76 2012年6・15のことなど。 (2012年06月17日  掲載)    

鳩の雛は大きくなりました 本欄の前項で窓の外の鳩の巣に2匹の雛が生まれたと報告しました。気になっていましたが、そっとしておきました。2週間近く経ったので、もうかなり大きくなっているだろうなと、久しぶり様子を見た所、2匹とも羽毛がかなり生え、ときどき動きます。もう大丈夫だと思います。ときどき古いパンの屑などを撒いていますが、数時間経つと全部なくなっています。これは親鳩の方が食べているのです。しばらくは餌も撒くことにし、雛が飛び立ったら、巣も除き、すっかり汚れてしまったベランダを大掃除するつもりです。

 今年の6・15行動 「ご案内」欄でお知らせしましたように、今年の6・15は、反原発の大抗議行動をはじめ、いろいろな活動とダブりました。私は池袋の豊島勤労福祉会館であった毎年の「声なき声の」の会合に参加しましたが、市民の意見30の会・東京の仲間たちの大部分は、首相官邸前の大飯原発再開決定への抗議のデモに参加しました。この報道はすでに動画も含め、いろいろ出されていますね。1万人近い 人びとの参加があったと言われています。
 「声なき声の会」は、いつもよりも早く5時半から開かれました。元事務局長だった故高畠通敏さんが残された1960年の写真や切り取りファイルなどが夫人からお借りし、それを通覧する時間をとるためでした。「声なき声の会」の
柳下弘壽事務局長は、ぜひこれらの資料を活用したいという提案をされました。資料の 中には、当時の多数のチラシの現物のほか、声なき声の会の行動をはじめその後のベ平連の行動なども毎回のように多数の写真を撮り続けた故成谷茂さんのすぐれた写真(ただし、全部小さなベタ焼きのもの)が、多数、ファイルには貼られていました。1960年6月15日と記入された写真もあり、これはとても貴重な写真集だと思えました。成谷さんのご家族には、そのネガフィルムが残されているのだろうと思いますので、ぜひ、この写真は復活し、広く公開できるよう 私は望みました。元『朝日』の岩垂弘さんや思想の科学社の余川典子さんも、その方法を考えてみたいということでしたので、いずれ、相談が始まるものと期待します。
 昨年の「6・15」集会は、日曜日にしてみよ
うかと、6月13日に 行なわれたのですが、やはり15日に是非 という意見が多く、今年からふたたび15日になりました。参加は20数名でしたが、今年の集まりに初めて参加するという方が2人もおられました(左の写真) 。参加者それぞれの方からは、6・15のこと、樺美智子さんのことへの関心などが熱い言葉で語られました。
 事務局長の柳下さんは健康上、以後の事務担当が難しくなっており、来年以後の「6・15行動」を継続できるかどうか分か
らず、全員の意見を聞きたいということになりましたが、全員が、たとえごく少ない人数になったとしても、最低、南通用門に集まって樺美智子さんへの献花の行動を続けたい などという意見でした。また、豊島勤労福祉会館の会場とりの手続きは簡単ではないのですが、それも立川の細田伸昭さんが引き受けてくださるということで、来年からもしばらく「6・15行動」は続けられることに決まりました。これまで事務連絡をされた柳下事務局長さん、 お疲れされで、ありがとうございました。
 8時過ぎに終わった集会の後、
員で国会南通用門に向かいました。いつもと同じ献花の行動でした。(上の写真、また、右は、鎌倉から来られた元名古屋学院大学教授の堀孝彦さんと南通用門前で。2枚どちらも大木晴子さん撮影) 献花した花束は、そのまま置いていきますと、いつも、国会の職員がすぐに除いて捨ててしま います。それで、私たちは、献花が終わると、花は持ち帰ることにしています。いつも綺麗な花束を持ってくる大木晴子さんは、終わったあと、その花を祐子さんにと言って私に渡してくれます。今年も 大きな向日葵(ひまわり)の入った束をいただき、私自身の花と合わせてきれいな花瓶が祐子の写真の前に飾れました。前便で、今年も見事な紫陽花(あじさい)の鉢を頂いたと書きましたが、その花はそろそろ終わりになって来ました。ですが、今度は、昨年から残して世話をして いた古い紫陽花が開き始めました。しばらくは梅雨の間、ベランダには紫や白の紫陽花が続けられることでしょう。(それぞれ左の写真) 

