51 2010年の賀状、ほか年頭のこと (2010年01月09日  掲載)   

 2010年が明けました。本年の賀状をご紹介します。右のサムネイルをクリックしてくださると、大きな画面になります。
 私もかなりの方に賀状をお送りしましたが、いただいた賀状も300枚近い数でした。ありがとうございました。その中から、いくつかをご紹介させていただきます。ただし、お名前は省略しますが……。

@大津市の知人の研究者から  注:(括弧)内は、実際はルビでしたが、ここにつけられないので、(括弧)にしました。
「斥候(ものみ)よ、夜はなお長きや? 
  ものみ答えて言う、朝(あした)は来たる、されど いまはなお夜なり。汝もし問わんと思わば 再び来たれ。
わたしたちもまた、余りにも長く問い続けてきた。
 では、今年は、どうしようか?」
 私の賀状にも書きましたが、60年安保闘争から満50年になります。確かに「夜はなお長きや?」と言いたいことです。
A先輩の運動家の数学者から
 
「かつて天皇の力・命令と軍の慾望が相俟って軍靴でアジアの各地を踏みにじりました。世界に目を開かず、己の実地力を評価できない独りよがりの感覚と思考(メンタリティー)のなせるところで、市民も結局それを許容したといえます。戦争の惨禍について、天皇も政治の支配者も民衆に謝罪しません。この国の政治世界のメンタリティーは今日も変っていないようで不安です。(後略)
B先輩の反戦活動家から
「(前略)樋口さん、畑先生、おどろきました。
 鳩山内閣は近衛内閣ですね〜きめるときは『右』東條につなぐのか」
  樋口さんは労働運動家、畑先生は化学者で、原水禁運動の活動家、いずれも昨年末に他界されました。
C先輩の反戦活動家の評論家から
「(前略) いやいや、正月そうそうこんな愚痴っぽいことをっている言場合はないことは、よくわかっています。「政権交代」ですが、しかし変化はつねに二つの顔をもっています。どちらに転ぶか、それを決めるのは「政権」ではなくわたしたち『民衆』でのこうどうにかかっています。小沢某は『国民が主権を行使できるのは選挙の時だけだ』と嘯きました。ご冗談でしよう。人民主権とは、あらゆる場面で、われわれが決定権を持つということですよね。しかしそれには、それにふさわしい『民衆』が生まれなければなりません。民衆の文化を変えよう。皆さんのご活躍に期待します。(後略)」
D私より少し若いドストエフスキイ研究者から
「民衆を『信ぜず』と『信じる』という両極を ドストエフスキーの世界で考えさせられています。結局、後者に立つ彼の根についてかんがえています。」
 私が一昨年に出版した拙著のタイトルが『民衆を信せず、民衆を信じる』とつけていました。
E同年輩の反戦運動の仲間から
(右の絵も。)
 「春 / だれとでも手と声と心をつなぎ、 /  戦争も原発もない やさしい世界を つくりましょう!」
 描かれてある虎が逃げてしまい、猫が顔を出している衝立の絵がいいですね。
F知人のジャーナリストから(左の絵)
 
「読んでね!」という虎の本の紹介が入っていました。この障がいをもった虎のうち、一匹は昨年他界してしまいましたが……。
Gかつての大学の教え子の知人で活動家から
 「『一昨年は三度もイレウスに見舞われた』とのことながら、印象的だった点は『それで思い切って、たばこは極上のソブラニー・ブラックに変え、紫煙を楽しんでいます』とのことに、同じ愛煙家として、この心意気こそ、さすがは我らが先生の意を強くしました。いかなる逆境にあれ、ものともせずに、あくまで断乎としてタバコは止めないの精神は、社会変革者 としての市民運動家の先達としての、わかる人にはわかり、わからない人には永遠にわからないある種の精神(ソウル)と思われます。……とは言え、やっぱり、ご体調の管理だけはちゃんとなさってくださいまし――。」
H先輩のジャーナリストから
 「『天国九条の会』期待します。 安保50年、朝鮮併合100年。節し目の年に頑張りたい!」
I三鷹・武蔵野「ちょうちんデモ」の会の知人から
 「2010年2月15日、ちょうちんデモ700回をむかえます。」
 私も、今度は参加したいと思っています。この集会やデモの案内はつぎをクリックしてください。ベ平連のサイトに地図その他も載っています。
http://www.jca.apc.org/beheiren/551ChouchinDemo700kai.htm

 冬になると、富士山のすっきりとした姿が窓からよく見えるようになります。今年になっては、ほとんど毎日のようです。元日にはジョルジュ・プレートルのウィーンフィルのニューイヤーコンサートをBS放映で堪能しました。ヨハン・シュトラウス『朝の新聞』で出てきたウィーン美術史美術館でのウィーン国立劇場バレエ団とウィーン・フォルクス・オーパー・バレエ団の、あまりの美しさのバレエに圧倒されました。
 2日は、毎年の吉川家の定例なのですが、私の弟妹や、姪・甥、その子どもたちが、私の母のところに集まります。96歳になる母ですが、相変わらす、頭はまったくボケていません。市民の意見30の会・東京の会費は2年分渡され、5月の反改憲意見広告運動の参加費は、近く送金するから、と言われました。私の方がボケです。昨日は、市民の意見30の会・東京の事務局会議の第1回の集まりを1週間まちがいて欠席したりしています。
 4日は、大晦日に逝去された原水禁運動の中心活動家だった生化学者の畑敏雄さんのお通夜に出てきました。(畑さんについては「News 211」に。)
 昨年暮れから、毎週水曜日の午後に、事務所に顔を出して、会の入金振替の処理など、事務の仕事を手伝い、夕刻6時から、誰でも自由というメンバーで夕食会という集まりをすることにしました。会議や決定をするのではなく、それぞれ持ち合わせた夕食をたべながら、自由な話題をする場所です。
 昨年暮れの会では、私からは、中川六平『ほびっと』と池澤夏樹『カデナ』について、その次回では、開高健さんとベ平連とのことを話し、今年の初めの会では、鶴見俊輔『言い残しておくこと』と1968年についてのことで話をしました。この最近の会では、天野恵一さんも、小熊英二『1968』について話をされました。いつも6〜7人が参加しています。機会がありましたら、水曜日の6時に、サンドイッチなりお握り結びでも持って事務所に顔を出されたらいかがですか。歓迎いたします。