1999年4月8日、夕刻から、駿河台の明治大学新学生会館で、同大学文学部2部の新入生を迎えて、大学側のガイダンスが行われた後、駿台文学会(2部文学部自治会)主催の「新入生歓迎講演会」が開かれ、私が講演した。主催者側が用意したタイトルは「新ガイドラインと周辺事態法案」という硬いものだったが、2部文学部の大学新入生のほとんど全員(約250名)が聴衆という講演会なので、なるべく、若い人たちの関心を引くような工夫をして話をした。

 終った後、駿台文学会の部屋で私を囲む懇談会をやる、という案内がされたが、新入生の十数名がそれに参加してくれたのは嬉しかった。全員から講演会の感想や、質問などが話されたが、これまであまり関心をもってこなかった問題だが、重要だと感じた、これからはぜひ注目してゆきたいというような意見が大部分の参加者から述べられた。

 質問では、もし北朝鮮軍が南に武力侵略を始めたとして、その際、在韓国日本人を救出するには、どうしても米軍機による輸送に期待しなくてはならないだろう、その場合、韓国に近い福岡空港を使用するという案を何かで読んだが、それにも反対するのか?という問いが、新入女子学生からあった。

 以下には、その日の講演の要旨を掲載するが、上記の質問に対する私の回答もなるべく早く掲載できるよう、努力したい。 

明治大学2部文学部入学式の後の
「駿台文学会」(自治会)主催の集会での講演

1999.4.8.

吉 川  勇 一

はじめに 

 明治大学へのご入学おめでとう。諸君の胸は、新しい環境に入ってゆく期待と喜びでいっぱいに膨らんでいることと思います。私ももう半世紀も前のことになりますが、そういう体験をしたことを思い出します。私の大学入学は1949年でしたから、ちょうど50年前ですね。
  私がどんな人間かは、もし、パソコンをおもちで、インターネットが見られるのでしたら、私のホームページを見てください。そこに詳細な私のプロフィールも、著作物の一覧などのデータも入っています。アドレスは、http://www.mine.ne.jp/yy ですが、検索でアドレスは見つかるでしょう。
  さて、ねずみ色の受験勉強の時期をやっと通りぬけて、これからやりたいこと、やろうとすることの計画も、すでにいろいろあることでしょう。パソコンに取り組んでインターネットの中を片っ端から飛歩いて見たい、バイクや車の免許を取りたい、あるいは5月の連休や早くも夏休みに恋人と旅行に行く計画を立てている人もいるかもしれませんね。
  しかし、そういう今でしたら、諸君は、人の話もかなり余裕をもって聞くことができる心的状態にあると私は思います。それで、嬉しい入学の日ではありますが、少し堅い話をしても、諸君の耳に入れてもらえるだろうと期待して、そういう話をしたいと思います。今日のタイトルは、「新ガイドラインと周辺事態法案について」とありますが、法案の条文をいちいち解説するつもりはありません。もっとその背景にある話からはじめたいと思います。

選択肢ということ

  大学生となれば、諸君の人間関係は一段と広がり、世間からは、社会人としての責任がいっそう強く求められます。
  その時に考えてほしいことは、「選択肢」という問題です。受験問題に出てくるあの「選択肢」です。
  私は、大学や専門学校などで教えていたこともありますが、長い間、予備校で英語を教えていました。昨年の末にやめたのですが、つい先週は、その代々木ゼミナールから、勤続27年という賞状と記念品を貰いました。さて、そんなことはどうでもいいのですが、この予備校での体験を2つご紹介して諸君に考えてもらいたいと思うのです。
  一つは、諸君は思い出すのもいやかもしれませんが、入試の模擬試験などの出題方式をめぐる話です。

正解のない選択肢

 予備校の授業で、これはあまり評判がよくないのですが、私は生徒たちによく答えを求めます。正しい答えを言った生徒に、「よろしい、それでいいんだ」と言うと、生徒は指を鳴らして「やったぜ!」とか「当たった」といいます。「そうじゃない、ダメ」と言うと、「外れたか」などと言います。「できた」「まちがった」ではない、この「当たり」「外れ」に、私は引っかかります。まるで宝くじじゃないですか。
  ある設問を出して、「次の問に対する正しい答えを下の中から選び、その番号を記しなさい。ただし、正解が無い場合は0と記入しなさい」というような形式をとると、生徒諸君の評判はえらく悪いのです。選択肢の数はいくら多くてもいいから、その中に正解は入れておいてもらいたい、というのです。つまり、もしかしたら正解の入っていないかもしれぬ選択肢なんていうのは、当たり籖のない宝くじみたいなもので、インチキだというんですね。正解が与えらていないと、えらく不安に駆られるようです。

