news-button.gif (992 バイト) 52  高木仁三郎さんの散骨、赤城山麓で (2001/06/24掲載) 

 昨年10月になくなられた高木仁三郎さんは、生前、「遺骨は散骨によって大自然に戻すよう」との希望を言われていたが、4月、その希望通りに群馬県赤城山麓で、夫人の久仁子さんや小中高時代の旧友立ちの手によって、散骨が行なわれた、と久仁子さんからご連絡を頂きました。お便りを頂いてから、だいぶ時間が過ぎてしまいましたが、ここにご報告します。久仁子さんは、「真っ青な空を名物の強い風にのってまいた白い遺灰派軽やかに、さわやかに、大空にとんで行きました。大地にもっどた灰はまた次の命につながっていく、そんな義がします」と書かれています。
 なお、この散骨の模様は、『毎日新聞』に報道されましたので、その記事を以下にご紹介いたします。

 仁三郎さんの使っていた勉強部屋はそっくり、南房総、鴨川市外の「かまねこ庵」へ移されたそうです。かまねこ庵の連絡先: 鴨川市太田学616  電話 0470-93-2850

高木仁三郎さん散骨   赤城山の見える場所に眠りたい……遺言通り遺族が

 日本の脱原発運動の理論的主柱で、昨年10月に62歳で死去した高木仁三郎さんの自然葬が22日、高木さんの故郷・群馬県の赤城山の尾根で行われた。高木さんは、生前「赤城山が見える場所に散骨してほしい」と遺言していた。
 妻久仁子さん(56)らによると、高木さんは高校時代まで前橋市で過ごし、特に市内を一望できる赤城山に愛着を持っていたという。
この日朝から遺族や友人16人が赤城山に登り、尾根の一つの鍋割山(標高1332b)山頂付近の国有林で、遺灰の一部をまいて手を合わせ、故郷を愛した故人の冥福を静かに祈った。
 残りの遺灰は京都府の高木家の墓地に埋葬されたという。久仁子さんは「弁護士と相談し、あらかじめ法的な問題がないことを確認した。仁三郎が心のよりどころにしていた故郷に戻れてよかった」と話している。
 高木さんは市民団体「原子力資料情報室」の代表を長く務め、平和や環境問題などに尽力した人に贈られ「もう一つのノーベル賞」と言われる「ライト・ライブリフッド賞」を1997年に受賞した。
 著名人では作曲家のいずみたくさんが92年6月に相模湾で、女優の沢村貞子さん、ロックミュージシャンのhideさんがそれぞれ海に散骨したほか、海外でも米国の物理学者のアインシュタイン、中国の周恩来首相が川で自然葬を行った。【松尾良、清水憲司】 
 写真は 高木さんの遺灰をまく妻久仁子さん(左)ら遺族  (『毎日新聞』2001年4月23日号)