41 退院後のご報告。私的な話ばかり。 (2008年10月22日  掲載)  

 退院後の暮らしのご報告ですが、まったく私的な話ばかりですので、御用とお急ぎのない方のみご覧ください。

 16日に、丸一商事の元社長、谷泰宏さんのお通夜に参加したことは、前号で触れました。連れ合いが長く勤めていたところで、その当時の会社の同僚だった人たちと、ひと時、懐かしく懇談する機会も持てました。

忍野パーティのこと、ソブラニーのカクテイル100’sのこと 
 18日(土)は、旧ベ平連運動の仲間たちが集まる山梨県での「忍野パーティ」に行ってきました。前にも何度か、この集りについては報じたことがありますが、夭折したベ平連の活動家、吉田泰三さんを偲んで、そのお姉さんの吉田和加子さんのお宅(山梨県の忍野村にあります)で、一夜、庭の大きなたき火を囲んで様々な料理やワインなどを楽しみながら懇談する集まりです。毎年、春・秋の2度、開催されてきましたが、今年は吉田泰三さんの十三回忌に当たります。約30人ほど、元ベ平連の仲間たちや、地元で泰三さんを知る人びとが集まりました。泰三さんが存命で、療養中の時から、そのお見舞いをかねて始まった行事なものですから、もう30回目前後になるでしょう。実に長く続いているもので、近ごろ珍しい集まりだと思います。これも吉田さん姉弟お二人の人柄と、ベ平連運動の中のいい人間関係が可能にしているのでしょう。
 私は、親しい知人から、彼が山中湖畔に持っているマンションを自由に使ってもいいと言われていたので、前日の17日から山梨に向かいました。この日は、市民の意見30の会・東京の編集委員会と事務局会議があったのですが、それが終わってからマイカーで山梨に向かいましたので、山中湖についたのは深夜12時少し前になりました。
 なお、この友人は、退院祝いだといって、30の会の事務所に、ソブラニー3種を1カートンづつも届けてくれました。ブラック・ソブラニーについては、以前書きましたが、5色のカラーの巻紙を使った(これも吸い口は金色)ソブラニーの「Cocktail 100’s」(孔雀100’s)は初めてで、ブラックより少し軽いのですが、これも超美味のたばこでした。ますます癖になりそう。(右の写真)
 18日当日は、前から行こうと思っていた山中湖村営の温泉「石割の湯」へ行き、そこでのんびり湯につかった後、忍野村のこれも有名なそば店「天祥園」でぶっかけそばを食べた後、パーティに参加しました。そんなことで、少し遅れ気味だったせいか、吉川さんは中央高速で事故でも起こしたのだろう、という話が出ていたようです。事故でなく、残念でした! 憎まれっ子、世にはばかるのです。
 それよりも何よりも、この数日間、山梨は快晴続きで、18日の朝、マンションの部屋のカーテンを開けた時、上に雪をいただいた富士山が目の前にドカーッと見えたのには一驚しました。
 パーティでは、私は、今月4日にあった小田実さんの文学についての講演会の報告をしました。そして来年の6〜7月に、鶴見俊輔さんを東京に招いて「小田実の組織論」についての講演会を開く予定なので、ぜひ参加のご予定を、と訴えました。1時過ぎまで、よく燃える焚火を囲んで話が弾みました。

山中湖最大のヨットで湖上から富士山を見たこと
 このパーティの席で、明日は富士スバルラインを使って5合目までドライブをするつもりだ、途中の紅葉も見てみたいので……と話していたところ、今年の春のパーティで知り合った地元の山中湖ヨットクラブの椙浦事務局長が、そんなところへ行くより、山中湖最大のヨットを出すから、それで湖上から富士山を眺めたらいい、と誘ってくれました。それでは、と、翌日早起きをして、それに乗せてもらうことにしました。
  19日(日)も、少し雲はありましたが、ときどき富士はすっかり姿を現し、帆を張った大型のヨットに乗っての湖上からの富士は格別でした。湖岸の木々もかなり色づいており、黄色の中に赤が点々と目立ちました。私も途中で一度、舵を握らせてもらいました。撮った写真を送ってくださるというので、到着次第、写真は掲載します。昼食は、地元の人たちの評判のいい家庭的なうどんや「天めん」で、ヨット同乗の3人(いずれもパーティのメンバーであり、ヨットクラブの会員)と一緒に天麩羅うどんなどを味わいました。その中のお一人が、前日そばを食べた天祥園の親戚だ、というのにも驚きました。
 その日の夕刻は、今度は、村営のもう一つの温泉「紅富士の湯」でのんびりし、結局、山中湖畔に3泊することになりました。

