8 阪神淡路大震災10周年に際して (2005年01月18日記)

 昨日は阪神淡路大震災の10周年の日でした。マスコミには、それに関連する報道記事があふれました。しかし、想起すべき重要なことでありながら、マスコミではまったく触れられていないことがありました。 私も賛同・参加した市民=議員立法運動の問題です。
 昨日届いた、西宮の小田実さんからの手紙を少し引用します。『朝日』、『毎日』の関西版に載った小田さんの原稿や記事のコピーとともにFAXで送られてきたものです。私信ではありますが、諒解してくれると思いますので……。

……吉川さん、以下、震災十周年にかかわっての一文、記事など送ります。アサヒもマイニチも、大阪で出ても東京には出ません。最後の本岡氏のメッセージは、今日の会()のためのものですが、彼の怒りがよくこもっています。大震災関連の報道で、いちばん無視されてきたのが、「市民=議員立法」運動です。私たちが動かなかったら、まだなんの「公的援助」はなされていないにちがいないのだが――。(後略)
 (吉川注 「今日の会」とは、17日の午後6時から、芦屋市の「山村サロン」で開かれた「市民=議員立法実現推進本部」主催の集会、「震災10年 市民=議員立法総括 そして『災害基本法』へ」のことを指します。この集会には、小田さんのほか、伊賀興一、大沢たつみ、鎌田慧、照屋寛徳、中島絢子、早川和男、山下芳生、山村雅治さんらも参加、発言したはずです。)

 この手紙とともに、『朝日』の大阪本社版の「私の視点」欄に昨日掲載された小田さんの文章と、同じく17日の『毎日」大阪本社版に載った記事のコピー、および、昨日の芦屋集会への前参議院副議長、本岡昭次さんのメッセージが送られてきました。いずれも、関西以外の新聞には掲載されなかったものですので、ここでご紹介します。この『朝日』の「私の視点」の掲載は、『朝日』側から小田さんのところに頼んできたのに、「没」になりかかり、小田さんの強い抗議で大騒ぎとなって、やっと掲載になったという経過もあったようです。
 私は、ここでのべられている小田実さんの意見に全面的に賛成するものです。

「阪神淡路大震災「災害大国」の国づくりを

 作家 小 田   実

 震災後10年――「阪神・淡路大震災」の被災者としてて、また当時はあり得ないこととされた、しかし今は当然のこととされて来ている被災者に対する「公的援助」実現のために動き、「被災者生活再建支援法」のかたちで実現させた、市民と議員「共闘」の「市民=議員立法運動」の推進者として、私が今主張することは、日本を「災害大国」として受けとめ、国のあり方を変えていくことだ。その国づくりの土台として、これまでの災害関係の法律を集め、改善し、必要な法制度も新しくつくり、まとめ上げて災害憲法として「災害基本法」をかたちづくる。
 私がこう主張するのは、この10年のあいだにも災害がいくらでも起こって来ているからだ。最近にも台風、洪水、地震。これほどの「災害大国」は世界に例がない。
 今、ブッシュ政権のアメリカ合州国は、「テロ」対策を理由にして、彼らの売り物の民主主義と自由を犠牲にしてまで、軍事中心の国づくりをやりつつある。小泉政権の日本も、「テロ」対策を大義名分にして、アメリカの軍事路線に追随、海外派兵を行い、「改憲」を強行して「平和主義」国家の日本を戦争のできる国に変えようとしている。
 しかし、「テロ」はいかに軍事力を増大、強化しても防ぎようはない。日本対象の「テロ」の危険はアメリカ追随をやめれば原理的に消える。追随をやめよ。
 しかし、もうひとつ「テロ」の危険は残る。それは、台風、洪水、地震などの事前災害「テロ」だ。この自然災害「テロ」頻発の日本を「災害大国」と見さだめて、市民が安心して住める国をめざして新しい国づくりにとりかかる。「災害大国」の意味は二つ。ひとつが災害頻発の意味での「大国」だが、もうひとつは事態に対応できる力をもつ「大国」――その意味だ。
 私はここで、「阪神・淡路大震災」の被災地でかつて力ずくで強行された、商店街を路地裏ともどもつぷして防災道路や防災高層建築物をつくれというようなことを主張しているのではない。
 「阪神・淡路大震災」の被災地で被災者が求めたのは、生命の安全とともに住宅再建をうくめての居住、事業、雇用の確保、維持――まとめ上げて災害時の市民の生活の安定だった。「災害大国」としての国づくりの基本はまずそこにある。その法的土台として「災害基本法」がある。
 今、世界に災害が満ちている。イラク、パレスチナにおける「テロ」、戦争。そしてインド洋の大津波。そこには市民の生活の安定はない。日本の「災害大国」としての国づくりは、日本人にとってだけでなく、世界の多くの人にとっても重要なこととしてある。
 今、日本がするペきことはアメリカに追随しての自衛隊の派兵、その継続ではない。それよりは「平和主義」の「災害大国」として、応急の救援はもとより、長期的に大津波の結果として出現する膨大な「津波難民」の救済に日本は国をあげて努力する。これは彼らを日本にひきとることをふくめてめての努力だが、こうした「災害大国」日本の努力を世界はまさに必要としている。
                      ◇
 災害基本法づくりの最初の市民集会を「市民=議員立法実現推進本部」が17日午後6時から、兵庫県芦屋市の山村サロン(0797・38・2585)で開く。

