globul1d.gif (92 バイト) 18 『論座』3月号の小論と関連ある議論について(9)――天野恵一・「反戦の原点を忘れた「非戦」とは何か――小林正弥氏の「平和」運動論批判――」(2004年10月19日掲載) 

以下は、『市民の意見30の会・東京ニュース』No.86(2004年10月1日号)に掲載された天野恵一さんの論文だが、これまでの論争と直接関連するので天野さんの了承を得て、 転載する。

反戦の原点を忘れた「非戦」とは何か――小林正弥氏の「平和」運動論批判――

天 野  恵 一

 四月一一日に開かれた公開討論会「デモか、パレードか、ピースウォークか――世代間対話の試み」の一部分が、ずいぶん要約整理された形のやりとりとして『世界』(別冊「もしも憲法9条が変えられてしまったら」)に収められた(半分以下に縮小された記録だということは、どこにも書かれていない)。
 私も発言者の一人(ほかには吉川勇一、小林一郎、小林正弥が発言者――以下敬称略)であるが、その記録は、なんとも中途半端なものである。特に、イラクで三人の「人質」が解放されるか否かという、いそがしい状況の渦中であり、国会行動のため途中退席せざるをえなかった私の発言は、論議をまるごとパスしているので、ひどくおさまりがわるい(この点は自分の都合だったので、誰にも文句のいいようはないのだが)。
 私は、この集まりの主催者「平和公共ネットワーク」の「小林正弥さんの主張には原則的なところで賛成できません」と語ったのみで、消えてしまっている。この集まりは、私が参加をOKしてから、主催団体が変わり、その理由も私によく理解できないまま持たれたという経過があったとはいえ、ずいぶん彼に失礼な話であった。
 小林は、『わだつみのこえ』
No.120(二〇〇四年七月一五日号)で、ここでの論点をもふまえて、より整理した主張を展開している(「非戦の原点に戻って平和主義の再生を――『平和への結集』の訴え」)。そこで、この論文を中心に、彼の主張のどのような点が私には賛成できないのかを、ここで具体的に論じさせていただくことにする。 

  ▼ ○×二項対立の言語群 ▲ 

 個々の具体的主張への批判や疑問を一つ一つ書いていくとキリがない感じなので、まず彼の主張の全体を貫くものを問題にしたい。『世界』の要約記録の発言と『わだつみのこえ』の論文、そして『非戦の哲学』(ちくま新書・二〇〇三年)の三つの小林の主張でトータルに共通しているのは、非常に単純な○と×の二項対立の言語群の存在である。
 まず○の言葉は、「明るい」(希望・ビジョン)「若い」「精神性」「文化」「被害」(者)「非戦・和戦」。これと対応する×の言葉は、「暗い」「高齢」「経済」(決定論)「マルクス主義」「加害」(責任)、「反権力・反戦」である。この×の左翼平和運動を、○の「非戦」の平和運動へ転換させ、九条明文改憲に反対する「平和への結集」へ、と彼は呼びかけているのだ。
 

▼ 被害と加害の単純な分離 ▲ 

 「加害者責任の過度の強調」が平和運動を暗くしてきたと論じる小林は、「戦争被害の深刻さという普遍的な原点の訴え」、「戦争の悲惨さは普遍的だから、日本のかつての加害者責任よりも先に、『反テロ』世界戦争を軸に戦争の悲惨さそのものを訴える」(「非戦の原点に戻って平和主義の再生を」)と論じている。討論会でも「被害にせよ、加害にせよ、戦争で人が死ぬ」ことの悲惨さを訴えることこそ大切と発言しているが、イラクの人びとの死と悲惨を訴える際には、そのアメリカ中心の侵略に日本も加担していること、その悲惨をつくりだす加害者であることを訴えることが大切なはずである。この間の若い人びとの平和運動への大量な参加という事態をつくりだしたのも、日本の参戦(加害国家化)への広い怒りと焦りが、それなりに若い人びとにも共有されたからではないか。だとすると加害者責任を問う運動は「暗く」広がらない、だからもっぱら被害者の問題をという主張はそれほど根拠がない。
 加害の強調が被害の問題を忘れさせてきたとも小林は論じているが、戦争による死・被害の悲惨というベースを平和運動の原点として置くのであれば、それが過去(古い)の戦争の悲惨であるか現在(新しい)のものか、日本人が被害者であるか加害者であるかで優先順位をつける必要などないはずである。どちらの関心からだって「平和」の課題には入っていけるはずだ。そして、それは一人の人間の中でいつまでも別々のものであるわけではあるまい。二項(○×の)図式と言語は、問題を単純化することで、事実認識をくもらせているだけではないか。そして、例えばイラクでバタバタ子どもたちが死んでいる劣化ウラン弾の戦争被害を直視する「明るい」平和運動なんてのは不自然だろう。「暗い」気持ちであたりまえではないか。だから、「暗い」気持ちが運動のエネルギー源になることだって、いくらでもあるだろう。だいたい、若者文化に無条件にこびるなんていうのは、つまらない「老人」のよくやることである。だから、あれか、これかという二項図式は、まったくいただけない。
 だいたい、経済決定論的マルクス主義を批判し、「精神性」の意味を強調し、「文化」の革命をこそという運動が噴出したのが、小林が「内ゲバ」にいたる「暗いマルクス主義運動」的なものと否定的に一括している六〇年代末からの、全共闘・ベ平連運動なども含む「新左翼」運動の中においてであったことは、運動史上の常識ではないか。
 この図式(イメージ言語)は、あたりまえの運動史の事実を無視することで成立している。
 

