news-button.gif (992 バイト) 11. 「 私服刑事をなぐる話・内ゲバを阻止する話・間違えてなぐった話」(『 ベ平連ニュース』1970年7月号に掲載) (06/08/19)

 以下は、1970年6月14日、ベ平連など市民団体が、中核派、革マル派を含む新左翼党派や、全共闘、反戦青年委員会などと数万のデモをやったときの出来事について、『ベ平連ニュース』に執筆した文章です。

 私服刑事をなぐる話・内ゲバを阻止する話・間違えてなぐった話

吉川 勇一

 六月一四日の大デモで実際にあった三つのことを紹介して、みんなで考えてほしいと思い、筆をとりました。
 第一の話。出発地の代々木公園で、会場の中をウロツイテいた私服刑事が、デモ参加者に発見されました。「私服だ!」の声に、たちまち大勢の人にとり囲まれ吊し上げがはじまったそうです。
 私服に対する憎しみは機動隊に対するそれよりも強くあります。彼らのやり方は陰湿です。いかにもデモ参加者のような服装をし、逮捕者に眼をつけ、場合によれば殴ったり、蹴りあげたりし、情報を集めます(昨年の六・一五デモで私のみずおちを殴り、地面へ叩きつけたのも私服でした)。彼らに対する怒りが爆発し、私服は殴られ、倒れました。
 べ平連の救対〔救援対策係のこと〕の人びとが事件を知ったのはこのときでした。救対は、倒れた私服を蹴っている人びとをおしとどめ、六月行動委員会〔このときのデモの主催団体である共闘組織〕の救対の車にその私服をのせました。
 周囲の人びとはそれに抗議したそうです。「奴は敵なんだぞ」「樺美智子が殺されたときはこんなもんじゃなかったはずだ」
 私服をのせた救対の自動車はヘルメットの学生たちに取り囲まれ、動けなくなりました。旗竿で屋根がガンガン叩かれたりもしました。
 学生ベ平連のグループがスクラムを組んで道をあけさせ、自動車はようやく通れました。こうしてその警官は助けられ、打撲傷一週間ぐらいですんだとのことです。
 第二の話。革マル系の諸団体は代々木公園のサッカー場に位置していました。そこへブントの叛旗派が竹竿を斜めに構えて進んで来ました。脇から見ているとまさに革マル派に向かって襲いかかるような姿勢に見えました。革マル派の竹竿も一斉にそれに向かって構えました。衝突は必至のようでした。実はサッカー場の空いている所で独自集会をやるために進んできたのでしたが……。
 すると革マル派の脇にいた六月行動委員会の市民グループがドーッとサッカー場の中へ駆けつけ、間に割って入りました。「内ゲバ、ヤメロ」のシュプレヒコールが起こり、叛旗派部隊の先頭を阻止したのです。結局、誤解だということもわかり、叛旗派も引き揚げたので、その騒ぎも終わりましたが、とにかく、両派の竹竿の槍ぶすまの間に徒手空拳で割って入った市民グループの行動は感動的なものでした。
 第三の話。デモが解散地の日比谷公園に到着している最中のことでした。そのすぐ脇で、またも「私服刑事」がつかまったのです。その人は「私服じゃない。デモに参加した一市民だ」と主張しましたが、とり囲んだヘルメットの諸君は納得しませんでした。「身分証明書をみせろ」「家へ電話して確かめろ」
 ところが、その人は「デモに参加のために来たんだから財布をもってるだけで、証明書も定期券も家へおいてきた」「妻も娘も今日はデモに参加していて、家に電話をかけても誰もいない」と言います。「話がウマすぎる」 その人の弁解もますます疑惑をますばかりでした。
 「ヤッチャエ!」ついにとり囲んだ人びとは殴りつけ、その人は倒れました。そこへ東大全共闘の人とある大学べ平連の活動家がかけつけ、殴りつける人びとをとめ、「勤め先」と称するところへ電話をしました。その人が私服でないということは確認されましたが、すでにそのとき、その人は動けなくなっていました。
 救対が呼ばれ、救急箱をもって駆けつけた女の人は、皮肉にもその人の奥さんでした。奥さんは手当ての心得のある人で、朝から六月行動委員会の救対の自動車に乗って負傷者の看護にあたっていたのです。娘さんがデモに加わっているというのも本当のことで、大学生の彼女はその大学の全共闘のデモに加わっていたのでした。その日、家が留守だったのは事実だったのです。
 その晩、私は小田実氏や福富節男氏らと病院へ見舞いに行きました。不幸中の幸いというのか、心配された内臓破裂はなかったのですが、しかし肋骨が一本折られていました。
 「機動隊にやられたというのでもあればまだアキラメがつきますけどねえ」奥さんはそういっていました。
    ×  ×  ×  ×
 あまりに長くなるので、ただ一つだけ古い事実を足したいと思います。一昨年の佐世保でのデモのことを小田実さんが書いています。あるデモ隊は「見知らぬ人がいれば、それは警察かトロツキストです。入れないで追い出して下さい」という拡声器のアピールをしたといいます。それに対して私たちべ平連は「どこにも入るところのない人いっしょに歩きましょう、エンタープライズ寄港に抗議して」というプラカードをかついで、見知らぬ人同士で歩いたのです。
 誰でも入れる開かれたデモ。ベ平連のデモはいつもそうです。そのデモの中での人間への信頼は、私たちの力の基礎になっています。隣りの人間が私服刑事ではないか? そう思った途端、デモの中の人を見る眼が変わるのです。それは恐ろしいことです。
 べ平連のデモは弱いから、私服を吊し上げるなどという危険なことをするな、というのでは決してありません。徒手空拳で内ゲバの真ん中にとび込む勇気、それを市民グループはもっているのですから。
                         (『べ平連ニュース』1970年7月号)

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