news-button.gif (992 バイト)  216 藤本治さん(静岡大学名誉教授、元わだつみ会副理事長)が逝去 (2010/11/08掲載 )

 藤本治さん(静岡大学名誉教授、元わだつみ会副理事長)が、今年7月9日に逝去されていました。
 つい最近、私はがん治療で抗がん剤で苦労されているとお見舞い状をお送りしたのでしたが、ご夫人の藤本月子さんから永眠されたとのお知らせを頂きました。お手紙によると、今年に入って二度抗がん剤治療でかなり体力を消耗され、食物の味とか、においとかがなくなって、食欲がなくなる中で、食べる努力を懸命にされていられたが、限界で6月中旬に入院、7月9日に永眠されたとのことです。
 藤本さんは以下のように1931年生ですので、私とまったく同年でした。藤本さんは、わだつみ会やベ平連で活動され、以下にあるように、
旧制静岡高校出身の戦没者たちの遺稿集『地のさざめごと』をめぐる編集著作権の侵害としての裁判闘争などは、連帯の活動に私も参加しました。また、金龍澤さんとの共作の詩集『ぼろぼろ倶楽部』の中の2編は、『市民の意見30の会・東京ニュース』の95号に載せてもらいました。深い哀悼の意を表明します。
 最近見ましたが静岡市の市議会議員、松谷清さんのサイトによれば、以下のようにあります。
 「
静岡大学名誉教授の藤本治さんが食道がんのために昨日亡くなられました。先生との出会いは、静岡大学に入学してベトナム戦争に反対したべ平連活動や三里塚空港反対運動などに加わり大学を中退した後でした。 民生学連事件で詩人の金芝河氏が逮捕されたことがキッカケで韓国の民主化運動支援の活動を始めようと金芝河氏の戯曲「鎮魂魂」(チノギ)の静岡公演を実現する市民団体を結成しようとしたことからでした。公演は実現できなかったのですが、藤本先生、吉本健一教授、故山口三夫教授の3人と私含む韓国の民主化運動に想い寄せる若者と一緒に静岡日韓人民連帯会議を結成しました。以来、35年の月日が経過しています。私自身は、市民活動から政治家への道に入りましたが、一貫して私の生き様に厳しく優しく問いかけ応援をいただいてきました。青年期の私達を戦後の革命運動を担った世代が励まし続けてくれたのでした。先生が病に伏しておられたにもかかわらず、お見舞いに行くこともしなかった自分を恥じます。先生の死に向き合って先生の深き英知と思想を改めて思い起こしています。心より哀悼の意を表したいと思います。」と。( http://blog.goo.ne.jp/matsuya-kiyoshi/e/9ab3e52e920cd12471eaf9cf7ae5b48b )それによれば、7月10日に静岡市の「アイネットホール新川 」でお通夜、よく11日に同所で告別式が行なわれたそうです。

藤本治 ふじもと・おさむ
1931−(昭和6−)
フランス文学者・社会思想史家。徳島県生まれ。東京外国語大学卒業、東京都立大学卒業。一橋大学大学院社会学研究科社会思想史専攻博士課程修了。静岡大学教授を経て、後に名誉教授。66年発行された旧制静岡高校出身の戦没者たちの遺稿集『地のさざめごと』を編集。後に講談社から新装版が発行されるが、これを編集著作権の侵害だとして裁判闘争を展開。『慰霊と反戦――「地のさざめごと」裁判闘争の記録 (1983)は、その裁判闘争を通して、戦没学生への慰霊と反戦の意味を問う著作。日本戦没学生記念会(わだつみ会)理事、静岡天皇制問題国家賠償訴訟原告団団長、静岡日韓人民連帯会議代表などを務め、反戦・平和、日韓連帯、反差別、反天皇制の運動を担った。
【著訳書】『慰霊と反戦』(1983 田畑書店)、『民衆連帯の思想』(1991年 影書房)、ロラン・バルト『ミシュレ』(訳、2002年 みすず書房)、『詩集 ぼろぼろ倶楽部』(金龍澤と共著、2005年 影書房)
(日本図書センター『平和人物事典』より)

 以下は、『市民の意見30の会・東京ニュース』の95号に載せられた藤本さんの『詩集 ぼろぼろ倶楽部』からの2編です。

 寝苦しい夜
        
 寝苦しい夜は眠(ね)なくてよいが
 生き苦しい世は生きなくてはならぬ
 人として生きねばならぬ

                       (二〇〇三年 夏)
 

 サンサラーム
 
 フアルージャの戦火遁れし韓国人牧師たち
 祖国にあって祖国喪いし三・一の悲しみと怒りを憶いしならむ

 済州四・三のサンサラームを首相小泉はテロリストと呼ぶか
 〈われは知るテロリストの悲しき心〉を殺すのか

 フアルージャを救えの叫びはるかな耳鳴りが済州サンサラー
 ムを救えと木魂しておる

 術なしと思えどつのる望郷の念掌(たなごころ)より落つる滴の如し黙して
 われは友の目を視る

 三千里寡黙のおっさんと呼びしもと学生ら
 わが今の沈黙を如何に聞くらむ


                                                 (二〇〇四・四・一四 よる) 

 藤本さんは、今年の5月1日に親しい知人に送られました。その中には、「食道癌の腹腔内リンパ節への転移が確認されて抗癌剤治療に取りかかる以前の、体調の良好な折りに書いたものです。ひょんなことからFad(faith and devotion)関東神学ゼミナール通信56号(March 2010)に掲載されました。これが活字になって公表される、たぶん最後の文章になるだろうと思います。お目にかけるのは、拙文に託したわが微意を、ぼくの知友に汲み取っていただければと念じるからです。……いま予想以上に劇しい副作用の数数に辟易しています。本や雑誌を手に取ることさえ億劫なほどです。けれども目をこすり肌を抓(つね)ると我が身はまだ生きている、たしかに生きているのです。たしかな現(うつつ)の事実です。これからも微火を燃やしつづけます。」と書かれていました。
 そこに書かれてある文章――「死を待ちながら 二」という論は、全文をPDFファイルにしてあります。ぜひご覧ください。右をクリックされれば、このファイルがPDFで読めます。「死を待ちながら 二」