91 紫陽花の月です。(2013年06月11日  掲載) 

 空梅雨の紫陽花: 今年はずいぶん早く梅雨が入ったと発表されたのに、まったく空梅雨です。そのせいかどうか、今年、ベランダの紫陽花の鉢は、どれひとつ、葉はあっても花がつかないのです。かみさんの命日になっても、今年は紫陽花は無しかな、と思っていましたら、その前日の6月6日に、きれいなピンクと白の紫陽花の鉢が知人から送られてきました。別に紫の鉢も加えられ、今年も見ごたえある紫陽花が並ぶことになりました(左の写真)。ありがとうございます。今年の命日で、連れ合いの祐子があの世に行ってから8年目です 。

 10回目の西東京反原発デモ: 昨日の日曜日、9日、地元、西東京市での
「原発はいらない西東京集会&デモ」は第10回目になりました。市役所田無庁舎の広場を出発し、六角地蔵通りを通り、「いこいの森公園」までのコースでした。
 前回は、私がデモの先頭に立って歩
くことになったのでしたが、今回は、この市の住民の一人、太田昌国さんがデモの先頭に立って歩きました(右の写真の中央)。私は、この回はあまり健康状態がよくなく、デモの最初の部分に参加するだけで、途中で出してもらいました(左は出発前の写真)
 なお、反原発のいろいろなデモで、大きなきれいな幟を掲げている地元の活動家、
柳田さんは、今回も新しい大きな幟を担いでこられました。ぜひ紹介したく、ここに載せておきます。右の写真のうち、大きな方にあるのは 寺山修司の「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」と[祖国そ捨つるほどに霧深き海、茫漠の雲赴くところ」とあります。小さな写真は、クリックすると大きく読めますが、「ゲンパツのお命いただきますよ 血の花 真っ赤に 咲かせましょ! お竜 小太刀の花が咲く」とあります。

 なだ いなだ さん逝去: デモから帰ってテレビをつけた途端に、なだ いなだ さんの逝去の訃報で驚きまし3た。6月6日、ガンで逝去、83歳とのことです。(写真は『市民の意見30の会・東京ニュース』90号)
 3日前、『市民の意見』の編集委員会の会合があったのですが、次号の編集内容の相談では、前号の「反戦交友録」で村井吉敬 さんのことを載せたが、もう知った活動家の方が亡くなって、このページに載せるようなことはありがたくないなあという話が出て、次号ではこのページ予定を削ったばかりでした。 ところが、のことです!
  ご承知のように、なださんは作家で精神科医であるだけでなく、ネット上の仮想政党「老人党」を立ち上げたり、井上ひさしさん、内橋克人さんとともに「鎌倉・九条の会」の呼びかけ人にもなり、ユーモアもたっぷり含みながら、独自の反戦・社会批判論を展開し、「強い国ではなく、賢い国にしよう」と主張されました。齢がほとんど同じで、何度も便りのやりとりもい
たしました。私の参加している「市民の意見30の会・東京」でも講演をお願いしています。小田実さん、鶴見俊輔さん、澤地久枝さんと一緒のその講演会では、なださんは、「われわれが考えるのは、人間の問題なんですよ。国のあり方は、われわれの決めることなのです。私たちの仕事は、戦争のない未来の世界を、次の世代の人たちに譲り渡したいということなんですから、国なんて滅びようが、なくなろうが、問題じゃないんです」と話したのでした。(2005年4月5日、東京)。この全文は、以下をクリックすると、『市民の意見30の会・東京ニュース』90号)の講演会の全文が見ることができます。
 
なださんはベ平連の脱走兵援助活動に参加し、自分の家族との間にいろいろ難しい問題も生じたことを小説にした作品があります。あまり読まれていなかったようですが、『影の部分』(1985年、毎日新聞社)です。しかし、ぜひ読んでいただきたいと思います。この書物のことも、なださんの今紹介した講演会の先頭の部分でふれています。本の初版の帯には、「ベトナム戦争が投げかけた陰――脱走したアメリカ兵を匿いながら、ノンポリを装う父、その気持ちを知らずに過激な学生運動に走る娘。一つの時代を象徴する出来事に巻きこまれた父と娘の姿を鮮明に描く長編。」とあります。

 続いている同窓会など: 本欄前号の90で、最近、同級会やどうクラス会などの集まりが続いていると書きました。すでに、東京・麹町区立の富士見尋常小学校の同クラス、旧制浦和高校の文甲クラス会、そして旧制の埼玉県立川越中学校の同期会の集まりが終わり、全部参加しました。川越市の有名な割烹旅館であった集まりには40人ほど参加しましたが、もう学校まで直接見れることはもうないかもしれないな、と思い、集まりのあと校舎を訪ねてみました。建物は昔の古木造でしたから、鉄筋の建物にすっかり変わっていますが、正門のすぐ傍にあった大きな樟の木は元気でしたし(左の写真)、裏のグラウンドは当時のままの印象でした。帰路、有名な時鐘の塔や蔵造りの商店街の前を通ってみましたが(右の写真)、中学生当時でしたら、おそらく10〜15分ぐらいで通学の電車の駅、本川越から学校まで着けたのでしょうが、今回は途中に2度も腰を下ろして休み、全部で40分ほどかかる始末でした。

 西東京市で森てるおさんが都議会議員選挙に挑戦: 西東京市で市議選挙ではいつもトップ当選、今年初めの市長選挙では次点になった森輝雄さんが、今月末の東京都議会議員に立候補することになりました。私も、森さんを推薦しています。森さんの主張その他は、本サイトの西東京市の市民・住民運動の欄に載せておきます。