人生における選択

 人生は、選択の連続です。職業の進路であれ、アルバイトであれ、恋愛であれ、交友であれ、たえず、自分が進むべき道を選び取らねばなりません。そういう際、選ぶべき選択肢が限られていることもありますが、時には、自分からそれをつくりだし、あるいは与えられている選択肢を全部壊して、最初から組み立てなおして見ることが必要な場合だって数多くあるのです。

『ぴあ』のこと

 『ぴあ』というタウン情報誌があります。ご承知のように、映画、演劇、音楽など、さまざまな催し物の案内誌で、私は言って見れば、列車の時刻表か電話帳のたぐいだと思っていました。だから同棲している恋人同士やアパートで同室の仲間が、それぞれ1冊ずつそれを買うという話を聞いたとき、不思議に思いました。一軒の家の中で夫婦がそれぞれ別に電話帳を持つのとおなじように無駄なことだと思えたからです。
  ですが、生徒たちは、「先生、わかっちゃいないなあ」と言います。彼らは、『ぴあ』の中の映画案内なら映画で、自分の今一番見たいものにマーカーで記しをつけます。次に見たいものはこれ、第三はこれ……。音楽にしてもそうです。こうして与えられた情報の中から、自分ならこれだ、という選択と順列を作り出します。こうしてできあがった選択と順列は、たとえ友人であれ、恋人であれ、他人のそれとはまったく違う、その本人の独自の世界ができあがるのであり、いってみれば、自己確認だそうなのです。「アイデンティティですよ、アイデンティティ!」などと、わかったことを言うような者もいます。私はショックでした。
  情報誌の提供する選択肢の中だけで、こうして構築された若者の世界の、なんと貧しいことか。確かに、そこには、新刊案内や、「アムネスティ韓国人権セミナー」とか「反原発の集い」などの案内も時には入っています。しかし新ガイドライン関連法案反対のデモや、安田弁護士救援運動のお知らせなどは載りません。そもそもそんな情報を知ろうとして彼らが『ぴあ』を買うわけではないからです。
  情報誌が提供する選択肢のほかに、実はその外に広大な天地が広がっていて、それは選ぶべきものばかりではなく、時には、そこで壊したり、新たに作り出すべき場としてあるということに、多くの若い人たちは気づいていないのです。
  人生における選択肢は、“当たり”と“はずれ”ではなく、無限であること、つまり創造であることを、ぜひわかってほしいと願っています。

政治の世界 

 政治の世界では、この点がとくに問題となります。今、都知事選挙の真っ最中ですが、選挙となると、与えられた選択肢の中からだけ選び取るという形式がとりわけはっきりしますね。与えられたものの中に、自分の強い関心を引くものがなければ、無効票の投票か棄権という道しか残されていません。
  ですから、無関心という層が有権者の中で非常に大きな割合を占めてきます。そこで考えてほしいのです。大学生になり、諸君の多くはまもなく選挙権も手に入れるでしょう、ここは2部ですから、すでに持っている人もかなりいるかもしれませんね。
  諸君の中には、政治なんて、俺に関係ねえよ、とか、私は関心ないわ、ほかにやりたいことがあるもん、などと思っている人もいるでしょう。ですが、社会は、とりわけ政治というものは、自分がどう思おうと、そこから抜け出すことができない世界なのです。無関心は、「無関心という政治参加」になってしまいます。そこのところを、ぜひ考えてほしいと思います。

社会学の教える「世論」

 私は、投票を勧めているだけではないのです。政治参加とは、選挙だけでは決してありません。少なくとも、それと関連しては、2つのことを申しあげたい。
  第1は、世論とは何か、ということです。これから社会学の講座をとる方もいるでしょう。社会学が教える「世論」によれば、世論が成立する条件には三つあるといいます。
  その一つは、イッシュー(問題)が明確に提起されること、第二はそのイッシューについて、必要にして十分なデータ、判断の素材が提供されること、そして第三に、最後には世論を形成すべき人びとの間で、十分な意見の交換、議論が成立することです。
  しかし、政治の世界、とりわけ選挙となると、この三つのすべてが極端に曖昧にされます。争点ははっきりせず、候補者の主張はみな同じようになってしまいます。不利なデータは意識的に隠され、調子のいいイメージだけが薔薇色に提示されます。かつてあったような、候補者と複数の有権者との間の質疑応答、討論の場を提供するような機会はほとんどなくなっています。テレビの上の討論番組が、その代行をしているのです。しかし、テレビ討論がいかに面白おかしく筋立てられていようとも、それは主権者の自主的議論の代わりになるはずがありません。つまり健全な世論が形成されるような条件がほとんど欠如させられているのです。