 意見広告運動の報告など この6・15の日、昼間は、市民意見広告運動の発送作業が行なわれました。5千数百人の賛同者のかたがたに、意見広告の同サイズの紙面コピーを含む報告書をお送り するかなり大変な作業です。今年は、賛同者の氏名を紙面に載せませんでしたので、賛同者の数が減るのではないかと心配していたのですが、そうはならず、今年も『朝日』全国版、『東京新聞』、『琉球新報』と3紙も意見広告を掲載できました。この運動への事務局への多数の意見は、市民意見広告運動の以下のサイトに載せられていますので、ご覧になって下さい。 意見広告の紙面は、右の小さな写真をクリックしてくださると、大きな画面を見られます。また、このコピーの希望の方も、事務局にご連絡くださればお送りします。市民意見広告運動の以下のサイトをクリックしてください。(http://www.ikenkoukoku.jp/)
 市民意見広告運動は、『武力で平和はつくれない――私たちが改憲に反対する14の理由』という書物を刊行し(合同出版刊、1,000円+税)、好評で再刊もされているのですが、その続編となる『核の力で平和はつくれない――私たちが非核・脱原発を主張する18の理由』がまもなく発行されます。やはり合同出版の刊行で1,200円+税で、刊行は7月中旬です。ぜひご覧ください。   内容は、この最後に掲載してあります。
 6月11日には、この意見広告運動のデザインを担当された鈴木一誌さん、上村隆博さんを含め、この運動の事務局をさまざま担当したメンバー、ボランティア たち20数名が、「ご苦労さん会」を開きました。この会には鈴木さんのご夫人も参加されました。事務局の仕事はたいへんでしたが、みな、良かったという感じを持ったといろいろな意見交換がされました。(左の写真、最左が鈴木一誌さん)     

   『核の力で平和はつくれない――私たちが非核・脱原発を主張する18の理由』

    内容と執筆者名

 質問@ 原発を保持することは、科学立国の証であり、当然な選択ではないのか?

 質問A 核兵器の脅威という現実の中では、核抑止戦略は妥当な選択ではないのか?

 質問B 米国の核によって守られている以上、日本への核兵器配備は、当然ではないのか?

 質問C 北朝鮮のミサイル脅威、中国の軍拡の前に、「非核三原則」はすでに現実性を失っているのではないのか?

 質問D 日本への核攻撃を防ぐのは、米国の「核の傘」しかないのではないか?

 質問E 中国・北朝鮮の日本侵略阻止が米軍基地の存在理由ではないのか?

 質問F 米軍が「事前協議」に反して日本に核兵器を持ち込んだという証拠はあるのか? 

 貸間G 「核兵器なき世界」を呼びかけたオハマ演説の後、世界は核廃絶に向かっているのではないのか?

 質問H 「テロ支援国家」や「テロ組織」に核兵器が渡ることを防くことが緊急の課題ではないか?

 質問I 日本の原発の輸出は経済活動の一環で、核の拡散などとは、まったく関係ないのではないのか? 

 質問J 電力供給のための原子力発電と戦争のための核武装を同一に論じるのは、ためにする議論ではないか?

 質問K 原発は核兵器開発のためだという主張があるが、実際、日本は核武装していないのではないか?

 質問L 核燃料サイクルさえ実現すれば、プルトニウムの兵器転用も核のゴミも解決するのではないか?

 質問M 原子力発電は国策として推進してきたもので、事故の補償は国民全体で負うべきものではないか?

 質問N 原発なしには、二酸化炭素排出の増加を抑えられず、原発にかわる有効な発電システムはないのではないか?

 質問Ol 必要な安全対策を施し、原発を稼働させることは、合理的な考え方ではないか?

 質問P 長期の電力不足を避けるため、「つなぎ」エネルギー源として原発は不可欠ではないのか?

 質問Q 現在の原発システムを解体して新エネルギーを導入するのは無駄ではないか?

 ■執筆者

 浅井 基文(広島市立大学広島平和研究所前所長)

 島川 雅史(立教女学院短期大学教員)

 田浪亜央江(ミーダン=パレスチナ・対話のための広場)

 武藤 一羊(ピープルズ・プラン研究所運営委員)

 山口  響(ピープルズ・プラン研究所)

 山口 幸夫(原子力資料情報室共同代表)

 山崎 久隆(劣化ウラン研究会代表、たんぽぽ舎副代表)