9 連れ合いに聞かせたかった講演のテープと フランク・永井(注)の歌 (2005年06月11日 掲載)  
              
  (注)最初、私の思い違いで、フランク・永井のうたったものをディック・ミネと書いていました。途中で気づいて訂正しました。)

  今日は、プライベートな、いささか、だらしない愚痴っぽい感想を書かせていただきます。連れ合いの祐子が6月7日に死去したこと、葬儀が9日にあったことは、「ニュース」欄の No.129 や、「ご案内」欄の No.153 に記しました。それと関連した思いを書くことにします。

 葬儀は昨日終わり、その晩は、兄弟や親族、友人などが遅くまで付き合ってくれましたが、今日(10日)は、骨壷の連れ合いと二人だけの日になりました。片付け仕事などはいっぱいあるのですが、手につかず、午後からは、なくなったコピー用紙の補充の買い物をした後、市民運動の友人との相談の集まりに出て、夜は『市民の意見30の会・東京ニュース』の編集委員会の会合に出てきました。一人でいると、いろいろな感慨がわいてきて、ちょっとつらく、何か仕事をしていたかったのです。その仲間たちと遅い夕食を一緒にとって別れたあと、帰宅したのは日付が変わる少し前でした。メールを開くと、何人かの知人から、お悔やみやお見舞いの言葉が届いていました。そして今、ホームページの更新の仕事を始めることにしました。ものを書いていれば、その間は、それに集中できるからです。
 昨日の(正確には、もう「一昨日の」と書くべきなのですが)葬儀の際のご挨拶では、お話できなかったことを、ご紹介することにします。いささか心残りのすることがあるものですから……。

 連れ合いが生きている間に聞かせたかったが、聞かせられなかったものが二つあります。一つは、4月10日の講演会の録音テープです。そのときのなだ・いなださんの講演は、私の手元に来ていたMDで聞けて、祐子は、なださんの肉声を初めて聞いたといって喜んでいました。しかし、それに一緒に録音されていた鶴見俊輔さんの講演は、ちょっと音が小さくて、彼女には聞き取れませんでした。私は、「この講演じゃ、俊輔さんは、『この世で信頼できる人間はオレ一人、吉川だけだ』って話してるんだぞ」といいますと、「嘘だーッ」と言うのです。すでに、この講演は、『市民の意見30の会・東京ニュース』の最新号に全部印刷されているのですが、私には、『朝日新聞』の主要な記事を朗読してやるのが精一杯で、この『ニュース』まで読み上げて聞かせる時間的余裕がなく、「そのうち、もっとはっきり録音されているカセットテープが届くから、それで聞いたらいい、鶴見さんは本当に、そう話したんだから……」と伝えたのでした。しかし、そのテープが届く前に、彼女は他界することになってしまいました。
 死んだ葦津珍彦と私の二人だけしか信頼しないという、この鶴見さんの話自体、どこまでが本当で、実際は何をおっしゃりたかったのか、よくわからない奇妙な話で、そこは印刷の際、削除していいですね、と鶴見さんに頼んだのですが、絶対に削ることはダメ、と言われて、載せた部分でした。しかし、連れ合いにそこを聞かせて、半分でも信用されれば、もう少しは、私への評価が高くなるかな、などと考えたからなのですが、それは果たせずに終わりました。

 もうひとつ、聞かせたかったのは、歌でした。かなり流行った歌ですから、ご存知の方も多いと思いますが、岩谷時子の作詞で吉田正作曲、フランク・永井が歌った『おまえに』という1972年の歌です。歌詞は、「そばにいてくれる だけでいい    だまっていても いいんだよ    ぼくのほころび 縫えるのは おなじ心の 傷をもつ   おまえのほかに 誰もない    そばにいてくれる だけでいいというものです。評判になった頃は、私は、あまり関心ももたず、ただ、よく耳にしたので、メロディも歌詞の一部も耳に残っていたものでした。
  しかし、彼女が目がほとんど見えなくなり、三度の食事の準備や月に何度かある病院通いの付き添い、さらには手足の爪きりとか、シーツの取替え等、私がやるようになってからは、私は、彼女が、それをどれくらい、心の負担と思っているかが心配でな ってきました。割と率直に、あれをしてくれ、これをしてくれ、と私に頼むのですが、そのタイミングは難しかったと思います。こっちが今何をしているかが、よく見えないからわからないのですし、ましてや、私の表情などが読み取れないものですから、こっちが必死で家計簿の計算など、眉を寄せて頭をひねっているときでも、「ちょっと頼みがあるんだけど」と話しかけてきます。私はつい、「今はダメ、必死なのッ。あとで!」などと怒鳴ってしまいます。彼女はちょっと悲しそうな顔をして黙ってしまいます。あとで、悪かったな、謝らねばな、などと思うのですが、なかなか、 それが言葉に出ません。でも、私のそんな気持ちをわかってほしいな、いや、判ってくれているんだろうな、などと、あれこれ考え込みます。
 つい最近のことなのですが、、このフランク・永井の歌がフッと頭に浮かんだのです。そして口の中で歌ってみると、今度は、この歌を非常な共感をもって受け止められたのです。そして、半分は冗談めかしてでないと言えないと は思ったのですが、「この歌、俺たちにぴったしなんだゾ」って言って聞かせてみたらどうだろう、などと考えたのです。私は、この歌のCDを注文しました。しかし、このCDの到着も、彼女の死後になり、聞かせることは出来ませんでした。「おなじ心の傷をもつ」という 部分の歌詞は、ぴったしとは言えないのですが、「そばにいてくれる だけでいい だまっていても いいんだよ」という言葉は、今、ほんとうに彼女に伝えたいことなのです。この部分は、CDを聞いても、一人で口ずさんでも、どうしても涙が出てきてしかたがないのです。

 愚痴にお付き合いくださいまして、ありがとうございました。もう、午前3時50分。眠れることでしょう。