(『朝日新聞』大阪本社版 2005年1月17日 「私の視点」欄)


 

災害対策は世界一と誇れる国にしたい  阪神大震災10年

     作家 小田 実さん(72)

 「これが人間の国か。国づくりの根本から考え直すべきだ」
 作家の小田実さん(72)にとって、そう叫び続けた10年だった。がれきと化した街に立ち、「繁栄の陰で、この国が、いかに市民をないがしろにしてきたか」を実感した。「国や自治体は、生活基盤を失った被災者にビタ一文出さない一方で、沖縄の駐留米軍には“思いやり予算″を増額した」からだ。
 兵庫県西宮市の自宅マンションで被災親した。直後に被害の軽い者が重い人を助けようと「市民救援基金」を設立。集まった支援金を持って老人ホームや親を亡くLた子どもを訪れた。だが「行政の援助のすき間を埋めるつもりで始めたが、すべてすき間。非常食の備蓄もゼロ。行政に災害対策の意識はなかった」。相次いだ高齢者の孤独死や自殺も、行政の無策に原因の一端があるとみる。
 政府は被災者への公的援助を「法律がない」と否定したが、「先進国で公的援助のない国などない。法律がないなら市民の手で」と96年5月、有志とともに練り上げた「生活再建援助法案」の成立を目指して運動を始めた。国会前で座り込みやデモを続け、98年5月に成立した被災者生活再建支援法に結びつけた。
 この10年で、公的援助は必要との認識はようやく広まったと感じる。だが、「新潟県中越地震を見ても、避難所の劣悪な環境は相変わらずだった」。17日、兵庫県芦屋市で防災や生活基盤の回復など、あらゆる災害対策を盛り込んだ「災害基本法」の制定を求める集会を開く。「災害大国としての認識を持つことから姶めよう」と、法の必要性を訴えるつもりだ。
 「テロ対策ばかりに目を向ける米国の追随はもういい。この国の最大の恐怖は自然災害というテロ。災害対策は世界一と誇れる国にしよう。スマトラ沖大地震のような大災害が起きたとき、世界から頼りにされる国になるために」
柿沼秀行

(『毎日新聞』大阪本社版 2005年1月17日 「阪神大震災10年 希望新聞」欄)

 

   メ ッ セ 一 ジ

                     前参議院副議長 本 岡  昭 次
                                         
 一九九五年一月十七日、六四四三人の尊い人命を奪い二十五万の家屋を全半壊させ、市民の生括基盤を破壊した阪神淡路大震災から一〇年が経過しまLた。
 この一〇年を通して最も厳しく総括されねばならないのは、国民の生命、財産を護るという民主主義国家の基本を放棄した自民・社会連立の村山政権、橋本政権と復権を果した自民党です。
 新聞、テレビ、雑誌等々マスメディア挙げて、大震災一〇年を特集しています。しかし、国家の責任.自民党政治の責任を棚上げにして、まるで「被災者の皆さん一○年を節目に阪神淡路大震災問題をこの辺で終わりにしましょう」と呼びかけているように思えてなりません。
 この一九九五年一月十七日は、無責任な自民・社会連立政権を打倒するために、社会党の国会議員有志が新党の旗揚げをする日であったのです。新党を旗揚げしていれば、間違いなく、村山内閣は崩壊していたでしょう。しかし、涙を呑んで新党結成を放棄した私は、与党の震災復興支援プロジェクトチームのメンバーとして、連日連夜、被災者の生活再建支援に奔走しました。
 披災者の生活再建支援の法律私案も二度三度と提案しましたが、「私有財産制度のわが国において、税金を私有財産となる住宅や家財の建設・購入に使うことはできない」の論理で政府に拒否されました。
 最後の手段として参議院予算委員会で、村山首相に被災者の生活再建支援法の提案を直訴しました。しかし、村山首相は社会党の総理であるからこそ可能であった支援法提案を拒否したのです。三十数年心血を注いだ社会党でしたが、なんの未練もなくなりました。
 五月に社会党を離党し、まさに一匹狼となった時、被災者生活再建支援法実現の運動を展開された小田実さんや山村雅治さんとの出会いがあったのです。
 国会や神戸での集会、銀座や国会のデモ、街頭演説、政府や兵庫県・神戸市への要請、法案作成、議員立法の提案と審議等々、厳しく苦しかったけれど悔いのない国家権力との闘いでした。思想・信条の違いはあっても、小田さんや山村さんから多くのことを学びまLた。よき出会いであったと思っています。
 私の志は民主党に託しました。民主党が政権を奪取し、私たちが目指した「被災者生活再建支援法」を政府提案として実現するのです。
 一月十七日午後六時の集会には、兵庫県教職員組合主催の震災一〇年教員・児童生徒の追悼式で挨拶しなければなりませんので参加できません。
 “市民=議員立法総括 そして「災害基本法」へ”集会のご盛会と市民=議員立法実現推進本部のご活躍をご祈念申し上げます。