news-button.gif (992 バイト) 48 この反戦の意思の広がりを世界を律する規範に――これまでの意見広告運動を振りかえって ( 『市民の意見30の会・東京ニュース』 No.78  2003.6.1)   (2003/06/03搭載)  

 これまで、ずいぶんいろいろな意見広告運動にかかわってきた。しかし、今度のイラク反戦・有事立法反対の意見広告運動ほど、反戦の意思の広がりを感じたことはなかった。運動が呼びかけられてから実際に掲載されるまでの賛同基金の集まり方のすごい早さにそれは示されている。FAXとインターネットという新しい通信手段が大いにプラスしたことももちろんだが、しかし、それだけではなく、人びとのあいだに、アメリカの非道ぶりへの憤激と、小泉政権のそれへの無条件追随、そして強引な有事法制準備への危惧が広範にひろがっており、意思表示の機会が強く待ち望まれていたということを示すものだろう。

 日本の反戦運動が、新聞意見広告を最初に出したのは、一九六五年一一月一六日、当時のベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)が、アメリカの『ニューヨーク・タイムズ』紙に載せたベトナム反戦の全面広告だった。このころは、まだ意見広告ということがほとんど知られておらず、掲載されたときは、日本の中でも大きな反響を呼んだのだったが、それにしても、これを呼びかけた作家の故開高健さんが、ベ平連の初代事務局長だった映画プロデューサーの久保圭之介さんと、仕事を放り出して駆け回り、掲載に必要な二五〇万円を集めるのに四ヶ月間を必要とした。当時、なぜメリカの新聞に出すのだ、まず日本の新聞に出したらどうだ、というような意見が寄せられたが、その頃、日本の商業紙は、政治的な宣伝に使われる恐れのあるものに公共の紙面は提供できないとして、意見広告というものを受け付けていなかった。日本の新聞で一番最初に出た意見広告に近いものは、一九六七年の一一月一六日、長野県の「ベトナム戦争終日研究会」が集会案内の形をとって、全面広告ではなかったが『信濃毎日新聞』に載せたものだったろう。今では、各紙とも掲載するようにはなっているが、アメリカの新聞に比べると、日本のマスコミの意見広告への理解はほとんどないといっていい。電気、石油、自動車など巨大産業や大出版社の広告は、定期的に掲載するからという理由で大幅な割引率が適用されるのに対して、市民の意見広告などは臨時の単発ものだからと規定料金が請求され、割引交渉は容易ではない。アメリカでは逆だ。意見広告は歓迎され優遇措置がとられている。それに、アメリカの新聞は基本的にローカル紙的性格のものだから、日本の全国商業紙に比べて発行部数が少なく、広告費用は日本のそれの十分の一以下ですむ。さらに、PMC(パブリック・メディア・センター)のような大きな市民運動が、マイノリティー・グループや弱者の団体の意見広告運動を支援し、場合によっては、紙面のレイアウトから手続き一切を無料で引き受けることもある。いかに発行部数が多いとはいえ、日本の新聞への意見広告料金は一千万から二千万円を要し、あまりにも高すぎる。しかし、当の新聞社の政治部なり社会部のデスクでさえ、こうした自社の意見広告料金の額など知らないのではないだろうか。理解はほとんどないといっていい。

 日本の市民運動が二度目に出した全面意見広告は、一九六七年四月三日に、やはりベ平連がアメリカ『ワシントン・ポスト』紙に載せたベトナム反戦広告だった。今回の意見広告のデザインに使われた「殺すな」の文字は、このときの広告のために、故岡本太郎さんが書いたものだった。この日本語のデザインは大きな衝撃力を持った。のち、和田誠さんのデザインでバッジにもなり、「殺すなバッジ」として全国で数万の人びとがこれをつけた。政治活動を禁止された高校生や中学生にとっては、これをつけて登校することが、反戦の活動となった。このときの費用は一五〇万円だったが、それを集めるのには1年半の期間を要したのだった。