「代議制民主主義」、「間接民主主義」

 もうひとつは、代議制民主主義の問題です。現在の政治の多くは、間接民主主義の方式をとっています。1960年代のおわり、ここ明治大学周辺を含めて、御茶ノ水から神保町かいわいで、いわゆる「カルチェ・ラタン闘争」なる激しい街頭闘争が展開されたことがありました。すでに伝説的になっていますが、各大学の全共闘系の学生たちによって展開された闘争です。彼らは参加する民主主義、直接民主主義を主張しました。今日のこの場で、その是非などを論ずることはできませんが、少なくとも、代議制民主主義、あるいは間接民主主義が、選挙での投票だけで完結するものでは決してないことは確かです。
  直接民主主義にも、間接民主主義にも、それぞれ、すぐれた点と欠点とがあります。代議制民主主義の欠点を補うには、選挙の後も、主権者がたえず世論を形成して、議員にその意思を伝え、それを議会の審議に反映させることが必要なのです。ジャン・ジャック・ルソーが皮肉って言っているように、投票とは、自分の全意思を、生命まで含めて左右する権利を、議員に委ねてしまうことでは決してないからです。
  投票時にはまだ登場していなかった新しい問題や、意図的に隠されていた問題などが表面化してきたときには、あらためて世論に問い、それを政治に反映させるということが、どうしても必要なはずでしょう。

最近著の「あとがき」に書いたこと

  諸君にはまだ当分、縁のないことでしょうが、私はつい最近、『いい人はガンになる』という本を書きました。これがそうです。ありがたいことに、NHKのBS-11チャンネル(衛星第2放送)で、明日金曜日の午後12時からの番組「週刊ブックレビュー」でも取り上げてくれるそうです。興味のある方はみてください。
  実は、その本の「あとがき」私は、「若い人びとは気の毒だ」と書きました。ちょっとそこをご紹介します。

 ――私たちの世代の人間は、なんだかんだと文句を言ったりデモをしたりしながら、それでも、まもなくこの世とおさらばするのですし、それまでは、私は、こういしたノーテンキな暮らしをしていくつもりですが、若い人びとにとって、この国はひどいことになりそうだな、とそれだけが心配です。日本だけがひどいことになるのならまだともかく、近隣の国ぐにの人びとにまで、もう迷惑はおかけしたくないものだと願っています。――

  非常に悲観的ですね。なぜ?って思われるかもしれません。じつは、戦争という問題は、関係ないや、関心ないや、では済ましてくれないからで、どう思っているかにかかわりなく、それは若い人びとを否応なしに巻きこんでゆくことになるからだ、と私は思っているからです。

 二つの戦前

  現在の時代を考えるとき、どうしても1930年代と重なって私には見えてきます。と言いましても、私は1931年生まれですから、30年代のことを理解できるような実体験は持っていません。しかし、私が加わっている市民運動、「市民の意見30の会・東京」というグループの機関誌――これがそうですが――その最近号に、パリにいる社会学者の日高六郎さんが書いてくださった文章には、「二つの戦前」という表現がありました。タイトルは「戦前の『戦前』と、いまの『戦前』」というものです。日高さんは、1916年生まれですから、30年代はまさに青年期です。その日高さんが、ここで、30年代と90年代との相似形について書かれ、「ふしぎなほど似ている」と言われています。
  諸君は、これからあの悪夢のような戦争がまた起こり、自分がそれに巻き込まれる、そんなことは、まさか起こらないだろう、と考えているかもしれません。そう考えていいのでしょうか? 私はそうは思いません。

