news-button.gif (992 バイト) 137.三里塚管制塔闘争被告団連帯基金、目標達成! ありがとうございました。(2005/11/12 午 前4時掲載)

 すでに、11日の各テレビ、各夕刊で報じられていますので、ご存知の方が多いと思いますが、本サイトの「ご案内」欄 No.158〜159 でお願いした三里塚管制塔闘争被告団連帯基金へのカンパ運動は、目標を達成、11月11日(金)午後、国土交通省などに1億300万円を手交してきました。また、この日の夜、東京・水道橋の全水道会館では、「11・11大勝利報告集会」が開催されました。詳しい模様は、「管制塔被告連帯基金支援ウエブサイト」(http://jioos.podzone.net/)に出されると思いますので、そちらをご覧ください。
 アピールに応えて、基金に力を寄せてくださった皆さんに、支援を呼びかけたものの一人としてお礼を申し上げます。以下に、11日に発表された元被告団の二つの声明を転載、ご紹介いたします。 感動的な声明です。(右の写真は、上の「支援ウエブサイト」からの借用です。)

 

 

管制塔元被告団は勝利を宣言します

一滴が大河を作り国家の不当を押し流した!!

 今日まで損害賠償強制執行を自らのこととしてカンパをくださったお一人お一人の方々、Webで毎日「基金カンパ」を呼びかけてくださった方々、地域・労働組合・職場でカンパを集めてくださった皆さん、管制塔基金カンパグッズを作って販売してくださった皆さん、元被告たちとともに3・26管制塔占拠を闘った党派の方々、元被告(債務者)を職場で守ってくださった多くの方々、九月十八日の闘志溢れる集会を組織してくださった皆さん、そしてこの国家の非道に憤りを感じ私たちを応援してくださった方々、本当にありがとうございます。国家の意図はついに打ち砕かれました。
 今日、不可能と思われた一億円の基金満額達成のめどが付いたことが明らかになりました。

 私たちは勝利したのです。
 カンパの一円一円が皆さんの流した一滴の涙であり血であり心です。
 皆さんの一滴の涙が、血が、大河となって国家の不当を押し流したのです。

この勝利は皆さんの勝利にほかなりません。

 この勝利は、3・26管制塔占拠がそうだったようにこころある人々が、その心をひとつにすればどんな不当にも勝てることを教えてくれました。この教訓を生きているうちに二度も経験できた私たち管制塔元被告は本当に幸せです。私たちは十数年の獄中生活が報われたと、今心から思います。皆さん本当にありがとうございました。

今、二千余人が管制塔に駆け上がった

 私たちは感動的な数ヶ月を過ごしました。
 全国各地で新しい3・26が闘われたからです。七十八年3・26管制塔占拠は百数十人の起訴者を含めて数千人の人々がかかわって成し遂げた闘いでした。そしてここ数ヶ月の損害賠償をはねかえす闘いは二千人を超える人たちが自分の闘いとしてやり遂げ勝利したのです。

七八年3・26管制塔占拠の闘いは、
今二千人を越える人々に引き継がれました。

今年三月下旬、損害賠償の強制執行をかけられたとき、私たち元被告はまるで鉛色の空に覆われたような気分でした。しかし、「基金カンパ」の呼びかけに応えてくださった方々、各地でカンパを呼びかけてくださった方々の勢いは私たちに真っ青な青空を見せてくれました。あの日、二十七年前の3・26当日、マンホールから飛び出した私たちが目にした、すがすがしさと勝利の確信を予感させる真っ青な青空を見せてくれたのです。
 「基金カンパ」運動に応えてくださった二千人を超える人たちは、3・26の勝利を守りぬきました。今二千余人の人たちが管制塔に駆け上がったのです。3・26管制塔占拠は今も多くの人々に受け継がれ守りぬかれていることを私たちは目の当たりにしました。

一〇月三十一日をもって「基金カンパ」の要請を打ち切ります

 元被告たちを「解放」してくださった皆さんの闘いを、私たちは一生忘れることはありません。二十七年目にして再度勝利をもたらした闘いを忘れることはありません。本当にありがとうございました。

