4. 当時の痛ましき場所は 

The Painful Place at That Time

 

 1975年の春、21年もの間続いた戦争が終了した。ソンミは、この国 のすべてとともに、平和と統一の大きな喜びにひたった。しかしながら、未解決の問題は数多く残されていた。戦争によって、ソンミ村は深刻な打撃を蒙っていた。膨大な面積の耕地は荒れ果てた森林と化し、住民たちは戦争の影響に大変な苦しみを受けており、何の手段もないまま、生活の再建に当たらねばならなかった。彼らは、まず灌漑システム、漁業用の船の建設 、イグサの栽培、学校や保健センターの建築などからとりかかった。彼らの受けた傷はなお激しく痛んでいたが、本来の勤勉さと、政府の援助によって、ソンミは、自分たちの故郷の村の再建に全力を傾けた。[左の写真:どこにでもある穏やかな田園風景]
  そうした難しい状況の下では、全世界の人びとと同じく、すべてのベトナム人民の心に深く宿っている苦痛を検証することが必要であり、緊急になすべきことであった。戦争が終了して1年後、ソンミ大虐殺から8年後の1976年、カリーとその部下たちが170人の罪なき民間人を虐殺した溝の近くに、多くの遺跡と博物館を含めた「ソンミ事件遺跡地区」[the Son My Vestige Area] が設けられた。後、この地区には、記念碑(本パンフレットの表紙の写真)が建てられるなど、何度も手を加えられて整備が進んだ。[
右の写真、上:ソンミ遺跡地区の全景。下:外国からのソンミ訪問者
 現在では、ソンミの遺跡地区を訪れ、記念碑を目にするならば、当時のソンミ村民たちが受けた大変な苦痛を十分に理解することができるようになっている。今、花が咲き乱れ、木陰も豊になっている遺跡地区は、かつては竹林が生い茂り、水牛の足跡がしるされた道が続く居住地であった。すぐそばの水をたたえた溝は、カリーとその部下たちが何百という無辜の村民を殺害した場所である。博物館に入れば、来訪者は、弾丸による多くの傷痕のついているトレーだとか、壊れた皿、食事の残り物、ドクさんの夫がかぶっていた円錐形のプラスチックの帽子、虐殺された夫のためにドクさんが着た喪服等々、大虐殺のあとに残された多くの品々を目にすることが出来る。そのほかにも、同じような思い出を潜めた多くの品々がある。たとえば、殺されたある少女が身に着けていた衣類や履物、壊れた皿や丼や鍋。仏教僧のチク・タム・トリ[Thich Tam Tri] が使っていた木魚と、彼自身の写真1葉。もう一つ目を引くものとしては、あの大虐殺の中でハーバールが撮った写真の中の少女の一人と思われるグエン・チ・フイン {Nguyen Thi Huynh] のものだったヘア・ピンがある。フインは当時20歳前後だった。彼女の男友達が、フインが殺されたあと、このヘア・ピンを見つけ、8年の間、ずっと大事にしまってきていたのだが、博物館が出来たとき、彼はそれを博物館に贈ったのだった。訪問者に、504人の犠牲者の生と死とを語りかけるこうした品々のほかにも、地図や見取り図、説明文、ハーバールの撮った写真などがあり、見る人びとの心に今も強い印象を与えてくれる。[
左の写真 上:一度に170人が殺された場所の溝。下:ソンミ記念日の前に立つ元米軍兵士。]
 遺跡地区の周辺では、無辜の人びとが殺されたいくつかの場所ごとに、石碑が建てられているのを見ることができる。たとえば、トゥアン・イェン [Thuan Yen] 集落に至る小道の傍、村の外れにある監視塔は、102人の村民が殺された場所である。また、その監視塔からそれほど遠くないところには、1本のケポック(パンヤノキ)が立っているが、そこは15人の女性と子どもたちが殺された場所だ。米兵たちによって性的な暴行を受け、そのあと燃える炎の中に投げ込まれて殺されたパム・チ・ムイ [Pham thi Mui] さんの家の庭には、そこで殺され、埋められた11人の人びとに捧げられた石碑がある。さらに、訪問者は、米兵がフオン・ト [Huong Tho] さんを投げ込み、そのあと手榴弾を放り込んで殺した井戸も、当時のまま見ることができる。現在でも、この大虐殺による苦痛は、豊な竹林の陰にある平和な村落の人びとの心の中に、なお鋭く残っているのである。
 コ・ルイ集落のミ・ホイ小集落は、椰子の木が生い茂り、近くには青い海が広がって、波が金色の海岸に打ち寄せ、ベトナムでも有数な美しい場所として知られているが、そこにも石碑が建てられ、大虐殺で殺された97人の民間人のことを伝えている。
 ベトナムの中の一小村、ソンミは、ベトナムと全世界のすべての人びとに向けて、今もたえず、良心の呼びかけを発している。事実、「ソンミ遺跡地区」が設けられた日以来、全世界から、何万、何十万という人びとがここを訪ねてきており、その数は日を追うごとに増え続けている。訪問者には、一般の人びとだけでなく、実業家、大手の通信社やラジオ・テレビ会社のジャーナリスト、社会活動家なども含まれている。とりわけ、ソンミを訪ねるアメリカ人の数が増えており、戦争の中で自分たちの国の政府と軍隊が引き起こした苦痛について、ベトナム人民への深い同情の念を表明している。多くの元アメリカ軍兵士が、記念碑の前に線香を捧げ、使者の魂の前に頭を垂れ、自分たちや仲間の兵士が行なった行為への悔恨の念を噛みしめている。[
右の写真 上:ソンミ事件30周年にあたる1998年3月16日、504人が虐殺されたことを祈念する式典。下:ソンミ大虐殺の中で、何人かの村民の命を救った2人の元米兵、ヒュー・トンプソン(左)とラリー・コルバーン(右)は、この式典の際に、ソンミを再訪し、挨拶を のべた。]

 そして、ナチの絞首台のもとで、ユリウス・フーチクが叫んだあの呼びかけを、ソンミは、いまなお、響かせているように思えるのだ。
 「すべての人類よ、警戒を怠るな!」と。

(終り)

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