211  原爆の図丸木美術館企画展「今日の反核反戦展2010」のご案内 (2010/9/07掲載

 9月11日(土)から10月15日(金〉まで、東松山市の原爆の図丸木美術館で、「今日の反核反戦展2010」が開催されます。9月11日には多彩な「オープニング・イベント」が行なわれます。最後に、そのスケジュールが載せてあります。ぜひご参加ください。


2005年以来、毎年(今日の反核反戦展)の企画・呼びかけを行ってきた針生一郎館長が5月26日に逝去されました。享年84歳でした。
針生館長は、今年も例年の通り、皆さまに宛てて〈今日の反核反戦最2010〉の呼びかけ文を書きたいと意欲を持ち続けていました。私たちも最後まで原稿をお持ちしていましたが、残念ながら、結局、果たされないままになってしまいました。
「反核反戦の展覧会は、特定の主義や思想を持つ団体が占有するようなものではいけない。だからこそ、誰でも参加できる丸木美術館の反戦展に意味がある」という趣旨の文章を書きたいとの言葉が、針生館長がく反核反戦展〉について語った最後の言葉になりました。
〈今日の反核反戦霞2010〉は、針生館長を偲び、呼びかけ人を置かずに開催いたします。
諸般の事情により、申し込みの締め切り日など慌ただしいスケジュールになってしまいましたが、ぜひご理解の上、ご出品を検討いただければと思います。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
                      2010年5月 原爆の図九本美術館
 

        
   〈今日の反核反戦展2010アピール〉
                                  池田 龍雄(画家)

 世界中で戦争が絶えない。思えば、人類は太古の昔から連綿と、集団で互いを殺し合う争いを続けてきた。その集団が「国」となったとき、その争いを「戦争」と呼ぶのだ。
 では、戦争は何故起きるのかという問いに対して、うわべだけで答えるのは簡単だが、原因を少し掘り下げてみると、そこには、人類進化の結果、際限もなく異常に膨らんだ欲望や、恐ろしく発達し多様化した感晴などが複雑に絡み合った根があって、“快刀乱麻を断つ”という具合に鮮やかな答えを出すわけにはいかないようだ。
 20世紀は戦争の時代だったと言われる。確かに、あの二度の大戦争の後はすぐに東西の冷戦状態となり、その間にも朝鮮戦争、ベトナム戦争その他、地球上のあちこちで戦火が燃え広がり、そして世紀末、ソ連の社会主義体制が崩壊し、これで冷戦構造は終焉して地球も少しは平穏になるかと思いきや、たちまちあちこちに民族紛争が火を吹き、特に、独り勝ちの超大国となって世界の保安官・警察官を自認するアメリカが、手前勝手な自由と民主主義を振りかざしてそれらの紛争に介入することにより、事態はますます深刻になっていった。
 そして21世紀、おそらく必然的に突発したとも言える、9・11のあの「同時多発テロ」という「事件」によって、その報復という名目の新しい形の戦争「テロとの戦い」が始まったのである。
 「テロとの戦い」と言えばいかにも正義の戦いであるかの如く聞こえるが、さにあらず、アメリカの言語学者のチョムスキーによれば、それもまた「国家テロ」だと位置づけしているのだから、これは、テロルとテロルの対決、ということになるだろう。但し、一方は正規に組織されていない、いわば、見えない相手、片方は、膨大な国家予算で装備された正規軍である。故にこれは「非対称的戦争」とも言われる。その力においても極端にアンバランスだ。にもかかわらず、弱い方が負けるとは限らない戦争、言い換えれば勝ち負けの決まらない戦争である。おそらく、強い方が手を引かない限り終わりはないだろうが、強いアメリカ――産軍一体の軍事大国アメリカ――としては、おのれの国益、その世界戦略のためにも、おいそれと手を引く様子は見えない。そしてそのアメリカの尻に日本はぶら下がっているのである。
 即ち21世紀の戦争は、遂にこのように始末の悪い形態になってしまったのだ。しかもそこに使われる武器は前世紀とは比較にならぬほど残忍非道な進化を遂げ、その殺傷力は戦闘員・非戦闘員の区別なく、かつてない非人間的非情さの極みに達している。そしてその影響は今やグローバル化した人類全体・地球全体にも及ぶのだ。だから、いやしくも平和を希む者ならば断じて戦争を許すわけにはいかない。如何なる戦争も、テロと同列同様の絶対悪である。だから絶対に反対しなければならないのだ。
 しかし、いかに反対しようとも、戦争はいっこうに無くならないではないか!反対したってしようがない、と、そう思っている人も多い。まことにそのとおりだ。例えば、ペンは(絵筆は)剣よりも強し、などという言葉もあるが、実際には、一発の銃弾は、画布など造作なく突き破ってしまうのだから、芸術は物理的暴力(戦争)に対して極めて非力であることは確かだ。けれども、だからといってそのことは、芸術が全く無力であることを意味しない。画布は、たとえ銃弾で突き破られてもそれで中身である絵が死ぬことにはならないからだ。絵は、心が生み出したもの、即ち表現された「もの」であって、ただの「物」ではないのである。「戦争反対」もまた、切実に発する心の叫びであり意志の表現だ。だから、その意志がすんなり通らなくとも――つまり、この地上から戦火が消えなくとも――それならばなおのこと執拗に、その表現は続けなければならないことになる。
 但し、ここに言う「表現」は、反戦の意志や気持ちを、そのまま作品のテーマとして表したものだけとは限らない、と、わたしは考えている。重要なのは反戦の意志の強さ。この展覧会は、作品の品評をしてその優劣を定める場ではなく、参加することによって反核反戦の意志を示し、平和を望む心を表明する場、その熱い心の声を上げる場なのだ。
 クーベルタンのオリンピックではないが、これは先ず何よりも、参加することに意義がある展覧会、戦争を嫌い平和を愛する人々の全てに広く開かれている展覧会である。
 どうか、ためらうことなく参集されたい。集まって高く声を上げよう、平和の声を。

