news-button.gif (992 バイト) 138.喪中のご挨拶のはがきに代えて (2005/11/24 午前0時掲載)

 

 「喪中につき、新年のご挨拶はご遠慮させていただきます……」 という文面のご挨拶状のはがきが届き始めました。世間並みからすれば、私もこの種のはがきを、毎年、賀状をお送りしているみなさんに、お出しすべきところなのでしょう。でも、私は、かなり型破りのご挨拶状を、お年玉つき年賀はがきを用いて、今日、投函してきました。形式は、これまでの賀状となるべく同じ体裁になるようにしたものです。
 これまで、毎年の正月には、私と連れ合いとの連名で出していた年賀状を、このページにも掲載してきました(たとえば、今年の賀状は、本欄 No.125 に、昨年のものは、No.102 にあります)ので、この型破りのご挨拶のはがきも、ここに掲載いたします。
 なかには、ふざけすぎている、不謹慎だ、と眉をよせられる方もおられるかもしれませんが、簡単にではありますが、理由も書いていますので、ご海容のほどをお願いいたします。
 連れ合いが死んで半年近くになります。先日、ある会合で会った若い人から、「そろそろもう、お慣れになりましたか」と声をかけられました。もちろん、善意でいわれた言葉なのですが、あまりいい気分ではありませんでした。「そろそろ、忘れることができたか」と言われたような感じだったのです。これは、「慣れる」なんてもんじゃないよな、というのが、正直な気持ちでした。最近、三里塚管制塔闘争関連の集会で、元全国反戦青年委員会の事務局長だった故今野求さんの夫人、宏子さんとお会いして話したときも、また、アナーキストの向井孝さんと死別された水田ふうさんと「反戦と抵抗のフェスタ」の集会でお会いしたときも、 「慣れるなんてもんじゃない」という気持ちでは、全く同じだ、というような会話がありました。何といったらいいのか、難しいところです。