 数学者の福富節男さんの体験

  1930年代後半から1941年の太平洋戦争開戦までの、日本社会の空気の急激な変貌は、アッと言う間のことだったのです。私といっしょに長い間反戦市民運動をやってきた福富節男さんという数学者がおります。福富さんが大学生だったとき、東京帝国大学の経済学部教授だった矢内原忠雄という経済学者の最後の授業を聞いたそうです。(注)
  矢内原さんという敬虔なクリスチャンの経済学者は、戦後は東大の学長までやった方ですが、その所論が反戦的傾向にあり、不穏な言論を吐いているとして、1937年の12月についに教授を辞任せざるを得なくなります。福富さんは、数学の学生ですから、経済学部の矢内原さんの授業をとっていたわけではないのですが、しかし大学を追われて去る教授が、最後にどんな授業をするかという好奇心から、その最後の講義を聞いたそうです。そのあと、友人たちと喫茶店で話し合ったそうですが、しかしその時は、まだ、世の中の動きや政治について、それほどの危機感は感じていなかったそうです。しかし、それからほんの数年後には、福富さんは、召集されてフィリピン戦線へ連れてゆかれ、最後には、ルソン島北部の山中を食料をあさりながら、命からがら逃げ回ることになっていたのです。
  その間の変化は、矢内原さんの講義を聞いたときには、予想もしなかったほどの急激なものだったそうです。福富さんが死なずに帰れたのは、多分に偶然のことでした。
  私は、諸君たちが、日高さんや福富さんの体験したことを、もう一度、しかももっと悲惨な形で体験させられるのを恐れているのです。
 
 (注) ここの部分は、私の記憶違いで、福富さんが矢内原教授の授業を聞いたのは、大学へ入る前、(旧制)第一高等学校理科の学生だったときのことだそうです。

新ガイドラインの危険性の一例――「後方支援」

 具体的に言いたいのは、「日米防衛協力にかんする新ガイドライン」とその関連法案――いま国会でようやく審議が始まっていますが、首相訪米以前に決着をつけて、訪米の土産に持たせようなどというとんでもないことも言われています。そうなると、ろくに審議もなしに、無理やり決着が強行されてしまう危険性も出てきます。
  さきほど、間接民主主義、投票による代議士の選出は、すべての問題について全権を議員に与えるわけではない、と言いました。この新ガイドラインなるものは、一昨年夏、日米の事務官僚レベルで取り決めたもので、国会の議論すら、その際はまったくなかったものでした。
 また、さきほど、世論の条件の一つには、必要にして十分なデータの提供ということがあると私は言いました。しかし、この新ガイドラインでは、それがまったく満たされていません。それどころが、欺瞞、詭弁、真相隠しが政府によって意識的に行なわれているのです。
  ここで、その問題点を一つ一つを説明する時間的余裕はありませんが、例として一つだけ「後方地域支援」なるものだけを取り上げてみましょう。
  法案第3条では、後方地域とは、「わが国領域ならびに現に戦闘行為が行われておらず、かつ、そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められるわが国周辺の公海及びその上空の範囲」――、と書かれてあります。それゆえ、「後方地域」は、戦闘地域から「一線が画され」ており「武力行使と一体ではない」のだと政府は説明します。

Logistics ――「兵站」ということ

 ですが、実際はどうなのか。「後方支援」は、英文では、logisticsです。どんな辞書を引いても、それは「兵站補給業務」とあります。原書房から出ている『防衛時事英語辞典』なる厚い専門辞書にも冒頭にそうあります。では、その「兵站」 logistics とは、何なのか。具体的でとてもよくわかるのが、湾岸戦争の時の米中央司令官ノーマン・シュワツコフの『湾岸戦争最終報告書』にある説明でしょう。ちょっと引用してみます。

 「――(対イラク戦争における)多国籍軍の成功を結んだ共通の糸は、多くの場合に敵対的なアラビア半島の環境において、戦力を、さらには戦域外の全軍種の多数の部隊を輸送し、支え、維持した兵站努力であった。部隊の戦闘力は、その部隊が受ける兵站支援の有効性に見合ったものでしかない。」

