62 とりあえずの報告 (2011年03月19日  掲載)  

 
前号の本欄で、大震災以後の個人的状況についてご報告しましたが、簡単に、以後のとりあえずの報告をいたします。
 福島県楢葉町にいて原発事故でいわき市に避難していた弟は、一昨日、市川市の他の家族たちのいる本拠の家に帰れました。不幸中の幸運で、家族や他の努力があって福島空港から羽田までの座席が入手できたのでした。一緒にいた長男の具合が悪くなっていて心配したのでしたが、とりあえずホッとしています。
 市民の意見30の会・東京の活動としては、3月25日に発送する予定の機関誌『市民の意見』では、緊急に地震・原発事故などの原稿や今後の予定などを最低の部分ですが載せて発送されます。市民意見広告運動も、5月3日の憲法記念日に意見広告掲載は予定通り載せる予定ですが、内容などは緊急に検討します。また、他の友誼運動の市民運動グループと近く、状況検討と被害者への市民レベルでの援助活動の方針を相談する会合が開かれるはずです。これには参加してゆくつもりです。
 私自身としては、近くの私鉄は、計画停電でストップしたり、運行本数が減数したり、ガソリンが入手できず、都心の会合や事務所へ出かけるのが、かなり難しくなっています。明日の日曜には、知人の遺稿集の編集作業の会議があり、代々木の事務所まで車で出かけますが、それ以後、ガソリンの補給がなければ、車は動けなくなるでしょう。
 目茶目茶になった本棚の本は、3日かけてやっと整理して入れることが出来ました。おかげで、見つからずに困っていた旧い本やパンフレットを見つけるという機会にもなったのですが、まだ散らかった雑誌や各機関誌類、書類などは未整理で、かなり手がかかりそうです。
 スーパーやコンビニの食品や生活必要具(電池など)も、依然として入手困難ですが、米・味噌などはある程度もっていますので、三度の食事はなんとか摂れています。