 ▼ 古い「左翼インテリ」的体質 ▲

 この混乱した二項○×図式とともに、小林の主張の理解しがたい性格は、次のような論理によく示されている。
 「勿論、日本の戦争責任や加害者責任も然るべき場では論じる必要があるので、いわば二段階の方法を取ればよいだろう。一般向けにはまず広くわかりやすくして現在進行中の戦争を取り上げ、平和運動に深い関心を持つ人を対象にする場合には、深く正しく日本の問題も直視して議論すべきである」(同前)。
 運動を論ずる○×二項図式に、大衆「一般」と深く正しく問題を理解するインテリの「二段階」の認識の水準を差別的に区別する、アカデミズム・インテリの気持の悪い心情と論理がベッタリと張りついているのだ。
 この点は、『世界』の要約記録で、すでに吉川が、「自分の意見を、一般の人には隠して言わない、あるいはそれは学者の論議することだ、という」「二元論」に反対と主張しており、さらに、花崎皋平は、小林の「自分が民衆でない、民衆を教えみちびく学識豊かな知識人だという口ぶり」は「為政者とおなじ視座」に立っていると、強い批判の言葉を投げかけている(「『公共哲学』と『温和な平和主義』の思想をめぐって」本誌前号)。
 ここに、つけくわえておきたいのは、こうした小林の発想こそ、かつての古くさい伝統的「左翼インテリ」の体質であり、この体質への全面的対決として、かつての大学闘争(全共闘運動)はあったのだという事実である。
 

▼ 「大きな物語」のもたらす悲惨さ ▲ 

 ついでに。
 「そもそも、マルクス主義の誤謬は、史的唯物論や労働価値説、さらには国家論、運動論などにあるのであって、『大きな物語』を語ったことにあるのではない」(同前)。
 こういう主張を前提に、自分たちの「平和公共哲学」は、マルクス主義とは別の「大きな物語」なのだと語る小林は、「政権を獲得し、権力を善用して平和を実現する」(同前)などと明るく論じている。こうした小林のマルクス主義批判の底の浅さぶりは、私を「暗い」気持に落ちこませる。
 共産主義革命は歴史の必然であるとする、ヘーゲル・マルクス主義の目的論的歴史観・法則の実在論を前提とする「大きな物語」がどれだけの災禍を民衆にもたらしたか、プロレタリア独裁によって権力を平和と革命のために「善用」しようとしたレーニンのボルシェビキが、どれだけ悲惨で恐るべき収容所列島をつくりだしてしまったか、こうした歴史的事実についてまともに小林は向きあってきたのか。彼のまったく古くさい古典左翼的感性の、どこが「新しい」といえるのか。
 

 ▼ 「幅広イズム」=少数意見排除の論法――自衛隊合憲論―― ▲ 

 最後に、「非武装平和主義」=自衛隊違憲論を自衛隊合憲論(「専守防衛自衛隊肯定」)に積極的に転換し、それを前提に自衛隊の海外派兵に反対するという「非戦」の理念の大きな土俵への合流で、明文改憲に反対する運動に勝利しようという小林の運動論について。
 非武装平和主義では多数派になれない、と小林は強調し、侵略され敵にピストルを突きつけられても「自分が死んでも相手は殺さない」という非武装平和主義は「通常の人間」には選択できない立場だと、自分でも話を単純化しすぎているが、とことわりながら論じている(同前)。
 これに対しては奥平康弘の、侵略されたら困るだろうという憲法改正論者のクリーシェへの回答を紹介しておこう。
 「『非現実的な現実』を相手方に無理矢理呑ませておいて、いきなり『それでは困るぞ』という陥し穴に落ち込む仕掛けになっている。発想が貧困・単純で、ここには、〈平和的な状況をみんなして創り上げてゆこう〉、〈そのためには優先順位第一に何がなされるべきかをキチンと考えよう〉といった積極的な視点がまったく欠けている」(「『憲法物語』を紡ぎつづけるために」『世界』別冊「もしも憲法九条が変えられてしまったら」)。
 国家の非武装という思想はまったくの無抵抗主義以上の立場も含まれているという事実をもふまえ、私たちは小林の「仕掛け」にひっかかるわけにはいかない。『非戦の哲学』を含めて小林の自衛隊肯定論は、事実上の巨大な軍隊が存在してしまうこと自体がもたらすマイナスについての検証がまったく欠落している。軍人のシステム・基地・軍需産業・他国との軍事同盟(日米安保条約)・人権侵害を必然化する「軍事法」。こういうものが存在し、力を持ってくることで戦争への衝動がつくりだされていることは、歴史体験的事実である。

テキスト ボックス: カット:鷺谷眞理子 自衛隊の肯定は、こうしたものをまるごと容認していく通路である。戦争をしない国家とは、そうしたものをすべて容認しないことによって可能だというのが九条の理念(思想)である。これを放棄してはならないというのが戦後の平和運動の中核に存在した思想であったはずだ。現実的に自衛隊の動きを拘束していた力の源泉はこの理念と行動だったはずである。これを放棄し、権力の今までの解釈改憲の論理(自衛隊合憲論)に立たなければ改憲は阻止できない、非武装平和主義は改憲反対運動の勝利の足を引っぱるものだと、小林は力説する。非武装平和論は「明文改憲」に論拠を与えてしまうというのだ。この論法は、古典左翼の伝統的幅広イズム=少数意見排除の論法である。自衛隊の海外派兵反対の一点で、大同団結といいながら、こういう批判は公然と主張しているのだ。
 これには、海外派兵へ向かう日本の国家にもっとも根本的なところで抗い続けてきた思想と行動の放棄を要求する「非戦・平和運動」というのは、いったい何なのだ、と問いかえすしかあるまい。
(あまの・やすかず、派兵チェック編集委員会)

(『市民の意見30の会・東京ニュース』No.86 に掲載)

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