  「兵站」ということが、戦争行為の一部であることは明瞭ではないですか。
  さらに、1986年の国際司法裁判所の裁定も、「兵站活動は、武力による威嚇、または武力の行使とみなしうる」としているのです。
  日本政府の意図は明瞭ですね。「logistics =兵站」という言葉を避け、「後方地域支援」という表現にこだわった理由は、ここにあるのです。詭弁はこれにつきません。
  法案付属の別表の備考欄によれば、「物品の提供には、武器(弾薬を含む)の提供を含まないものとする」とあり、自衛隊の行為は「武力とは無縁」だと見せようとしています。ですが、政府答弁では、別表の定める「輸送」任務は、「物品の提供」ではないから、輸送の対象品目に武器・弾薬が含まれることは問題ない、としているのです。
  そんなことが、国際的に通用しないことは、だれが考えても明瞭です。
  テレビで『鬼平犯科帳』などを見ていた人はいますか。何でもいいのですが、殺人強盗団が豪商の店に押し入ろうとするとき、中には入らないが店の外の路上で、奉行所の役人が来ないかを見張っていたり、あるいは、刀や侵入道具などを運搬する役の者もいます。それは、運搬や監視だから、殺人・強盗とは関係ない、などと、どうして言えるでしょう。

自治体 ・民間の協力

 この関連法案によれば、この法案は自衛隊だけでなく、自治体や一般国民をも広く巻き込むことを意図しています。詳しく述べる時間はもうありませんが、警察、消防、病院関係はもちろんのこと、日航、全日空、JR、クロネコやまとやらペリカン、佐川急便までもが、戦争に動員されるような事態も予測されるのです。

北朝鮮情勢と武力

 諸君の中には、だって、北朝鮮みたいな危険な国が隣りにある以上、ある程度の準備は必要ではないか、国家である以上、軍隊をもつのは当然ではないか、日米安保条約こそ日本の繁栄やアジアの安定の基盤ではないか、などという考えを持っている人もおられるでしょう。
  北朝鮮政府が、自ら抱える国内的・国際的矛盾を周辺地域への軍事的威嚇によって取り繕おうといる現実はあります。それに私も強く批判的です。しかし、ここ半年ほどの所謂「北朝鮮による危機」は、日本の政府、自衛隊によって、大部分が意図的に演出され、作り出されたものだと言うことができます。

北朝鮮の「不審スパイ船」事件

  一例だけ挙げます。先日の「北朝鮮スパイ船事件」です。
  この中では、「威嚇」とはいえ、自衛隊発足以来はじめて、海上自衛艦が実弾を他国の船に向けて発射し、航空自衛隊機がはじめて他国の船に向けて爆弾を投下したのでした。しかし、このような不審な船の領海侵入はこれまでにも数々あり、今回に限って自衛隊実戦部隊による追跡と実弾使用が行われたのは、まさに国会で審議中の新ガイドライン関連法案を通過させるために、一気に世論を煽り立てようとする意図によるものであることは、きわめて明瞭なのです。
  日本政府がこの不審な船の侵入を米軍からの通報によって知ったのは、早くも3月22日のことでした。その段階から政府は「有事到来」のシナリオ作成を開始したものと見られます。しかし25日の参院外交・防衛委員会で、野呂田芳成防衛庁長官は不審船について「21日深夜から断片的な情報はあった」とのべています。とすれば、担当省庁である海上保安庁に連絡したのが23日午前11時ですから,まる2日以上も連絡しなかったことになります。政府による情報操作は歴然とすることになります。
  それを受けて、『読売新聞』は「防衛法制の欠陥が露呈した」として「緊急事態に即応できる法制と態勢の整備は、国として最低限の義務である」と社説で論じましたし、『朝日新聞』も「タカ派」編集委員・田岡俊次が「仮に撃沈しても外国から非難されることはない」「全く日本の主権にかかわる問題」であり、「国際法の範囲で国内法令を考える必要があるだろう」と論じました。
  このように、少し調べればすぐわかるような演出によってまで、政府は「関連法案」の国会通過を図り、有事体制づくりを急ごうとしているのです。
  もう一度、さきほどのべた、民主主義の基礎である世論形成に必要な条件のことを思い出してください。必要にして十分なデータの提供どころか、データは隠され、ゆがめられているのです。1930年代とオーバーラップして見えてくるという、日高さんの判断もいくらかお分かりいただけるのではないでしょうか。

 最後にもう一度

  最後にもう一度、諸君に繰り返します。
  私たちの前にある選択肢は実際は広いのです。しかし、与えられるものは表面的には数は少なく、しかも、その中には正解の含まれていない場合が、とりわけ政治の世界では多いのだ、ということを、じっくり考えてみてください。
  諸君が、若者の旺盛なエネルギーをもって、その背後にある問題点を自分で探り出し、広大な選択肢を自分でつくりあげ手ほしいと、私は心から願っています。大学入学という、人生の新たな門出に当たって、諸君に考えてほしいと思うことは以上です。

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