 今、私たちは皆さんとともに声高らかに勝利を宣言します。
 しかし、この勝利は皆さんの勝利です。

 私たち管制塔元被告団は十月三十日をもって「基金カンパ」の要請を打ち切りたいと思います。(注)
また共に闘いましょう。

二〇〇五年一〇月二十七日

管制塔元被告団
東京都東村山市青葉町1の18の4 桐原ロジテック気付 中川憲一
e-mail:puck@pop06.odn.e.jp 電話 090(8171)1810

(注) 11日夜の集会では、この点について、少なくとも11月いっぱいは、現在の郵便振替口座は閉じないことが報告され、元被告団の希望はよくわかるものの、「声明の会」の中には、まだ継続すべきだとの意見もあるので、今後、相談して、いつ閉めるかを改めて決めるとされました。

法務省・国土交通省に対する声明
三・ニ六管制塔元被告団


 二十七年前の管制塔占拠闘争に対する損害賠償請求は、今年七月時効を迎えようとしていた。
 その直前の四月、突然一億三百万円の強制執行を始めた法務省・国土交通省殿、あなた方が、給与の四分の一や全てを満額に達するまで納め続けよとした全額がここにある。
 これは、お金ではない。
 これは、十六人の私達被告を今度こそ本当に人民の懐に奪い返そうという、全国の人々の暖かい思いの涙の結晶であり、正義と道義を愛する熱い魂である。これは、私たち十六人の管制塔被告の生存を奪い去ろうとしたあなた方の仕打ちに対する、人々の憤怒であり、一億三百万の怒りの炎である。
 あなた方は、失敗した。
 国の非道を正すために戦った私達は、万余の人々によって守られ、壊されることのない勇気と信頼、人々との繋がりは以前にも増して深かまった。
 それだけではない。
 職場を奪い、家庭を破壊し、生存を脅して私達被告を苦難に陥れようと十年間も密かに準備し、時効直前に強制執行の暴挙に出たあなた方の策略は、全国の人々の心に、怒りの炎を燃え立たせ、憤激は大河となった。普通に生活している私達の同僚、友人達を、みんな敵にまわしてしまった。二十数年連絡もしないでいた人たちが、深いところで繋がっていることをみんなが知った。離れ離れになっていた被告が一つになった。被告団は十数年ぶりに団結した。
 感動的な再会があった。
 胸の熱くなるメッセージが寄せられた。生活を削って多額のカンパが津波のように寄せられた。少ない年金の中からの基金も頂いた。それは四ヶ月で一億円をはるかに突破した。お国に逆らった者に対する見せしめにしようとする狙いは覆された。
 献身的に戦うものは必ず救われる。
 一億円の基金を四ヶ月で集めるといういまだかってない事業が、全国の驚くほどの人々の熱い協力によって見事に成し遂げられた。三里塚闘争の三十七年は、この国の民主主義の問題において、農業問題において、地球環境の問題において、多くの原則的な事柄を、全国の人々にさらにはフランスのラルザックなどを通して全世界の人々に提起し続けてきた。今ここに、不合理と戦うものは必ず救われる、必ず報いられるという原則がそこに付け加えられた。
 見事に実現されたこの原則と約束は、今後のあらゆる戦いの場で貴重な財産となり、大きな力となって、権力の不条理に立ちはだかるであろう。三里塚で、畑を耕し、家畜を育て、大地に根をはるようにして暮らしている数戸の農家の屋根を擦るようにしてジャンボ機を飛ばそうとしている非人間的な仕打ちを許さない巨大な石垣となるであろう。
 さあ、国の非道を許さぬ人々の真実と正義を愛する心の結晶を受け取れ。
 私たちを深く包み、解放してくれた全国の人々の熱い心を受け取れ。
 我々一六人の被告は、全国の人々に涙ながらの感謝の気持ちを表明しながら、限りない怒りをもって一億三百万の熱い魂を、あなた方、法務省と国土交通省に叩きつける。

