23 国家公務員法による弾圧――堀越事件――の有罪判決に抗議する (2006年07月02日 午前1時 掲載)

 本欄 No.7 で、私は、昨年暮に葛飾で起こった共産党ビラ配布への弾圧事件への抗議の意思を書きましたが、6月29日に行われた国家公務員法(国交法)違反事件での東京地裁による有罪判決も、絶対に見逃すことの出来ない由々しい事態です。
 この事件は2003年の衆議院選挙前に、厚生労働事務官が共産党の機関紙を配ったとして国交法違反で起訴された事件でした。被告・堀越明男さんが起訴されるまで、公安警察は、40日間にわたって、多い日には11人も動員して堀越さんを尾行し、「演劇(観劇)を終了し、男女十人ぐらいと居酒屋に入る。居酒屋を出た後、カラオケ店に入店」など、容疑と関係のない私生活まで監視、記録していたということです。(『赤旗』6月30日号) そして、ビラ配布の模様をビデオで撮影するなどして「証拠」をそろえた上、堀越さんの勤務時間外の休日に、職場からずっと離れた自宅付近で行ったビラ配布を、国交法違反で起訴したのです。このような極端にひどい公安警察の異常捜査を、東京地裁(毛利晴光裁判長)はほとんど看過し、堀越さんには罰金10万円、執行猶予2年の有罪判決を言い渡したのです。
 立川テント村ビラ撒き事件への弾圧や、先に触れた葛飾での弾圧とともに、このような表現の自由への重大な侵害行為に、強く抗議します。
 判決は、共産党という政党の機関紙配布は、国家公務員に許されない「政治的偏向の強い典型的な行為」だとして、ことさらに政党活動であることを浮き立たせようとしています。
 共産党ならやられても仕方がないんじゃないか、そういう一部世論をも計算にいれている判決だとも思えます。有名な言葉ですから、ご存知の方も多いと思いますが、ドイツの神学者、マルチン・ニーメラー(1892-1984)の言葉を引用しておきます。

  はじめに彼らは共産主義者に襲いかかったが、私は共産主義者ではなかったから声をあげなかった。
  つぎに彼らは社会主義者と労働組合員に襲いかかったが、私はそのどちらでもなかったから声をあげなかった。
  つぎに彼らはユダヤ人に襲いかかったが、私はユダヤ人ではなかったから声をあげなかった。
  そして、彼らが私に襲いかかったとき、私のために声をあげてくれる人はもう誰もいなかった。

 
(注、ニーメラーのこの言葉は、丸山眞男『増補版・現代政治の思想と行動』で紹介されたため、有名になりましたが、そこでの引用は、表現が違うようです。実は、この言葉には、いろいろなバージョンがあって、少しずつ、順序や内容が違っています。どれが本当で、何がもともとの原文なのかについても、意見が分かれているようです。興味のある方は、以下のサイトを見てください。)

Niemoller, origin of famous quotation