※早くからこの「反戦展」を企画し先導してこられた針生一郎氏が亡くなられました。その遺志を引き継いで、今回、急遽わたしがこの文を草しました。積極的なご参加よろしくお願い致します。

  左の図の特別出品このほか、全部で90点の出品の氏名と作品の写真も展示されていますので、次をクリップでご覧ください。http://www.aya.or.jp/~marukimsn/kikaku/2010/hansen/2010hansen.html 

オープニング・イベント
月11日[土]
午前10時〜午後6時
講演とパフォーマンス
10:00〜11:00 講演:針生一郎館長を偲ぶ 1
大浦信行(現代美術家・映画監督)
11:00〜12:00 講演:針生一郎館長を偲ぶ 2
池田龍雄(画家)
12:30〜13:30 オープニング・パーティ
13:30〜14:00 パフォーマンス1 会場:2階展示室
“ひめゆり”を偲んで
 作曲:ロクリアン正岡、演奏:山内達哉(バイオリン)
奈良幸琥「白き龍に捧ぐ」―老女というもの―
 作曲:ロクリアン正岡、演奏:山内達哉(バイオリン)、
 永井由比(アルトフルート)
14:00〜14:30 パフォーマンス2 会場:2階展示室
宗方勝(身体表現)
14:30〜15:00 パフォーマンス3 会場:観音堂前広場
星野暁子(詩の朗読)
15:00〜15:30 パフォーマンス4 会場:観音堂前広場
「a manifold日本初公演」(ライブペイント)
出演:大山結子(うさぎ組)・増山麗奈(桃色ゲリラ)
    佐々木裕司(受身絵画)
作曲:小森俊明「地/血の考古学」(初演)
演奏:小森陽子(ヴァイオリン) ほか
曲目:バッハ「クーラント」 ほか
15:30〜16:00 パフォーマンス5 会場:観音堂前広場
村田訓吉(パフォーマンス)
16:00〜16:30 パフォーマンス6 会場:野木庵
フォークグループあじさい(コンサート)
 
16:30〜17:00 パフォーマンス7 会場:2階展示室
南阿豆(ダンス:67億人の涙雨)
17:00〜17:30 パフォーマンス8 会場:2階展示室
黒田オサム(踊り)
17:30〜18:00 記録映像上映 会場:野木庵
田中聡
(針生一郎トーク、
 2010年3月27日高田馬場BABACHOPシアター)