 その後、一九九一年に、湾岸戦争反対の意見広告を『ニューヨーク・タイムズ』に出したときは、三ヶ月間で九〇一万円が集まった。また、一九九五年八月一五日に、『朝日新聞』に出した「戦後50年・市民の不戦宣言」の意見広告運動では、八ヶ月間で一一八九万が集まった(このときの広告は全面ではなく、七段広告)。

これらに比べて、今回の意見広告では、呼びかけが出されてから約一ヶ月半で九四〇万円が集まったというスピードは、格段の違いだった。有事法制の国会通過が迫っていたため、掲載を五月はじめに決定し、そのため、『朝日新聞』の半額近くの広告料の『毎日』への掲載となったのだが、あと半月早くこれが呼びかけられていたなら、二千万の募金目標に届き、『朝日』の全国版にも掲載は可能だったと思われる。

 私たちの意見広告以外にも、イラク反戦の意見広告は、これまで全国紙にいくつも掲載された。グリーン・ピースの広告や、女性たちだけの呼びかけによる全面広告、あるいは社会科学者による意見広告(これは七段)などだが、いずれも短期間のうちに巨額な募金が寄せられている。今回のイラク攻撃に対する反対の声がいかに強かったかの例証の一つだろう。

 意見広告というものへの無理解、あるいは誤解は、当のマスコミだけに限らない。いつでもそうだし今回もそうだったのだが、千万だの二千万だのという巨額な金を使って、ろくな報道をしていないマス・メディア産業を儲けさせることはない、それよりも現地の被災者への救援活動に使うなどもっと有効な使い方があるはずだ、といった種類の意見が運動の中からも寄せられる。このことについては、本意見広告運動のホームページに井上澄夫さんが詳しい反論の文章を載せているので、ご覧になる手段をお持ちの方はぜひお読みくださるようお勧めするが、簡単に言えば、こうした意見は、意見広告運動の意義をまったく理解していないということだ。今、手元に一千万なり二千万の金があって、それをどう使おうか、という問題では全然ない。資金がないところから、チラシを作り、それを送ったり、撒いたり、FAXやメールを使って広く人々に訴えかけ、千円、二千円の寄金を求めてゆく、そしてその間に、イラク戦争や有事法制の問題点が人びとに伝えられ、議論も起こってゆく、その過程が重要なのだ。それに、今回の意見広告運動では重点を置いたのだが、障害をかかえていたり、老齢や病弱、あるいは介護などといった条件で、集会やデモなどの行動に出られないが、反戦の意思は人一倍強い、それを何とかして表現できないか、そう思っている人びとに、その声を目に見える形にして出す機会を提供するという側面がある。事実、今度の運動の呼びかけ団体には、「全障連」や「障害者インター日本事務局」などのグループが加わり、賛同金を寄せられた人びとの中からは、「反戦の意思表示ができる機会がほしかった。ありがたかった」という意見も多く寄せられている。

 鈴木一誌さんの見事な紙面デザインともあいまって、今回の意見広告はたいへん好評で、成功したと言っていいだろう。広告の中の文章ものべているが、「力こそ正義」というアメリカ政府などの論理と、国際的な約束事をことごとく踏みにじって行なわれた戦争の結果を既成事実化することなく、この間に示された巨大な世界の反戦の声をこそ、今後の世界を律してゆく規範としなければならないだろう。「殺すな」

 (この意見広告運動の経過や、寄せられた反響などの詳細は、そのホームページ http://www.ikenkoukoku.jp に掲載されている。また、これまでの意見広告運動については、次の文献を参照してほしい。(1)市民の意見30の会・東京編『「アメリカは正しい」か――湾岸戦争をめぐる日米市民の対話』(第三書館) (2)「戦後50年・市民の不戦宣言」意見広告運動編『〈戦後50年〉あらためて不戦でいこう!』(社会評論社)  (1)は、定価二七七〇円を市民の意見30の会・東京で、千円+送料で割引販売中)
( 『市民の意見30の会・東京ニュース』 No.78  2003.6.1)