二〇〇五年十一月十一日

 なお、11日夜の集会で、私も「声明の会」を代表する形で発言をしました。原稿があったわけではないので、記憶に基づくだけのものですが、以下にその要旨を載せます。

  吉川勇一です。 「声明の会」を代表してのご挨拶でしたら、中心で努力された鎌田慧さんがなさるのが当然なのですが、鎌田さんはよんどころない事情で参加できませんでした。また、それ以外の者で年長者というのならば、樋口篤三さんや福富節男さんらがおられ、いささか気が引けるのですが、本日は私がご挨拶させていただきます。
 9月18日の文京区民センターでの集会のとき、私は、「間が進化、成長し、その中で、正義、平等、不戦、弱者との連帯といった価値を育ててきたのだとしたら、それは、これまでの歴史の中で、不正、差別、戦争、搾取といったものを自らの存在をかけて許さず、それと戦ってきた人々がいたからであり、自己の不利をもかえりみず、法や権威の定めること以上に、良心の命ずることに従った人々がいたからだ」とのべ、「三里塚管制塔闘争にかかわった人々も、そうした位置を占めています」と発言しました。(全文は本サイトの「News」欄 133 に掲載) 人間の歴史はそういう人びとの努力によってつくられてきたのです。
 さきほど、「歴史は私に無罪を宣告するだろう」というカストロの言葉が引用されましたが、「無罪」であるどころか、この闘争は、まさに人間の歴史をつくって行く上での重要な行動として位置づけられるに違いないと、私は信じて疑いません。
 9月の末、立川市で砂川闘争50年を記念する集会が開かれ、その闘いに関わったり、関心を寄せる人びとが集まりました。私は当時25歳でしたが、それに加わり、とくに1956年10月の警官隊とのすさまじい激突の後の勝利、測量中止を勝ちとったときの秋晴れの青空は、決して忘れられず、今でも目にありありと浮かんできます。集会には、立川市の現市長も出席し、「あの闘争なしには、今日の立川はなかったろう」と発言しました。事実、その集会が開かれていた立派な建物も、当時の米軍基地跡に建てられたものなのでした。発言した人びとは、あの砂川闘争が、その後の50年の人生に大きな影響を与え続けていることを語りました。
 先週の土曜日には、元京都ベ平連の代表だった農学者の故飯沼二郎さんを偲ぶ会が京都であり、それに行ってきました。60年代半ばのベトナム反戦運動以来、在日朝鮮・韓国人との連帯、日の丸・君が代闘争などで、飯沼さんと行動をともにした140名ほどの方々が集まられました。すべての人が、現在、活発な運動にかかわっているというわけではないのですが、しかし、さまざまな職業や暮らしぶりにもかかわらず、その闘いで得た経験が、今もそれぞれの日々の暮らしの中で、基礎をかたちづくっていることが明らかでした。
 その翌日には、こんどは、やはり50年前のことになるのですが、原水爆禁止世界大会に通訳・翻訳・タイピストなどとして活動した都内数大学からの学生アルバイトの仲間の集まりがありました。たまたまアルバイトとして一緒に仕事をしたというだけで、異なる大学からの学生たちが、その後50年も連絡を取り合い、集まりを持ち続けているというのは珍しいことだと思うのですが、ここでも若いときに心に刻み付けた核兵器への怒りが、今も強く共有され、現在の日本の政治への不安と批判とが口々に語られたのでした。
 どのような社会を創ってゆくのかという目標を共有し、そのために共同の闘争、運動に加わった人びとには、その体験は、人生を送っていく上で、いつまでも確かな基盤を形づくっています。三里塚闘争も、そのなかでの管制塔闘争も、もちろん、そういう闘いの一つでした。
 管制塔闘争から27年。あと23年経ったとき、「三里塚管制塔闘争50年集会」が開かれるでしょう。私はもう生きていないと思いますが、元被告団のみなさんをはじめ、多くの方がたはご存命のはずです。ぜひそれに参加されて、この闘いが歴史の中に占めた位置を再確認してくださるよう、お願いします。
  なお、さきほど、亡くなられた原さんに対する言及がありました。同じように、市民運動のレベルで言うなら、前田俊彦さん、高木仁三郎さんが生きておられたら、必ずや今日の会合にも参加されていたはずだと思います。おられないのが残念です。
 最後に、元被告団の方がたは、すべて私たちに感謝の言葉をのべられました。しかし、お礼を言わねばならないのは私たちのほうです。青春の中の貴重な日々を、長く獄中につながれて送った人びとに、私たちは申し訳ないような思いをみな抱いてきていました。今度の連帯基金運動の成功で、その思いを幾分なりと、晴らしたように思えます。元被告団のみなさん、本当にありがとうございました。