽の輝きをもつような明るく暖かいものにさせようではないか。(一九九九・一・一五)

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