富士山五合目までドライブしたこと  
  20日も快晴。帰京する前に、やはり五合目まで行ってみようと思い、スバルラインをたどりました。五合目からの富士山は圧倒的で、こんな間近かに富士を観たのは初めてでした。(左上と、右の写真)。 写真機は忘れてきたので、途中の売店で27枚撮れる「写るんです!」を2,000円で買いました。この3枚はそれで撮ったものの一部です。(今日、近所のスーパーへ行ってみたら、750円で売っていたのでびっくりしました!) 三合目より上に上ると、木々の色づきもきれいでした。ただ、富士山には紅葉類は少なく、黄色が主でしたが……(左の写真)
 なお、スバルラインを走るだけならよかったのですが、五合目の終点に着く少し手前に、「天狗の岩」展望台なるものがあり、駐車場もありましたので、止めてみたのが失敗でした。展望台まで3分という看板につられ、3分なら私でも……と歩いてみることにしました。まずかなり急な下り道が続くのです。下りなものですから、調子よくとんとんと山道を下りました。帰りのことなど、全く念頭になく、です。道は、石が点々と敷かれていて、歩きやすくはなっており、展望も景色も良かったのですが、問題は帰り道でした。急な坂道を登って駐車場まで戻るのが大変な苦労。息は切れ、脚は棒のようになり、最後は10歩歩いては3分、5分と道端の木の根に腰を下ろすというようなことを、7〜8回は繰り返すことになったでしょうか。これはまさに年寄りの冷や水でした。どうやら駐車場まで戻り、五合目の終点へはたどりついたものの、くたくたになっていました。ただ、そこにあった富士山大社小御嶽神社でお賽銭5円を奉納、ついでにおみくじ(100円)を開いたところ、「大吉」とあり、仕事も計画も順調、恋愛・結婚もすべて成就……とあったのにご機嫌となり、交通安全のお守り(1000円)まで買いこみました。
 帰路、談合坂のSAでは、農家が出品しているサトイモやからし菜などを買いました。烏賊と里芋の煮物を作りたくなったものですから……。5時半に帰宅してから、さっそく近くの指圧へ予約の電話。これで、棒のようになった脚も、なんとかほぐしてもらいました。

今日は病院での検査でした。土曜日から沖縄に行きます
 昨日21日は、「今日は10・21(国際反戦デー)だよな、でも、何にもないな」などと思いながら、緑内障の薬を受け取りに近くの眼科医まで行き、「写るんです」の現像・焼き付けを依頼、今日22日は、退院後の検査で、代々木の病院まで行って、血液検査やエコー診断などを受けてきました。結果は来週です。市民の意見30の会・東京の事務所へ寄って、今帰宅し、これを打ち込んでいるところです。昨日、大きな生スルメ烏賊を買ってきてあるので、これから、里芋と煮る料理にかかります。
 土曜日からは、3日間ほど、沖縄に行くことを予定しています。実は、連れ合いの散骨をした慶良間諸島の沖を再訪することを、今年の春、計画していたのですが、肺がんの可能性大と言われ、それなら、沖縄まで行かなくても、もうすぐ直接会えるな、などと思って沖縄行きをキャンセルしたのでした。ところが、幸いなことにか、不幸なことにか、とにかく、肺がんではない可能性も出てきて、その最終決定は、年末の検査まで延期になったので、訪沖をまたも組みなおした次第です。その世話をしてくださる知人、原田隆二さんを含め、かつてのベ平連の仲間3人との4人組の旅になりそうです。慶良間の沖の美しいサンゴ礁が、次第に死滅しつつあるという報道に憂えています。